キドニーパイ。腎臓のパイのことです。そんな料理があるのです。
臭いです。
32年ぶりに喰いました。イングランド中部、グロスターという地の、ふとしたパブで。
コッツウォルズ地方といい、なだらかな丘の稜線が緑や黄に染められ、実に美しい。
ウォレスとグルミットに登場するショーンのような羊たちが点在してコッチを見ています。
今日は、単なる想い出話です。ためになる話は、ありません。
1981年でした。大学3年生、20歳でした。初めて海外に出ました。
貧乏学生にお金はありません。知人のつてで、京都府南部 山城町のライオンズクラブが主催する短期交換留学制度に申し込むチャンスを得ました。それは良家の子女がカナダやオーストラリアといった国の当たり障りのない町の良家にステイする仕組みでした。
でもぼくは、英国病でくたびれはて、パンクスが暴動を起こし、アウトローが占拠するロンドンに行きたかった。よどんだ現状を破壊して、何か次のムーブメントが起こりそうなイギリスを見たかった。鉄の女、サッチャー首相が就任して2年、まだ英国再建の成果は出ず、フォークランド紛争の勃発する1年前のこと。— そのころのことはブログにも書きました。
「マーガレット・サッチャー 鉄の女」
http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2012/04/blog-post_21.html
ライオンズクラブには無茶な申請をしたのです。当時の会長が福寿園の福井社長。行かせてやったらええ。そうおっしゃっていただき、実現しました。感謝しております。伊右衛門をいつも飲んでおります。
イギリスに着いたが、様子がおかしい。どうやら現地のライオンズクラブが受け容れたものの、ステイさせてくれる家庭が見つからないという。ウェールズの大学の寄宿舎でブラブラしていて、脱出してロンドンを見回ろうと企てるも、それは危険だからと足止め。
みかねて、グロスターのご家族が引き取ってくれることになり、転がり込みました。イギリスで一番美しいと言われる地域。田舎です。ギラギラしたパンクはおりません。滞在中に一度、スージー・アンド・ザ・バンシーズがやってきたのでライブに行ったんですが、それだけです。
何せ81年の夏。ロイヤルウェディングで沸いているイギリスです。どこも英国病を一時忘れて浮かれておりました。ぼくもその様子は滞在した家庭でテレビでじっくり見ました。
その後、滞在中に、ロンドンに何度も足を運びました。一番の目的は、レコードを買い込むことであります。メジャーデビュー前のスクリッティ・ポリッティやら、スリッツやレインコーツやリリパットなどガールズバンド初期のお宝ものをうんと買いました。そのお金だけはバイトで貯めて持ってきたのです。何せ81年の夏。こちとら少年ナイフ結成の半年前のことです。
ぼくは、2年前に登場したウォークマンを携え、PiLとXTCとコステロと、そして日本モノではアーントサリーのPhewが西ドイツでCANのホルガーシューカイとジャッキリヴェツァイトというとんでもないメンバーと作ったレコード、その4本をテープに収め、常に音を鳴らしながらうろつきました。
ロンドンは、ギラギラしていました。乱闘もありました。危ない目に遭いました。モヒカン、ノイズ、安全ピン、シンナーのニオイ、タトゥー、爆音、視聴覚、嗅覚触覚、やばいやばい。気絶、というのを初めて体験したのもロンドン。そのあたりは、機会があればいずれ書きます。今日はそれはいいや。今日はのんびりしたおはなし。
田舎の村です。晩ご飯はたいてい、肉を煮たものと、グリーンピースとジャガイモが出て参ります。イングランド料理に対する評判には悲壮なものがありますが、たっぷり肉が出てくるんだから20歳のガキは幸せです。
朝もトマト焼いたのとかブラックプディングとかビミョーなものが出てきますが、カロリー満点です。昼前にはティータイムとやらがあって、ランチも大量で、おやつにまたティータイムとかでウルトラ甘いスコーンとか喰うし、道行く人はドラム缶みたいな男女ばかりで、当時肥満が大問題でした。
でもスキですイギリス人。右手ナイフと左手フォークを持ち替えるのは「敗北」だと何度も聞かされました。アメリカ人はフォークを右手に持ち替えてすくったりするが、それは田舎モノの所業だ、とイギリスの田舎モノは言っておりました。
