謝罪というのは難しい。ワシも学生時代から苦手やった。謝罪の姿勢で、謝罪の言葉を述べていて、も全く謝罪にならないこともある。
たとえば、出向いていって顔を見るなり、いきなり土下座して「郵便ポストが赤いのも電信柱が高いのも、みんな私が悪いんですわ。誠にすんまへん。死んでお詫びを」と早口で4~5回繰り返して、相手の顔色が変わったら走って逃げる。どう考えても、赦してもらえる訳がない。内容が100%ウソやからな。
酒井センセがおっしゃる。メールで謝罪するグーグルに関しても同じ事やと思う。ちなみに、ワシも謝罪はメールでいただいた方がええ。それよりも実質や。
たとえば、アゴラのワシの原稿料が1字あたり1億円で、「句読点の分がはいってへんやないか、、、、、。。。。。」と文句を言ったとき、スタッフが自宅まで飛んできて、いきなり土下座して「郵便……<以下同文>」と対応されるより、「弊社の規定により句読点の分の報酬はお出しできませんが、次回の原稿より一文字あたり3億円にさせていただきます」とメール一本で済ませてもらったほうが、よほど嬉しい。
謝る方も同様や。10万人規模の在〇会のデモと、数十台の街宣車が取り囲むアゴラ編集部で、いきなり土下座して「郵便……<以下同文>」より、メールで一言「やばいこと書いてごめんな。せいぜい頑張ってくれや」……さすがに、これはアカンか。
謝罪のミッションとは、基本的に相手の感情の緩和や。グーグルの例も、この点では明らかに失敗や。鉄道会社というのは、事故やら遅延やらで日常的に謝罪をしている連中や。彼らなりの謝罪の仁義、言い換えればプロトコルがある。
「下手こいた以上は指を詰めんかい」というプロトコルに、ドラえもんは対応できない。プロトコルに外れた謝罪は、もとの怒りに自分たちの文化をムシされた怒りが倍加され、学生時代のワシと同じ事になる。
ここで話が急に飛ぶ。従軍慰安婦問題。一言で言えば、どう謝罪するかという話や。河野談話にしろ村山談話にしろ、談話の主体はどう考えても「加害者」本人ではない。よりにもよって政治家としては、売買春と最も遠い世界にいそうな二人に、慰安婦向けのプロトコルで謝罪文を書けというのは、最初から無理な話や。
そやから、日韓の利害関係者で作文することになる。事実関係がよう分からんから、広義の強制性やら軍の組織的関与やら、話が抽象的でウソっぽくなり、何を謝ってるのかよく分からんようになる。
あれで満足しているのは利権がらみ政治家だけや。肝心の元慰安婦からは「これで過去を水に流すことができます」という声はもちろん。「馬鹿にするな。人生を返せ。処女を返せ」という怒号さえも(あったにはあったが)、ほとんど聞こえてこなかった。当時から、完全にスべっておったわけや。
ひとつ、慰安婦向けのプロトコルを考えてみか。
まず強制性の問題。資料は出てきていおらんが、さすがに、全く無かったというの無理。常識の問題や。高給の募集広告が新聞に出る状況を考えたら、詐欺や強圧で女性を集めようとする輩がウヨウヨおったはずや。ただし、言葉の問題やら地縁血縁を考えたら大部分が朝鮮人やったはず。これも常識の問題や。
ただし、当時朝鮮が日本の統治下にあったことを考えれば、こういう状況を許してしまった管理責任は大きい。実際、慰安婦の不適切な方法での募集を取り締まる通達が軍内部でも出されている。つまり謝るべきなのは、軍の関与があったことではなく、きちんと軍が関与しきれなかった管理責任や。謝罪の方向が全く逆になっている。
謝罪の方向という話では、もう一つ頭の痛い問題がある。そもそも売買春を許容するのかということや。愛情表現以外の性行為を倫理的に許容するのとしないのとで、プロトコルまで変わってくる。
売買春自体を汚れとして、自由意思によるものまで許容しない立場だと、話が分かりやすくなる。「日本軍人が朝鮮人女性と不適切な性行為をしました。ごめんなさい」。簡単なことや。伝統的な儒教道徳とも相性がいい。
ただし、膨大な数の朝鮮人業者の責任も追及することになる。それどころか、少しでも自由意思の要素があれば慰安婦本人も無垢とは言えなくなる。戦後、韓国政府がベトナムあたりでやったことも当然大問題になるわな。
だから、なにがなんでも朝鮮人慰安婦全員を、「日本人の日本人による日本人のための性奴隷」ということにせざるを得なくなる。完全なウソや。さらに、この極論を認めたとしても、「たとえ殺されても最後まで抵抗すべきだったのではないか」、という重い問いが元慰安婦を苦しめる。だから、売買春の完全否定は謝罪の根底を崩してしまう。
そうは言うても、一部の欧州諸国のように、売買春を社会的に許容するのは日韓の文化を考えれば無理がある。あまり気分の良い話やないけど、「現在では許されないことではあるが、当時の極限状況での自由意思の売買春は許容される」あたりを落としどころにするしかないやろ。さらに、この話は旧日本軍の侵略の正当性(正しい侵略かてあり得る)自体とは別に考えることも必要や。
この立場なら、謝罪の前にまずするべきなのは感謝や。「みなさんが望まない性を耐えてくださったおかげで、私たちの父や祖父たちが、癒やしの機会を得られたことを日本人として心から感謝します」
金で買った女に感謝はいらん? それは違う。なじみの飯屋のレジで「ごちそうさん」と言いながら財布を出すのが日本人や。橋下大阪市長が、売買春を公然と肯定しながらも元慰安婦に忌み嫌われるのは、ここがぬけておるからや。
アジア女性基金が受け入れられてないのも同じ問題やろ。感謝の視点がなかったら、あんなもん単なる涙金や。誰が喜んで受け取るかいな。だいたい、相手を「自分とは違う汚れた女」だとする本音が見え見えのオバチャンたちが行っても、まともに相手されんがな。
感謝とは別に、謝罪に関しても2つの要素がある。まず、さっきの管理責任。もうひとつは、戦争に負けた責任や。慰安婦は、本質的には性という特殊な商品を扱う軍属や。協力させながら肝心の戦争に勝てなかったことは、軍人は絶対に謝らなければならない。
もっともこれは日本人の朝鮮人全体に対する立場でもある。侵略であろうがなんであろうが、戦をはじめた以上、日本は勝つべきやった。日本が負けていなかったら、「北」の成立もなかった。当然、南北分断もなかったわけやから。
感謝と謝罪、似て非なるものやから、プロトコルをはっきり分けておくべきやろ。ここいらへんをアイマイなまま謝罪など口にすると、表面的には(利害のあるやつなどは)納得するが、何年かするとまた問題が蒸し返される。
やはり、いきなり土下座して「郵便……<以下同文>」はあかんな。これは侮辱のプロトコルやがな。
今日はこれぐらいにしといたるわ。
帰ってきたサイエンティスト
山城 良雄