意識高い系について --- うさみ のりや

アゴラ

久々にいわゆる「意識が高い系会合」に参加してしまって、時間を無駄にしてしまったと大変イライラしている。

本来「意識が高い」とは「問題意識が高い」ということなので悪いことではないはずなのだけれど、これが度が過ぎると「意識高い系(笑)」へと昇華する。「度が過ぎる」とはどういうことなのかというと、世の中の情報収集して将来に関する構想を膨らませているうちに「自分の意識の中の妄想」と「現実社会に置ける自分」との区別がつかなくなってしまった状態のことだ。


ビジネスであれば経営学の勉強で企業のケーススタディをしたり、テクノロジー・スタートアップ系のwebメディアなどでニュースを集めているうちはいいのだけれど、そのうちスティーブ・ジョブズや孫正義やジェフ・ベソスやマーク・ザッカーバーグといった偉大な起業家たちと自分を重ねるようになり「おれもいつかこうなるんだ」などと言い出す。こうなると完全に「意識高い系」ということなんだと思う。

自分自信でコントロールできる日常の世界から意識が完全に外れた高みに達してしまって、意識のみが空虚に一人歩きして現実が置いてきぼりになっている状態だ。周りから見ると滑稽きわまりないのだが、本人は妄想の世界で生きているのでその滑稽さが分からず、逆にその妄想を共有しない人達を「意識が低い」とバカにしだす。しかしながら意識だけが高い人は現実の行動がついてこないので、ビジネス・政治・学問、あらゆる面で現実は彼らに容赦ない仕打ちを与えるわけだが、そうなればなるほど彼らの意識は高みに達する。言ってみれば彼らは現在の「阿Q」である。妄想の世界のまま生きて、社会に役立たないまま空虚な時間を過ごす。

そんな彼らに言いたいことは「一生懸命勉強して意識ばかり高めているお前らなんかより、目の前の一人の人間のために働いているお前らが馬鹿にしてるおっさんの方がよっぽど社会の役に立ってるわい。このバカちんが」ということなのだが、そうすると「この人は意識が低い」と一刀両断されてしまうのみで何の意味も無い。仕方が無いのでずっと真面目な顔してパソコンいじってメモしてる振りをして、3年ぶりくらいに連絡が来たキャバ嬢とLINEをしながら時間を過ごした。あ~なぜこのような会合に出てしまったのか。覆水盆に返らず。

ではでは今回はこの辺で。


編集部より:このブログは「うさみのりやのブログ」2014年3月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はうさみのりやのブログをご覧ください。