国際的な「情報発信力」の強化が急務

松本 徹三

アベノミクスは、幸運にも「米国経済と米ドルへの信任の回復」と時を同じくした為、当面は世界的にも好感を得ている。「通貨の避難場所」という以外には長い間面白くもおかしくもなかった日本が、今や投資対象として脚光を浴びるに至ったのだから、これは画期的な事だ。

本来なら下がる筈の長期金利が逆に上がりつつある等の兆候を見るにつけても、やがて危険な副作用に見舞われる可能性がある事は十分に認識しつつも、私とて日本国民の一人として、現在の状況は矢張り喜ばしいと考えている。しかし、これによって安倍首相が自信過剰になり、絶好の機会とばかりに「国家主義」を全面に打ち出していく事を、私は秘かに恐れている。


長い間、多くの日本人(特に中高年の男性)の間には、日本が国際社会の中でいつも「片手落ち」の議論に曝されて、それに対して毅然たる態度を示し得ないでいる事に対する不満が鬱積している。従って、この不満に対応するような言動は国民の多くの支持を得て、選挙でも有利に働くだろうと考える政治家が多くても、別に異とするには当たらない。しかし、もしそれが国際関係にマイナスに働き、従って、経済の面でも安全保障の面でも、日本の国益にマイナスに働くなら、この事はもっと慎重に考えた方が良い。

結論から先に言うなら、「日本が国として筋を通し、国民の鬱憤を晴らすべく、国際社会で言うべきことを遠慮なく言っていく」タイミングはまだ熟していないというのが私の考えだ。

自分の考えを相手に理解してもらうのはそんなに易しい事ではない。近しい人同士が「一対一」で静かに語り合う場を持ってさえも、お互いの考えや感覚の相違を埋めるのは容易ではないのに、まして謂わんや、お互いの事が殆ど分かっていない外国人同士が、それも「一対一」ではなく「多数対多数」の声高の議論で、お互いの「考えや感覚の相違」を埋めようとしても、並大抵の戦略や努力では結果を出すのはほぼ不可能だろう。

世の中の大抵の人達はこういう経験をした事がなく、経験していない事は想像するのも難しいから、簡単に「何故言うべきことを言わないのか」とか「何故そんなに弱腰なのか」と言って憤るが、やり方を誤れば、何も成果がでないだけでは終わらず、事態をより一層悪くするのだから、十分に注意しなければならない。

何の件だったか忘れてしまったが、このような声に押されて、日本人の有志がニューヨークタイムズだったかの一面を買い切って、意見広告を出した事が以前にあった。しかし、結果は散々だったと記憶する。今回の橋下さんの発言も、ご本人は、「筋の通った事を率直に明快に話す」姿勢をアッピールして、他の政治家との違いを印象づけ、参院選にもそれを役立たせようと考えられたのかもしれないが、結果は完全に裏目に出てしまった。

物事は全て是々非々で判断すべきであり、人にレッテルを貼るのは良くない。しかし、普通の人は複雑な判断を必要とする議論を嫌い、単純な議論を好む。だから、人に対してもレッテルを貼るのが好きなのだ。政治家もこの事には敏感でなければならず、注意深くリスクを避ける賢明さが必要だ。「本音と建前の使い分け」や「二枚舌」は決してほめられた事ではないが、人気商売の政治家には避けて通れない事は、普通の大人なら誰でも知っている。目指すべきは、これを「根絶」することではなく、「最小限に抑える」事なのだ。

「慰安婦問題」については、2011年12月26日のアゴラの記事で、事実関係と私の考えを包括的に書いているので、是非とも再度これをご一読頂きたいが、その中でも、私には珍しく、具体的なアクションについては何一つ提言していない。それは、こういう話は、声高に議論すればするほど、本質から外れた議論になってしまう事を知っているからだ。

そもそも、この件は、2007年に米国の下院が、一部の韓国系議員と一部の不思議な日本人達の働きかけに乗せられて、「性奴隷」等という大仰な言葉を書き連ねた「対日非難決議案」なるものを可決した時に勝負が決まってしまったのだ。このような動きを事前に察知し、下院議員を一人一人訪問してその不当性を訴える等の努力をしなかったのは、日本政府とマスコミの大きな怠慢と言わざるを得ないが、一旦こんな決議がされてしまうと、後からその不当性をなじり、撤回させるのは至難の業だ。

あたかも日本人だけが破廉恥なセックスアニマルであるかのような印象を与えるこの決議案の異常さは、大袈裟に言えば、「事実確認もせずになされた日本民族に対する謂われのない侮辱」と言っても然るべきで、日本人としてはとても容認出来るものではない(その点では橋下さんの言っている事は正しい)。

しかし、今となってはもう手遅れなのだ。何故なら、この決議案の「可決」は事実として残っており、この決議案を可決した議員達が、「そうですね、そう言われれば自分達の考えが浅かったですね。従軍慰安婦のような制度は必要悪なのですよね」等と言って、女性の人権問題に敏感な人達から噛み付かれるリスクを冒すわけは金輪際ないからだ。

今回の記事のテーマは「国際的な情報発信力」だが、この一事や、「ニューヨークタイムズに意見広告を出せば少しは挽回が出来るだろう」と考えるような浅薄で安易な理解が、日本に如何にその能力が欠如しているかを如実に示している。そして、これからは、この傾向は更に加速される恐れすらあり、この事は、不可避的に利益相反関係を内蔵する将来の日中関係の帰趨にも大きな影響を与えるだろう。

