書評:『100歳、ずっと必要とされる人』 --- 城 繁幸

2013年06月19日 11:27


100歳、ずっと必要とされる人 ─現役100歳サラリーマンの幸せな生き方

最初に言っておくが、本書は先の65歳定年制度に対するアンチテーゼでも、まして定年制度を廃止せよといった政策提言の書でもない。ある会社に100歳のサラリーマンお爺ちゃんがいて、その人の人生観や職業観を紹介するという、それだけの話である。そのお爺ちゃんにしても、大企業の創業者だとか、昔これこれで有名だったとかいうたぐいの人ではなく、本人の言葉を借りれば「ただ長生きしただけの人」である。


という、異例に普通な本なのだが、なかなか味わい深いうんちくに満ちた書だ。

氏が慶應大学経済学部を卒業したのは1936年。卒業年に「ヤマイチショックがあった」とか「リーマンショックがあった」という人は珍しくも無いが、「2.26事件があった」というサラリーマンは、恐らく日本で福太郎氏ただ一人だろう。

氏はそのまま慶應大学経済学部の助手になったので、平時であれば経済学部の教授として天寿を全うしていたかもしれない。ただ、世は戦時である。氏も徴兵されその後の9年間を軍隊で過ごすことになる。

無事に生き残ったものの、復職したら自分より十歳近く年下の最新の知識を身に付けた若者たちで大学が溢れているのをみて、氏はアカデミズムの道を断念する。そこから家業を継ぎ、紆余曲折を経て、49歳でサラリーマンとなり、今にいたるというわけだ。

100歳のサラリーマンと聞くと、恐らく多くの人は、職場に居座っているだけの人を想像するのではないか。だが福太郎さんは違う。96歳で退職を申し出た際も、会社側から慰留され、今でも一時間かけて通勤している。むしろ、人材的に必要とされているわけだ。

そのコツはなにか。本書によると、それは“利他の精神”であるとする。滅私奉公とか清貧思想とか、そういうものではなく、人のことを考えて行動するように心がければ、やがては自分のためにもなるというスタンスで、どちらかというと「情けは人のためならず」に近いかもしれない。

具体的に言うと、氏は若いころから出世やお金にあまり欲が無く、40代になってサラリーマンを始めたきっかけも、大学時代の親友から誘われ、彼を支えるために一肌脱ごうと入社したのがきっかけだった。以来、その親友や、親友の残した会社、同僚を支えようという思いで働き続け、気がつけば「残ってください」と請われる側になったのだという。

これは、若いころに年功を積み上げておき、40代以降で見返りとして昇給やポストを勝ち取るという終身雇用型キャリアパスとはまったく異質のものだというのがよくわかる。そういう過酷な出世競争を繰り広げた人々が、いまやリストラ対象となり、勝ち得た既得権の維持に汲々とする一方で、福太郎氏がひょうひょうと出勤している姿は、まさに対極と言っていい。

筆者は、氏の働き方、生き方こそ、これからの一つのスタンダードになる予感がしている。ついでに言うと、氏ははからずも「40歳を節目として第二のキャリアを考える」という40歳定年制を先取りしているわけだ。

最後に、筆者が個人的にぐっときた言葉を引用しておこう。男性諸氏は必読である。

夫婦が別々に亡くなるなら、女の人が後に残る方がいい。奥さんが先に亡くなると男はつらいからね。でも見ていると、女の人は、違うみたいなんだよね。僕の知り合いで、夫婦で謡を習っている人がいたんだけれど、旦那さんが先に亡くなっても、奥さんは悲しみにくれるどころか、どんどん元気になっていった。でも逆の場合、旦那さんは気落ちしてしまう人が多いんだ。


編集部より:この記事は城繁幸氏のブログ「Joe’s Labo」2013年6月19日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった城氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方はJoe’s Laboをご覧ください。

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