1.「潰すリスト」を作って元市職員がなりすまし
久しぶりに実家に帰ってテレビをつけると見慣れた市役所が映っていた。気づくのに5秒くらいかかったが自分の住む町の市役所である。元職員が逮捕。え、あの市役所ってそんな危険な人が働いてたのと驚いた。
元職員は住民基本台帳システムから不正に入手した個人情報を使って、他人名義の虚偽の確定申告書を税務署に提出して有印私文書偽造・同行使と業務妨害の疑いで逮捕されたというのだ。
被害者は以前、市に住んでた女性。2年間で6200万円の収入があったとする確定申告をされたらしい。その理由がその女性と容疑者が窓口対応でトラブルがあり、「仕返しするつもりだった」という。さらにパソコンには137人分の市民の個人情報が入っており「潰すリスト」化していたから恐ろしい。
2. 問題があるのは住基ネット?
本事件に関しては、問題があるのはもちろん容疑者であるのは間違いないとして、住基ネットの運用体制には問題がなかったのか?日本経済新聞によると、住基ネットは市職員であれば誰でも閲覧可能だったという。
確かに私も銀行員時代、顧客の預金データは行員であれば原則誰でも検索はできたので、職員であれば誰でも閲覧できたという体制は仕方ない面もある。
こういった事件が起こると、情報漏えい等の職員による犯罪を防ぐためには職員の性善説を前提に運用システムを構築すべきか、性悪説を前提に構築すべきかといった議論がなされることがある。
結局、どっちを取るべきなんだろう?
3. 性善説か?性悪説か?それとも
性悪説は荀子(じゅんし)が説いた。人は生まれながらに良い人である、ただ後天的に悪いことを覚えるのが性悪説。性善説は孟子(もうし)。人は生まれながらにして悪い人である、ただ後天的に良いことも覚えるのが性善説。結局、どちらでも良いことも悪いこともやるのだが、そもそも人間が根本的にどっちかなんて神でない私には分かるはずもないし、誰にも分からない。
じゃぁ、答えが出ないじゃないかということにいつもなっているのだが、私は告子(こくし)が唱える性白紙説が一番現実を表しているのではないかと思う。性白紙説というのは、人間はそもそも悪い良いもない。その後の後天的な環境で良くも悪くもなるという説だ。
つまり、住基ネットしかりその他の自治体システムの運用も、その職場の環境の良し悪しで職員が悪いことをやる人になるか、悪いことをやる人になるか決まるんじゃないかと思う。
よって、これからこの事件等をきっかけに住基ネットなどの運用体制について議論されていき、セキュリティーなどを強化していったりしようという声が出てくるんだろうが、結局はそのシステムを扱う職場の「悪いことはできない、やらない」といったモラルを高める環境が一番求められるのではないか。
東猴 史紘
元国会議員秘書
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