STAP細胞は単なる仮説のひとつに戻った

2014年04月03日 07:53

この2ヶ月間というもの、日本の自然科学研究の最高峰である理化学研究所で起こった科学スキャンダルの話題で世間は持ち切りだった。1月末に、同研究所の発生・再生科学総合研究センター所属のユニットリーダーであった小保方晴子氏らがSTAP細胞という万能細胞の画期的な作製方法を英ネイチャー誌に発表したのである。しかし、その後、世界中の研究者が論文の様々なおかしな点を指摘しはじめた。また、幹細胞の研究を行っている世界中の研究所で再現実験が試みられたが全て失敗した。こうして論文の信頼性に大きなクエスチョンマークが点灯した。これまでの経緯は、筆者のブログにまとめてあるので、読んで頂きたい。
(筆者のブログは、アゴラのような言論サイトではないのでややくだけた表現になっているが、その分読みやすいだろう。少々長いが、今回のSTAP細胞捏造疑惑に関して何らかの意見を述べるなら、最低でもこのぐらいのことは知っておく必要があり、中学生レベルの生物学の知識があれば簡単に理解できるはずだ)

いまさら人に聞けないSTAP細胞と細胞生物学の基礎
いまさら人に聞けない小保方晴子のSTAP細胞Nature論文と捏造問題の詳細 その1 TCR再構成と電気泳動実験
いまさら人に聞けない小保方晴子のSTAP細胞Nature論文と捏造問題の詳細 その2 TCR再構成を否定した3月5日の理研の発表とコピペ問題
いまさら人に聞けない小保方晴子のSTAP細胞Nature論文と捏造問題の詳細 その3 テラトーマの画像使い回しとキメラマウスを作った若山さんが憤る


STAP細胞捏造疑惑は連日ワイドショーで報道された。3月最終週の週刊誌のトップ記事は全て「小保方晴子」という過熱ぶりである。そして、多くの識者がこの件に関して発言し、意見を述べている。正直に述べると、筆者から見て、そうした意見のいくつかはかなり的外れのものが含まれている。その一方で、学術誌に論文を書いた経験がある自然科学の研究者たちの今回の捏造疑惑に対する見方はかなり一致している。筆者自身が、かつては自然科学の研究者であり、その後は金融機関に勤め、文筆業をしているという経緯があり、こうした科学者たちのものの見方が一般の方々に伝わっておらず、少々もどかしい思いをしていた。そこで今回は、なるべくわかりやすく、STAP細胞に関して、現時点でわかっていること、そして科学者の見方を整理しておこうと思う。

その1 仮にSTAP細胞があったとしてもすでに医療への応用のメリットは乏しい

残念ながらワイドショーレベルではこうしたことも理解されていないのだが、STAP細胞という特別な細胞があるわけではない。これは名前が悪いのだが、STAP細胞というのは、細胞の名前というよりは細胞の作製方法を表す言葉だ。どんな細胞を作るのかというと、多能性幹細胞、通称「万能細胞」である。万能細胞は神経細胞にも筋肉の細胞にも何にでも分化できるので、究極的には、イモリの脚が切れて無くなっても丸ごと脚を再生できるように、人間の医療に応用できれば画期的な治療法になると言われている。すでに、ES細胞、iPS細胞という、人間の万能細胞を作り出す技術があり、それぞれに利点があり欠点がある。

今回、ネイチャーで発表されたSTAP細胞は、幼いマウスの体細胞を酸に晒して刺激を与えることでマウスの万能細胞を作り出すという技術だ。当初は、それが非常に簡単で、紅茶ほどの酸に晒すだけで万能細胞が作れるという話だった。

しかし、この分野の世界のトップクラスの研究所がSTAP細胞を作ることに全て失敗し、理研も小保方氏の実験を再現出来ていない。そして、小保方氏も自分で再現出来ていない。これはつまり、百歩譲ってSTAP細胞が捏造でなかったとしても(いまとなってはその可能性は非常に低い)、それを作るのは極めて難しいということだ。だとしたら、これからマウスから他の動物、人間と実験を進めていく果てしない工程があり、極めて楽観的に見ても、応用への可能性は限られたものとなろう。すでに人間で成功し、臨床試験に入っている既存のES細胞やiPS細胞などに比べて優位性を見つけるのは難しい。

