「歴史認識」と「未来志向」

松本 徹三

8月5日付の記事で、一時期日本の世論をリードした「進歩的文化人」の事を書き、8月12日付の記事では、韓国の「反日活動家」と日本の「進歩的文化人」の間には似たような傾向がある事を示唆した。


但し、日本では、長期にわたり、「進歩的文化人」が若い人たちを中心とする世論形成に相当の影響力を持ちつつも、政治勢力としての社会党、共産党はピーク時でも1/3をやっと越える程度の勢力にとどまっていたのに対し、韓国では左派勢力ははるかに強大で、「右派勢力(経済発展重視派)」も、大統領選挙の前後では、所謂「心情左派」の人たちを取り込む為に色々な配慮をしなければならない事を私は知っている。そして、残念ながら、「対日強硬姿勢」は、右派にとっても最も迎合し易い事なのだ。

このような状況下で、私は「日韓関係の修復は、現実的な思考をする『良識派』が韓国内で増える事に期待するしかない(従って、急いでも無駄)」と考えるに至っているが、逆に「歴史認識」の問題については、我々日本人自身が、日本人の矜持にかけて、公正で且つ日本の国益にかなう結論を早急に出すべきだと、強く感じている。「未来志向」だけが、如何なる国にとっても、良き将来へと導く唯一の道なのだが、過去の歴史を総括する事なくしては「未来志向」はあり得ない。

現状を極めて歪んだものにしているのは、「過去の歴史の総括」という基本的で最も重要な問題が、「慰安婦問題」や「領土問題」といった基本的に異なった性格の問題と、あたかも同根の問題のように論じられている事である。だから、先ずはこの三つを切り離し、一つ一つを別個に解決していく事が必要だ。

「慰安婦問題」に関する韓国の行動は欺瞞と矛盾に満ちており、この問題を何時迄も言い募っていると、日本人の堪忍袋の緒もいつかは切れ、やがては自国の問題にも波及し、米国をも困った立場に追い込む結果になるような気がする。しかし、この問題を言い立てている人たちには、その事も視野に入れた或る「目的意識」があるのかもしれないから、そうであれば少し厄介だ。この人たちの「欺瞞」と「日韓の友好関係促進を妨害した大きな罪」を断罪するには、もう少し時間が必要だろう。

「領土問題」は、世界中に数多くある問題であり、当面は、現状を凍結して押し問答を続ける以外はないだろう。即ち、「期限を切らない議論の棚上げ」だが、これについては異論もあろうから、別の機会に更めて論じたい。私は、何時の日にかは国際的な調停体制が充実して、多くの問題を平和裏に解決してくれるようになる事を期待しているが、こうなるまでにどのくらいの時間がかかるかは、見当もつかない。情勢が変わって、両者に取って意味のある取引が成立する事を期待する方が、むしろ早いかもしれない。

これに対して、「歴史認識」の問題については、一日も早くすっきりさせる事が日本国自身の国益にもかなう事だ。過去の日本の行動をきちんと評価して、国民的なコンセンサスを確立することは、日本が将来再び誤った道を歩まない為にも必要だし、中・韓との関係改善の重要な第一歩になる上、「日本国の国際的な評価」を高める上でも役立つだろう。

日本が昭和前期に行った事を総括するのは簡単だ。西欧諸国のなりふり構わぬ帝国主義的な植民地争奪戦に遅れて参加した日本は、朝鮮を自国に併合して支配し、満州には傀儡政権を樹立して支配下に置き、中国には種々の権益を認めさせようという野心を抱いた。そして、この為に種々の謀略を巡らせ、最終的には武力による恫喝や武力行使に至った。これは「現在の国際的な道義規範」に照らせば、明らかに「悪い事」だ。

「欧米諸国がやってきた事を真似ただけなのに、何故日本だけが非難されるのか」という恨み言を言ってみても、何の意味もなさない。「悪い事」は「悪い事」なので、これはさっさと認め、今後は「現在と未来」の事だけを語れるようにすべきだ。「実は良い側面もあったのだ」等と言ってみても、上手くいっても「あ、確かにそういう側面もありましたね」と相槌を打たれるだけの事で、本質的な評価は何も変わらない。だから、そんな事を何時迄もくどくどと言っていても、何の意味もない。

これまで関係のなかった他の独立国に、頼まれもしないのに軍隊をいれ、武力による恫喝で条約等の締結を強いる事は、明らかに「侵略」である。それを「進出」などという言葉に置き換えようとしたり、「侵略という言葉の定義は未だ定まっていない(安倍首相)」等と言ったりする事は、問題を複雑にするだけで、将来の日本の為に何のプラスにもならない。

スペインや英国等が過去に行った大々的な侵略行為が現在非難されていないのは、既に相当の時間が経ったのと、彼等が戦争に負けなかったからだ。その事で、日本の過去の行動を正当化するわけには勿論いかない。因に、スペインは米国との戦争に敗れたが、米国はスペインのキューバやフィリピン征服を非難する事はなく、単純にこれらの国を自国の支配下に組み入れただけだ。だから、米国も間接的にキューバやフィリピンを侵略したに等しい。

