友人を守るということについて --- 宇佐美 典也

2014年07月28日 09:51

小学生のときに大変仲のいい、当時の私にとって親友と呼べる存在がいました。仮に金谷くんとしましょう。当時金谷君と私はお互いが認める親友で、今振り返ると大変趣味が悪いのですが、ある教師が「自分に取って大切な友人を書け」という課題を課した時に、お互いがお互いの名前を書くくらいでした。

金谷君は不器用だけれど芯がしっかりしていて根気強く地味に物事を続けるタイプで、一方の私は優等生のようで飽きっぽくその場その場に器用に順応して状況を楽しむというタイプで、お互い違うタイプだからこそとても息が合いました。サッカーだったら彼はサイドバックやって私がボランチやる、ゲームだったら私がロックマンやグラディウスなどのアクション系を攻略して金谷君はドラクエやファイナルファンタジーといった戦略系を攻略する、学校では私が優等生やれば金谷君がお笑いをやってくれるという感じで、金谷君と私は表裏一体でした。


小学校を卒業すると金谷君は地元の公立の中学校に進学し、私は私立の名門中学に入学し、別々の道を歩むことになりました。中学に入ってしばらくすると「金谷が地元の中学で激しく虐められている」という噂が聞こえて来まして、「そっかー、アイツ大丈夫かな」と不安になり中学2年の時、彼の通う中学の近くまで何度か足を運んでみました。するとある日、学校帰りの金谷君が柄の悪い連中に追いかけ回されてボコボコにされている現場に出くわしました。私は突然のことに面食らい、それを遠くから眺めて「どうしようか、金谷を助けに入るか、誰か呼ぶべきか」と動きあぐねていたのですが、そのうち虐めていた側の集団が私の存在に気づき「おい、お前何見てるんだよ!! こっちこいよ!!」と迫ってきました。

その時、金谷君は私の存在に気づき目が合いました。彼が助けを求めているのは一目でわかりました。しかし私は一瞬の躊躇の後に「すいませんでした」と言って黙ってその場を走りさりました。帰路を急ぎ、自宅の部屋に引きこもり「オレは進学校の生徒だし、受験もあるし、輝かしい未来がある。あんな程度の低い奴らにかまっている場合じゃない。金谷は昔の友達だ。金谷は昔の友達だ。金谷は昔の友達だ。。。」と唱えながら、一人で震えてました。そしてその後二度とその中学には近寄りませんでした。何か大切なものが失われたのは確信しましたが、「これも自分の将来のため」と自分に言い聞かせました。そしてそれ以来私は「自分は一人だ。だからいざという時は、自分で自分を守れるように実力をつける。友人はいざという時頼れない人生の飾りだ。」というスタンスで人との付き合いを続けてきました。

それでもこの時の体験がずっと心残りだったので、高校を卒業して浪人して大学に合格すると、一番初めに金谷君に会いにいきました。金谷は笑顔で「お~宇佐美久しぶり」と言ってくれまして、その後大学時代を通して、一緒に飲み明かしたり、車で旅行に行ったり、ゲーセンやボーリング行ったり、といった遊びをするようにはなりました。でもその笑顔は表面のものでしかなく、彼が二度と私に本心を語ることはありませんでした。そして酔っぱらうとしばしば「宇佐美あの時逃げたよな」と恨み言を吐き、いつのまにか一切の連絡がつかなくなりました。分かってはいたのですが、失った信頼というものは二度と取り戻せないのだな、と痛感しました。金谷君は私に取って生涯最初の親友でしたが、彼の中で私は「自分が一番辛いときに自分を見捨てた”まがいものの親友”」です。

一方友人ではなく自分を大事にして自己研鑽に励んだ結果、東京大学に合格し経済産業省の官僚として7年半を過ごすことになった私は沢山の勲章・ブランドを身に着けてすっかり「出来る男」になった気分になり、2年程前に経産省を退職し独立するわけですが、その後すぐに自分の周りには家族以外ほとんど誰もいないことに気づくことになりました。「自分が仕事ができるから付き合ってくれている」と思っていた人達は、「官僚としての宇佐美君」を見ていたわけで、独立すると潮が引くように私の周りから消えていきました。独立直後、私の利用価値に期待して近づいてきた人達も「何だコイツたいしたコネが無いのか」と知ると直ぐに離れていきました。結局私は人間ではなくシステムの歯車でしなかったのです。誰も信頼せず、自分一人で自己研鑽の努力に励んだ男の結末です。仕方が無いので即席で出会った人々と様々なことに取り組んだのですが、信頼が無い関係に発展は無く、何をしても上手くいかず、直ぐに窮地に陥りました。私が周りの人達を守る気がなかったが如く、周りの人達も私を守る気がなかったのです。

人間は社会的な生き物です。一人では何も出来ませんし、一人になった人間は社会的に死んでいるも同然です。そんなわけで私は当時社会的に瀕死でした。結局どん底の状況で「助けてくれ」と叫ぶように続けたブログがきっかけで、奇特な方々が私の惨状を見るに見かねて、仕事をくれるようになり、少しずつ社会の中に居場所を見つけられるようになってきました。私は人の情けで生きています。

最近よく金谷君のことを思い出します。私が金谷君を見捨てた時、同時に私は「自分を守ってくれる友人」という生きていく上で最も貴重な財産を失ったのだと思います。 だから私が本当に困ったときに助けてくれる人はほとんどいませんでした。「友人を守る」ということの本質は「自分を守る」ということです。友人の痛みは自分の痛みの如く感じ、友人の喜びは自分の喜びの如く感じ、友人の危機には馳せ参じ身を犠牲にして、それで初めて、向こうは自分のことを友人と思ってくれます。

だからこそ「友人」というのは真に自分に必要な人を慎重に選ばなければなければいけないし、選んだからにはその選択に責任を持つ、というのがこの世知辛い人間社会を生き抜く上で最も大切なことなのではないかと、そう思っております。情けは人のためならず。

ではでは、今回はこの辺で。金谷君、本当にごめんな。


編集部より:このブログは「宇佐美典也のブログ」2014年7月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は宇佐美典也のブログをご覧ください。


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