肉を小刻みにして、ジャガイモをプツプツ刻んで、まずは左手のフォークの先に右手のナイフでジャガイモを刺し、フォークの背にナイフで肉片を乗せ、さらにグリーンピースを数個、右手で上乗せし、左手で口に運ぶ。それをひたすら高速に繰り返す。三角食べの、もっと厳密な、ミニチュアなやつ。
習得するのは大変でしたが、こちとら西陣の職人の孫、意地でもやってやろうってんで、2週間ぐらいかかりましたかね。同じペースで同じ感じでフォークナイフ使えるようになったのは。ただし今も続く肩こりはこのころが起点のようです。帰国してすぐ右手スプーン男になりましたけど。
スキだなあと思ったのは、その家庭に5歳の男の子がいて、スパゲティが出てきたときに、まぁ頑固なんですよ。スパゲティを右手ナイフ左手フォークで切り刻み、先っちょにちょっと麺はさんで、背中に麺乗せて、喰ってるんです。いや~おまえラーメン屋でも敗北を認めないイングランド人になりそうだな。
何しにイギリスに来たんだ。 とよく聞かれたので、「我が輩は本場英国の金融システムを学び、ゆくゆくは日本銀行でバンカーになるつもりであります。」と心にもないが英国人が喜びそうなことを吹聴していたところ、みどころがあるやつだ。みたいなことで、近くの立派なおうちに連れて行ってもらい、ごちそうをいただくことになりました。
(数年後、一応、就活で日銀を受けてみることとし、一次会場の京都支社に出向いたところ、最初の面接官に「第一希望はどこだ」と聞かれ、「郵政省」と答えた瞬間に「ケンカ売りに来たのか」と帰らされたことをご報告しておきます。)
その立派なおうちで登場したのが、「キドニーパイ」です。伝統料理で、ごちそうなのだそうです。え~、腎臓やんけ。くっさ~。えげつな~。フランス人がコウモリの胃袋割いて未消化の蛾の目玉をごちそうとか言って喰うという話を中学の授業で聞いたことがあるが、あんたらも喰うもんがなくてこういうのをごちそうと思っているのか。なんてことを指摘する英語力はなく、でもニコニコと喰っておりましたところ、なんだか口になじんできまして、おいしくなってきて、完食。
すると家のオーナーが、「これを平らげた客人は初めてだ!」と大喜びだ。みどころがあるやつだ、とか言う。なんやねん、ドッキリかい。
でもね、このパイ、それからお目にかからなかったんです。腎臓料理はスキになってしまい、フランスでもたびたびいただきました。パリに赴くたび喰ってます。肉食人種の好む部位なんだな。でも、この独特のグチャーとしたソースと臭い肉とパイの組み合わせ、ほとんどの日本人が好まないであろう料理、長らくお目にかかりませんでした。喰いたかったんですよ。
32年ぶりのコイツ、うん、これこれ。この臭さ。地ビールはWADWORTHだね、そうだよね、そいつとやる。変わらないね。訪れたのはたまたまダイアナ妃の16年目の命日。こちとら歳とって変わったがね。
イギリスにも動きはありました。グロスターの町の大聖堂は、ぼくが滞在して20年後、2001年「ハリーポッター賢者の石」の、ホグワーツ魔法学校です。そうか、そういやこの界隈の雰囲気がハリーポッターの世界だ。
なんてミニ知識に感じ入っていたら、パブ横の建物に、見慣れたクルマがあるぞ。おい、おまえ「BRUM」じゃないか! 95年ごろ、NHKの日曜の夕方、ニャンちゅうの番組でいつもやってたショートコーナー、クルマが動き出して騒動を起こす、BRUMの実物と、あ、ここはその車庫だね、いつもテレビで見ていた。そうか、ここだったか。
ステイして15年や20年たって作られた映像を、日本でそれと知らず見ていて、それからまた18年たって現地で遭遇する。うん、長く時間がたつって、そんな感じだよね。
グロスターでステイしたお宅を探し出して訪れようとしたのですが、当時の記録を全て失い、手がかり不十分で突き止められませんでした。この新しい宿題を解くために、またいつか訪れます。
編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2013年11月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。