性犯罪というのは、一度おこると処理が難しい。たとえば、強姦犯を死刑にしたとする。これが被害者の救済に繋がるかと言えば、そうとは限らん。「加害者は処刑されました。殺人と同等の凶悪犯罪を犯したからです。つまり、レイプの瞬間、あなたは人格的に死にました」というメッセージが自動的に発信されてしまう。
刑罰の軽重を被害の重大さで設定する文化では、極刑は致命的被害の証拠。イスラム圏のように「神を裏切ったから死刑」という、別の論理があればで便利やけど、近代国家の刑法体系では無理な話やろ。
同じ凶悪犯罪でも殺人・強盗・傷害・放火は、被害の程度が可視的やから、こういう問題はおきにくい。ところが、性犯罪の被害は抽象的や。仮に宇宙人が地球上の全女性をアブダクションして検査しても、そのうち何人が性被害経験者かを推定するのは無理やろ。物理的な痕跡はないんやから。事件は現場でおこっているんじゃない。被害者の心の中でおこっているんだ……厄介な話や。
そやけど、被害自体は軽微ではない。レイプ経験が全くトラウマにならない女性は皆無やろ。石坂洋次郎の小説に、被害者が自分の「子宮を切り取りたい」と言い出した話がある。実際にも、こういうこともが少なくなかったんやろな。
「子宮を切り取る」つまりケガレの除去。ケガレを規定しているのは文化や。一回風呂を浴びたら全部チャラという、獣じみた文化圏(あるかどうか知らんで)なら、ケガレの被害は軽微やろ。
SEXというのは不思議なものや。至高の愛情表現やったり、日常の夫婦の営みであったりする行為が、相手と状況が変われば、殺人や放火に匹敵する凶悪犯罪になる。心理学者の岸田秀は、ケガレの正体を、女性の肉体の使用価値の損傷という露骨な差別の結果として説明している。
実例として、強姦被害にあった妻を離縁した男の話があげられている。岸田の説明は、犯人がタダで使用できたものを、高い金を払って扶養する必要は無いと夫が思った、という論理やった。究極の女性差別やが、岸田に言わせれば人類の社会全体が女性の商品化の上に立脚しているという議論やから、こういう話になる。
かなりの極論やが、この仮説なら、ケガレの正体がかなり納得できる。つまり、今後、高額の取引が可能であった「自分と独占的にSEXする権利」(普通「貞操」と呼ばれる)が回復不可能な方法で損傷されたということや。露骨な女性差別やが、今でもこの思想は残存していると思う。強姦事件の被害者が処女の女子大生か、勤め帰りのソープ嬢かが、刑量はともかく民事の慰謝料請求には反映されるはずや。人権とは相容れない別の価値観が社会に伏流している。
これで考えれば、山田高明センセの疑問、 従軍慰安婦問題ではなぜ“被害者家族の抗議”がないのか? に一定の答えが出る。
まず、「なんで家族の」という論点はわかりやすい。本人以外が性被害を言い立てると、「肉体使用権としての貞操」という構図が露骨になって、美人局みたいな話になってくるからや。ならば本人はどうか。
従軍慰安婦の戦後の運命は次の4通りに分けられると思う。帰国出来なかった人、帰国したが社会に溶け込めなかった人、帰国後も自分の意思で「慰安婦」を続けた人、一般女性に戻った人や。
敗戦のどさくさで殺害されたり朝鮮に戻る前に死亡したりした人。これはかなり日本軍に責任がある。前にも書いたが負けた責任や。帰国したが、汚れた女として故郷から追い出されたような人にも、軍には同様の責任がある。ただし、つまはじきにした朝鮮人の側の責任も、忘れてもろては困る。日本人に対する抗議については、前者は声の挙げようもないし、後者もそれどころやなかったやろ。
3番目のタイプ。これは職業的な娼婦で純粋の軍属や。こういう人に対して謝罪や賠償やらと言って、売春行為をケガレと認定するのは逆に失礼な話や。当然抗議なんかせん。
個人的には恐らく、最後のタイプが大多数やないかと思う。帰国後、故郷で連れ合いを見つけたりして、それなりに平穏な人生を送っている人たちや。わざわざ名乗り出てくるはずがないがな。
そのうえ、儒教文化の韓国で、しかも時代が時代や。恥辱の過去をホジクリ出すなという圧力は、今とは比較できんほど強かったやろ。そうこうしているうちに、日韓基本条約締結。これを結んだ以上、韓国政府としては、慰安婦などという「想定外」の新たな被害が、今更、発覚しては、面目が丸つぶれや。黙っている理由が幾重にもなって、だれも名乗り出てこんわけや。
ではなんで、今になって問題が噴出し出したか。最初に、慰謝料目当てのゴロツキや、エエ格好したい政治家が騒ぎだしたのがキッカケというのは確かやろが、あそこまで騒ぎが拡大するのは、国民的な屈辱感が背景にあるように思う。
つまり「女性と独占的にSEXする権利」を、大量に他民族に召し上げられたという屈辱や。当時のルールでは合法やったとか、朝鮮にも協力者がいたとか言っても、全く意味が無い。それも含めての屈辱なんやからな。
賠償金も逆効果になりやすい。安いと思われるような金額ならバカにしたことになるし、大盤振る舞いすると今度は、改めて被害の大きさを再認識させることになる。冒頭の死刑の話と同じ厄介な問題や。慰安婦以外でも、日本が謝れば謝るほど朝鮮が怒り出すのは、このメカニズムがあるんやろな。
効果的な対策はない。あるはずがない。ただ、日本人として出来るのは、前回書いたように、まず感謝することやろう。「あなたがたの貞操を踏みにじったのではありませんが、利用させていただきました。本当に、ありがとうございました。」という立場を明らかする。
具体的には、従軍慰安婦の貢献を永遠に忘れないために、例の慰安婦像(のレプリカ?)を靖国神社が自主的に建立するというのも一案やが、それだけの度量が、日韓の双方にあるとは思えんわな。「日本人はヤスクニで平和を祈る」という言葉の説得力が、大幅に増すんやがのう。
被害者の心の中で発生した性被害が、民族の意識に屈辱感として受け継がれている。ここまで抽象的な問題を、具体的な賠償や形式的な謝罪で解決すること自体、最初から無理な話なんやと思う。
今日はこれぐらいにしといたるわ。
帰ってきたサイエンティスト
山城 良雄