その2 STAP細胞の学問的な価値はあるが小保方晴子氏らがその権利を主張するのは難しい

自然科学の分野では、新しい知見を最初に誰が発見したのか、というのが重要だ。そして、これは学術論文に最初に誰が発表したかで決めるのが、科学社会のしきたりである。今回のネイチャーの論文を見ると、次のような日付を見つけることができるだろう。

Received 10 March 2013, Accepted 20 December 2013, Published online 29 January 2014

最初の”Received”がネイチャーがこの論文の原稿を受け取った日、”Accepted”がネイチャーの編集部とネイチャーが依頼した同分野の査読者たちが確かにこの論文は出版するに値する新しい重大な知見があると認めた日だ。そして最後の”Published”が皆に公表された日だ。

重要な新しい法則が発見されると、〇〇の法則などと発見者の名前が付いて教科書に載ったりする。その後の分野の流れを変えてしまうような重大な発見は、後にノーベル賞などの賞を受賞するかもしれない。そして、誰がその第一発見者なのかというのが、この”Received”で決まるのである。自然科学の研究者は、お金よりもこうした名誉のためにがんばっていると言っていい。

しかし、ここでデータがいい加減で、ときに捏造されていても、とにかく最初にアイディアを学術誌に送って論文にしちゃったやつが勝ちなんてことになったら、科学社会の秩序が崩壊してしまうのが想像できるだろう。なんの実証もない仮説をどんどん学術誌に送って、後で誰かがそれを実験などで確かめたら、その最初にアイディアを送ったやつの手柄になるのだろうか。もちろん、そんなことはない。だから、研究においての不正行為というのは、許されてはいけないのだ。

ところが、何が不正行為で何が不正行為でないのか、その境界線を決めるのはそれほど簡単ではない。そして、小保方氏のネイチャー論文は、発表からすぐに様々な写真の不自然さや、他の論文の無断コピペなど、不正があるのではないか、と国内外の多くの科学者や識者が指摘していた。そして、筆者は何を隠そう、小保方氏の論文のこうしたコピペや多少の間違いは本質的な問題ではなく、この論文の根幹はSTAP細胞が確かに作られたということなのだから、と彼女を最大限に擁護する側であった。筆者自身が、特に実績もない若手が、しかも女性という科学社会のマイノリティが、生命科学の世界に風穴を開ける大発見をしたというニュースに大変痛快な思いをしたからである。

しかし、残念ながら、多くの本質的な部分の実験データに捏造が確認され、さらに共同研究者の若山照彦氏(小保方氏から受け取ったSTAP細胞からキメラマウスを作り万能性を証明することを担当)が冷凍保存していたSTAP細胞を第三者機関に送付し遺伝子解析を依頼したところ、それはSTAP細胞を作ったとされるマウスのものではなく、ES細胞を作るときによく使われるマウスのものだった。こうして、小保方氏らの論文から、STAP細胞ができたとする証拠がひとつもなくなってしまった。さらに悪いことに、その後に見つかった小保方氏の杜撰な博士論文が、やはりそういう不正をしてもおかしくない人物だという印象を内外の科学者に与えた

小保方氏らが発表したSTAP細胞発見の研究成果は、すでに論文としての体をなしていないのであり、もはやSTAP細胞は完全にただの仮説になってしまったと言っていい。つまり、一からやり直しであり、もはや小保方氏らの研究はゼロに帰したのである。今後、仮に世界のどこかでSTAP細胞が作られたとしても、その第一発見者としての地位を小保方氏らが主張するのは難しいだろう。もっとも、すでに多くの科学者が再現を試みていて、全て失敗し、いまとなっては応用上のメリットもそれほどないということが明らかになったので、他の研究機関がこのプロジェクトを行うかどうかはかなり疑問ではあるが。

先日行われた理研の調査委員会の発表では、野依理事長が「理研の研究者が発表した論文が科学社会の信頼性を損なう事態を引き起こしたことに対し、改めてお詫びを申し上げます」と謝罪した。そして、ネイチャーの論文はまだ撤回されたわけではないが、同誌のウェブサイトでは、我国のノーベル学者が深々と頭を下げる写真がトップニュースを飾っていた。

野依頭下げる
“Stem-cell scientist found guilty of misconduct,” Nature News, 01 April 2014.