「慰安婦問題」についての「河野談話」には、「事実関係を曖昧にしたままで、臭いものに蓋をし、拙速に妥協を計った」という批判がつきまとうが、歴史認識についての「村山談話」は、何度読んでみても、私には何の問題も見出せない。事実は曲げていないし、謝罪すべきところはきちんと謝罪している。安倍首相がこの「村山談話」の見直しを示唆した事が、中・韓のみならず、米国の憂慮も惹起した事を、私は極めて遺憾に思っており、安倍首相には早急に「前言訂正」をしてほしいと思っている。

歴代の首相が、毎年の戦没者慰霊式典で「アジア諸国に与えた苦痛に対するお詫び」を繰り返す事に釈然としない思いを持つ人たちがいる事は私も承知している。しかし、「苦痛を与えた」のは事実であり、それが「悪い事」だったのも事実なのだから、相手が忘れてくれるまでは、何十年でも毎年繰り返して言及する事が妥当だ。それで日本が失うものは何もない。

「あの戦争は悪い戦争だった」と宣言する事は、国の為に必死に戦って散っていった将兵たちの魂に対して礼を失すると考える人たちがいるとすれば、それはとんでもない考え違いだ。どこの国でも軍人には命令に従う義務があるのであり、上官の命令に盲従したからといって非難されるには当たらないし、その結果に対して責任が生じる訳でもない。

責任の全ては、戦争を行う事を決断し、それを途中でやめる事を決断しなかった人たちにある。国の方針に従って、無心に戦った将兵たちの心は清らかで、その魂を慰めるのは、人間として当然の事であり、必要な事でもある。その事が、他国の戦争の被害者の魂を傷つける事になるとは私は思わない。従って、死んでいった人たちの心の拠り所だった「靖国神社」という施設を使って、この将兵たちの魂を慰める事を願う人たちに対しては、私は何の違和感も持たない。しかし、この人たちは、「魂の問題」を政治的な議論から切り離す為にも、最低限A級戦犯の分祀は実現し、就友館などの施設は移転するよう、本気で取り組むべきだ。

A級戦犯については、「東京裁判史観」という言葉があり、これについて声高に論じる人たちがいるが、その人たちの気持が私には実はよく分からない。「東京裁判」が「正義を実現する裁判」などではなく、「勝者が敗者を裁く復讐劇」に過ぎなかった事には、誰も異論はないだろう。しかし、「あの審理は極めて粗雑で公正を欠き、戦犯の認定や量刑が妥当であったかどうかは疑問」と、後から論じてみても最早意味はない。この人たちの名誉を回復しようとすれば、諸外国との大きな議論を引き起こし、日本の国際的な評価を著しく傷つける。こんな行為は、「日本は実は無条件降伏などしていていなかったのだ」と主張するに等しく、単純に「卑怯な議論」だと見做されるだけだろう。

あれだけの大戦争を引き起こし、多くの人たちが塗炭の苦しみを味わったのに、「その責任者は実は何処にもいなかったのだ」というわけにはいかない。だから何人かの人たちが戦犯の汚名をかぶるのは致し方のない事だ。彼等にも当然その覚悟はあった筈だ。因に、「東京大空襲」という一般市民の無差別大虐殺を企画した米空軍のル・メイ少将も「米国が戦争に敗れていたら、自分は間違いなく戦争裁判にかけられていただろう。しかし、幸いにして私は勝った側だった」と述懐している。これは原爆の投下を許可したフーズベルと大統領でも同じ事だ。これが戦争というものだ。

戦後長きにわたって、朝日新聞や「進歩的文化人」、社会党や共産党が、あまりに極端な「自虐史観」を広めてきた為、これに怒った人たちは他の極端に走り、日本人は不幸にして二つの極に分断されてしまった。今こそ、「右か左か」というレッテル貼りはやめて、全ての人が「歴史的に何が真実だったのか」「他国への侵略や戦争がもたらす惨禍を防ぐ為には、本当はどうすべきだったのか」「何が自国にとっても外国にとっても公正な事なのか」「これから日本の国際的な立場を良くする為には何をするべきか」「日本は諸外国と共にこれからどういう世界を築いていくべきか」等々という問題を真剣に考え、大いに議論し、一日も早くコンセンサスを作っていくべきだ。

以前にもアゴラで書いた事があるが、最後にもう一度私の持論を申し述べさせて頂くなら、私は、一日も早く憲法を改正し、その中で「自国の自衛権とそれに必要な戦力」についての明確な定義を行うと共に、その「前文」に下記の文章を入れるべきだと考えている。

「我々は自国の主権を断固として守り、同時に、他国の主権を決して侵さない事を誓う。過去においてこの決意が十分でなく、他国の主権を侵した事があった事については、深く反省し、同じ過ちを決して繰り返さない事を誓う。世界の恒久平和を強く希求する我々は、如何なる国も、如何なる場合においても、武力に訴えて国際間の紛争の解決を図る事がないように、同じ考えを持つ他国と深く連携して、最大限の努力を行う事を誓う」