うその萌芽 --- 山中 淑雄

2014年08月20日 11:38

岩波書店の発行する月刊雑誌『図書』について、同社のホームページでは次のように自画自賛している。

『図書』は大勢の知的好奇心あふれる読者に半世紀以上愛読されてきた「読書家の雑誌」です。
 古今東西の名著をめぐるとっておきの話やエピソード、心を打つヒューマン・ストーリー、旅のときめき体験、人生への思索などを綴る、滋味あふれるエッセイの数々。

たしかにそのとおりと思える記事が多いが、中には今連載中の赤川次郎の「三毛猫ホームズの遠眼鏡」のように、そのエッセイ部分はともかくとして毎月取ってつけたように、反自民、反米、反原発などの岩波におもねったような口汚いコメントが挿入されるので、しらけてしまう記事もある。


岩波書店のホームページには創業者の岩波茂雄の言葉は見当たらず、その代わりに現社長の書いた「岩波の志」というのが載っている。その一節に「人間は,日本社会は,こうあるべきではないか,こうあってはならないのではないか」――.岩波書店は,100年にわたり,問いを発し続けてきました。」とある。これは虚像であると思う人は少数派かもしれないが、年々増えているのではなかろうか。

さて、今日のテーマは「うその萌芽」である。朝日新聞の戦時慰安婦に関する報道が、誤報というよりかなり意図的な虚報であったということがようやく広く認知されるようになってきたが、新聞が「社会の木鐸」というような虚像を植え付けられている人々にとっては、未だになかなか信じられないことかもしれない。

戦時慰安婦のうその種がどのように蒔かれ、それが芽生えた時にどんな人達がそれを育て、花を咲かせ、実を収穫したかはもうほとんど明らかになっているのでここでは触れず、『図書』の今月号(8月)の日本研究者のNorma M. Field氏と心理臨床家の横湯園子氏の「絶望をくぐりぬけて生きていくために」と題する対談に認められるうその萌芽に言及してみたい。

フィールド氏はシカゴ大学の日本語学教授を2012年3月に退職された方である。その折に退職記念講演ではなく、横湯氏を含む何人かの日本人の参加を得て東日本大震災を巡ってのシンポジウムを開催した。その時の横湯氏の「震災で空襲の記憶がよみがえった」という話が一番印象に残ったというところから対談が始まる。

横湯氏は震災後の南相馬の海岸に立った時に、(4、5歳の頃に?)富士山の裾野でグラマン機に狙われた時の「笑っているパイロットの目」がよみがえった。映画のワンシーンだったかもしれないという心理も働き、軍事研究家に訊いてみたら、「戦争のヒヤリングの中ではその話が多く出てきますよ。実際の体験でしょう」と言われた、という。

横湯氏は慎重に、幼児を狙って機銃掃射するグラマン機のアメリカ兵の「笑っている顔」と言わず「笑っている目」と言い、しかもそれを自分が見たとは断言しない。軍事研究家が「その話は他にも多く聞いたことがあるから本当でしょう」と言ってくれたというのだが、疑い深い私は、ここにいくつものうその種があると思う。

目が笑っている、という言い方でアメリカ兵が殺戮を楽しんでいたことを示唆する種まき。恐怖に引きつった目と笑った時の目はどう違うのか。どれほどの低空飛行なら(ゴーグルをかけていたかもしれない)飛行士の目が見えるのか。軍事研究家を持ちだしたのは、種まきをしたのは他人としておく便法ではないのか。軍事研究家が言ったことが本当としたら、グラマン機の操縦士(射手が別にいるのかは知らない)は皆目が笑っていたことになるが、漫画としか思えない。

フィールド氏は何故か日本では「誰もが気にしていながら、口にすることができない」と思い込んでいるようだ。そしてこういう。「震災後、日が経つにつれ、一番タブー化されたのは放射能汚染の問題だと思います。震災直後の報道において、国内情報と国外情報とで決定的な差があったことは確かで、今となっていかに報道操作が行われているかもよく知られています。

震災直後の混乱で情報も混乱したが、彼女が言うように国内情報と国外情報とで決定的な差があったとは思えない。すべてが混乱した中で報道にばらつきがあり、結果的に後で検証された事実と近いものもあったし、間違っていたものもあったということだ。そこに作為が入るような余裕はほとんどなかったと言ってよいだろう。

「報道操作があったことはよく知られている」というが、一体誰がどのような操作をしたというのだろうか。ネットで震災直後の報道操作について調べてみたが、スペキュレーションで勝手なことを言っている記事ばかりで、「よく知られている」といえるような確定的な記事は見つからなかった。たとえば東京電力はマスコミの大スポンサーだから、その力を使って報道操作をしたという説もあったが、もちろん岩波ではこんなことは言わない。こと新聞の広告に関して言えば、東京電力より岩波の広告を目にすることのほうがよほど多いのだ。

フィールド氏は、報道操作の背後にある「パニックが起きては困る」という考え方があったと認めた上で、その考え方はさまざまな形で引き継がれていき、「風評被害」という言葉を振りかざせば、誰もが黙るという仕組みを作った。不都合なことをいう人に批判の矛先を向けたくなる、そうしてさらなる分断が生じてくる、という。

そんな仕組みなどできないし、無いからこそ未だに無責任な意見を垂れ流すマスコミや”知識人”たちが後を絶たず、一方それに対して風評と言う言葉のみを頼りにして自分の生活を取り戻そうとしている人達がいるのだ。

対談が少し先に進み、フィールド氏は現在「全米で最も原発が多くトラブルも起きては隠蔽されている」イリノイ州に住んでいるという。イリノイ州ではどれほどのトラブルが毎年あってそれらがどのように隠蔽されているのか、私はそれを鵜呑みにする前に具体的な数字を知りたい。

彼女はそこで「一応安全な暮らしをしている仲間」と「シカゴ閑人の会」という会を立ち上げたが、東北と北海道出身の仲間が震災後初めての夏休みに帰省し、シカゴに戻って言うには、「日本では原発の話をこんなに自由にできないのよ。ほんと人の顔を見て、選んで話を持ちださなくちゃいけないのよ」と。

日本では多くの先進国と同様に、「誰もが気にしていながら、口にすることができない」などということはない。フィールド氏がそう思う裏付けとして上の東北と北海道出身者の言葉を引用しているのだろうが、こんなのは茶飲み話にすぎない。「シカゴ閑人の会」で原発の話を「こんなに自由にできる」のは、そこにいる人達の原発に対する姿勢がわかっているからだ。おそらく反原発で盛り上がったのではなかろうか。原発の話にかぎらず、人の顔を見て話を選ばなければならないことはいくらでもあるし、それは日本に限ったことではなく、何事にも心を配る人ならば当然のことなのである。

『図書』の読者は朝日新聞の読者と違って、こんな対談に出てくる小さなうその萌芽は気にもかけることはないだろう。しかし目立たぬ萌芽は、それが善意に基づき蒔かれた種からのものであっても、それを育てて利用する人たちによっていずれうその花として花開く時が来るかもしれない。

皮肉に聞こえるが、フィールド氏は対談をこう締めくくっている。「「真実と事実」を求めることをいつも意識していたら、そこから何をすべきか、糸口を探していけるのではないかと思います。だからこそ、欺瞞の塊みたいな社会が一番怖いし、それこそ一番絶望的だと思います。」

間違った思い込みを真実として伝播することがないよう願うばかりだ。

山中 淑雄
Former Research Engineer, Businessman.
Currently, Pensioner, Grandpa, Patriot, —

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