米国には3500万人にも及ぶ中国系米国人がいて、その人達の中には中国に帰って科学技術の世界や実業界で活躍する人達も多い。その上、米国に留学する人達の数は最近では日本人の10倍以上にも達すると聞く。彼等の米国内における情報発信力は日本人の比ではない(因に、韓国系米国人の数も日系より多く、留学生の数も多い)。

そうでなくとも、日本人には何故か成功した同胞の足を引っ張る傾向があり、成功した同胞をみんなで盛り立ててその庇護を受けようとする中国人とは、対照をなしているという話をよく聞く。また、日本人はどちらかというと常に遠慮がちで、自己主張があまり強くなく、多くの民族を包含する集団の中でも、ともすれば孤立しがちであるとも聞く。

しかし、それ以上に問題なのは、日本では「国際派」は常に少数派で、中高年の男性で「国家主義的」な考えを持つ人達が組織内で力を持っている事が多いという事だ。「国家主義」は別に特に悪い事とは言えないが、日本の場合は、これが「過去の日本の誤りを認めず、却ってそれを美化したがる」という傾向や、「他の民族にない日本人の特殊性について過大な優越感をもつ」傾向に結びつきやすいという事が問題だ。このような傾向は、外国人にとっては「違和感」や「警戒感」の対象にならざるを得ず、日本の孤立を招きやすい。

現在の米国は「中国の軍事的拡大」に大きな脅威を感じているので、カウンターバランスの一角として日本との関係を重視しているが、日本の右傾化(国家主義的な人達の影響力の増大)には大きな懸念をもっている。東南アジア諸国も、日本が中国に対するカウンターバランスとなってくれる事に期待は持っているが、日本の右傾化が日中関係の不安定性をもたらす事には懸念は隠せずにいる。調子に乗っていると、いつか中国が政策を改めて柔軟路線に転じた時には、日本が米国や東南アジアで再び孤立の道を辿らないとは言い切れない。

「国家主義」は、「相手の立場に立って考える」前に、「自国の利益と誇り」を前面に打ち出すのが普通だ。それ故に、自国では庶民の喝采が得やすい。しかし、その分だけ、諸外国の支持は受けにくい。

全ての分野でグローバル化が進んでいる現在の世界では、多くの問題で出来る限り諸外国の支持を受け、孤立を回避することが国益に大きく資する。(特に米国の世論の支持は、日本にとっては極めて重要だ。)その意味で、米国を始めとする世界各国での日本の「情報発信能力」の飛躍的な向上は、日本にとって焦眉の問題と言える。そして、これこそが、「多くの国民の鬱憤と被害者意識の解消」と、「孤立の回避による長期的な国益の追求」を、同時に実現させる為の唯一の方策だとも思う。

現在の極めてお祖末な日本の「国際情報発信能力」を大幅に向上させる為には、気の遠くなるような長い時間が必要だが、先ずは「教育体制の国際化」「ジャーナリズムの国際化」「内外の人的交流の活性化」等の面で、急ぎ適切な施策が講じられるべきだ(双方向での留学生の増加策等もその一つだろう)。

しかし、それ迄に、真っ先にやるべき事がある。それは、この体制が十分になるまでは、国際世論を刺激するような「国家主義的な言動」は自粛する事だ。

「歴史問題」については、「村山談話」の踏襲を代々の内閣が確認する事で何ら問題はないではないか。「村山談話」は、当時の自民党と社会党、それに新党「さきがけ」が鳩首して書き上げたものだが、あらためて全文を丁寧に読んでみても、どこにも問題となるような表現は全く見出せない。これを「見直す」と言えば、諸外国が懸念するのは当然だ。

「靖国問題」については、2013年4月29日付けの記事でも書いたように、中・韓の懸念に配慮し(国内問題より国際問題を重視し)、閣僚は公式参拝を自粛する一方、「戦犯の分祀」などの問題を、時間をかけて国内で議論すれば良い。そして、最後に「従軍慰安婦」の問題については、「河野談話」は頂けないが、今はこの問題には言及せず、堪え難きを耐え、忍び難きを忍んで、沈黙を守るしかない。

そして、もう一つ、我々が忘れてならない事がある。それは、我々自身が、休む事なく、日本の技術力、産業競争力、経済力を拡充させていく事だ。技術力や経済力が評価されている限りは、諸外国は決して日本を軽んじる事はない。かつて英国のサッチャー首相はこう言った。「ドイツやフランスは英国を商人の国といって軽侮したが、我々は結局ナポレオンやヒットラーを打ち負かした。」

蛇足だが、こういう私を、「経済問題の為に、中・韓に過剰な気兼ねをしている」として批判する人達は必ずいるだろうから、憲法改正や国土防衛の問題についても、この際一言付言しておく。

私は「日本人が『自国民の意志で作ったものではない現行憲法』を見直して改正する」のは当然という考えだし、「国土と国民を守る為の自衛権(集団自衛権を含む)をそこに明記すべき」というのも当然だと考える。如何なる外国政府もこれを批判する事は出来ないだろう。そして、この事は、上記の私の議論のどの部分とも何ら矛盾するものではない。