山間部の農地は誰が担うのか

前田 陽次郎

「誰も担わない」というのはナシにします。

最近、「限界集落」という言葉をよく聞く。しかし実際には、言葉だけが独り歩きをしていて、ほんとうに「限界集落」の実態や問題点を把握していないと思われる話が、そのほとんどだと筆者には感じられる。それに関する私見を述べたい。


話は25年ほど前、私の学生時代にさかのぼる。

農村調査のために、中国山地の一番山奥にある、とある村を訪れた。当時はまだ何も知らない学生だったので、ここでは私には想像もできないような、非常に特殊な形態の農業を行っているのだろうと思っていた。

まず役場で村の産業の概要を聞き、それから何軒かの特徴のある農家を教えてもらった。1軒だけ、積極的に稲作をやっている農家がいる、とのことだった。

そして役場を後にし、その農家の自宅に出向き、本人から直接話を伺った。

当然こういう山間地なので、広い農地はない。だから、かなり広範囲の農地(当然、村外の農地を多く含む)の農作業を受託している、ということだだった。話を聞く限り、積極的に農業をやりたい、という強い意思のもとに農作業をやっている感じではなかった。生活しないといけないので、自分に出来ることなら何でもやらざるを得ない、というような、消極的な雰囲気だ。ちなみにこの方、自宅では民宿も開いているので、専業農家ではない。

話をする中で、私がそれより以前に訪れたことのある、海辺の干拓地にある大規模農家の話を出した。この周辺は干拓地だから水田の条件はいいけど、だからこそ逆に誰も土地を手放さない。規模拡大をしようとすると、かなり遠隔地の農地まで借りないといけない。車で片道1時間位かかる所も珍しくない、というようなことを聞いた、と、私からこの農家の方に話した。

すると、ちょっと考えて、「自分もやっていることは同じだ。車で1時間位は当たり前。考えたことはなかったけど、今計算してみたら、この秋は稲刈りだけで、1人で40ha位の作業をした」、という言葉が返ってきた。ちなみにこの頃の稲作農家の一戸あたり平均経営面積は1ha程度である。

この話を聞いて、結局平地でも山間地でも、やっている稲作の形態は本質的に変わらない、ということがわかった。もう答えは出てるじゃないか、と思い、私は自分の研究対象から山間部の稲作を外した。

この村のこの人が特殊な事例なのではない。日本中、ありとあらゆる所に、この程度の大規模農家は存在する。沢山存在する必要はない。1軒いればその1軒が、かなりの面積の農地を担ってくれるのだ。

結局、車で1時間位かかる地方都市に住む人が、山間部の農地まで耕作すれば、農地は維持できるのである。人口3-5万人程度の地方都市から車で片道1時間の範囲となると、日本全体で山間部まで含めてかなりの部分をカバーできる。

私がこの話を聞いてから、もう四半世紀が経っている。その間どうなったかと言えば、ゆっくりではあるが、ここに書いた流れが広がっている。そしてそれは、全国どこに行っても、共通の動きだ。

「限界集落」云々という話の中には、その集落の農地はその集落に住む人間が担わないといけない、という、暗黙の前提があるように感じられる。しかし現実を見ると、決してそうなっていない。今後も限界集落にある農地は、近くにある地方都市の農家が担えばいいのであって、実際にそういう風に流れているのだ。

そもそも「限界集落」という言葉自体、社会学者から生まれたものである。集落がなくなって困るのは、農業などの経済活動ではなく、地域文化の継承などといった、社会学的な側面なのである。経済学的な問題は、ここに書いた通り、もう四半世紀前に答えが出ている。

もちろん狭小な棚田など、遠くから通って耕作するには割の合わない所は出てくる。経済的には見放されても仕方がない。しかしもしそういう棚田に価値があるとすれば、文化財として保護すればいいことであり、やはり現実もその方向で動いている。

経済的な側面と文化的な側面は、きちんと切り分けて議論しなければならない。

前田 陽次郎
長崎総合科学大学非常勤講師