その3 理研のSTAP細胞の疑義に関する調査報告は概ね順当

4月1日に行われた、前述の調査委員会の発表では、次のことが確認された。

小保方氏:
2つの点について研究不正行為があった。

若山、笹井両氏:
研究不正行為はなかったが、データの正当性と正確性等について自ら確認することなく論文投稿に至っており、その責任は重大である。

丹羽氏:
論文作成の遅い段階でこの研究に参加したものであり、研究不正行為は認められなかった。

つまり、一連の捏造は小保方晴子の単独犯ということであり、笹井氏をはじめとする論文の共著者たちは結果的にこのような論文を投稿した責任はあるが不正行為自体はなかった、とするものだ。これはトカゲの尻尾切りだの、さまざまな陰謀論がネットで飛び交っているが、筆者は事実をかなり正しく反映しているものと思っている。

今回のSTAP細胞のプロジェクトにおいて、実際の実験に関わる立場にあったのは、おそらく若山氏と笹井氏だけである。これは実際に大きなラボに所属して分業体制で研究をしことがないと想像しにくいかもしれないが、小保方氏だけがSTAP細胞作製実験に関わり、若山氏と笹井氏が別ラインで再現実験をしなかったり、不正が行われていないかチェックしなかったのは、筆者にはとても自然なことに思える。

まず、若山氏は最初からキメラマウスの作製が担当である。与えられたSTAP細胞の万能性を証明することが仕事であり、その細胞が正しく作られているかというのは小保方氏と彼女の上司である笹井氏に任せて信じるしかない。逆に言えば、小保方氏は信用できないから、細胞作製も俺がやる、なんて言い出したら、共同研究者としての信頼関係が崩壊してしまう。また、小保方氏も自分の手柄を盗られると思うはずであり、現実的にはそんなことはなかなかできない。笹井氏にしても、これほど大きな研究グループの副センター長であり、このレベルのマネジャーになれば、所属研究員の実験に直接関わることは難しいだろう。上がってきたデータをいっしょに見て議論し、足りない実験の指示をしたり、不備を指摘して、それらの実験結果を組み立てて、いっしょに論文を書いていくだけである。実験データそのものが捏造されていたら、それに気が付くのはかなり難しいだろう。

共同研究というのは、完全に性善説に基づいて行われているし、科学社会そのものが性善説の上に成り立っているのだ。有能な科学者もいるし無能な科学者もいる。科学者はときに解釈を間違えたり、単純なミスもする。しかし、少なくとも科学者は嘘を付かない、という前提で全てが動いているのである。だから、嘘を付く人がひょっこり現れると非常に脆いのだ。

また、性善説でいいという根拠も十分にある。というのも、自然科学の研究で嘘を付くメリットというのはほとんどないからだ。ビジネスなら嘘を付いてでも儲けて勝ち逃げすればいい、というインセンティブがあろう(筆者はもちろんオススメしないし、長い目で見たらビジネスでもずるは報われないと思っているが)。しかし、自然科学の研究で嘘を付いても、瞬く間にそれはバレてしまうことが、今回の事件で明らかになったではないか。そして、自然科学の研究では嘘がバレる前に儲けてしまうこともできない。まともな科学者が意図的に嘘を付くとは考えづらいのである。だから、今回の事件で、理研が発表したように、一連の捏造が小保方氏の単独犯である、というのは順当なのだ。

こうして、STAP細胞はただの仮説に戻ってしまった。つまり、科学としてのSTAP細胞の話はすでに終わったと言っていい。あとに残っているのは、不正研究により不正に費消されてしまった研究費(これはもちろん国民の税金から来ている)の賠償などの法的責任の問題や、一連の不正研究が起こってしまった結果責任を誰に負わせるかという理研の中での人事の問題、また、STAP細胞のプロジェクトで文科省の官僚や安倍首相などの政治家から多額の研究費を理研に引っ張ってくる約束を取りつけ、結果的のメンツを潰してしまった政治の問題などが残っているだけなのだ。

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