ロシアの北方領土軍事演習で、あの朝日新聞が悪意の虚報 --- 中川 八洋

アゴラ

ロシアが国後・択捉・クリル諸島(千島列島)で、さる8月12日、軍事演習を開始した。無人機も参加し、空挺部隊の降着陸訓練を含め1000名以上というかなりの規模。秋に予定している、西北太平洋上での大型の軍事演習「ボストーク(ロシア語で「東」の意)2014」への準備演習でもある。

ロシアは、北方領土での軍事演習は、1978年5~7月の国後・択捉島への再侵攻以降は控えていた。再開したのは、約30年を経た2010年7月。この軍事演習に対して菅直人首相をはじめ、民主党政府は何ら反応しなかった。これを見て、メドベージェフ大統領(当時)は、同年11月、怖れることなく国後島への不法上陸を決行した。中共が尖閣諸島の領有へと動き始めたのは、民主党政権がロシアに対して属国的な態度で接しているのを見ての連鎖行動である。


国後・択捉島について、日本人は全く忘れているが、ロシアは米国の圧力で、この2島をいったん手離したことがある。1960年1月だった。このとき、2万5000人のロシア軍は一兵残らず引き揚げた。つまり、「日本の自衛隊が独断で進入するならどうぞご自由に」の状態である。しかも、この国後・択捉島の非武装化期間は永く、1978年5月までつづく。

つまり、1960年1月から1978年5月の18年間という永い充分な期間がありながら、日本の政府も首相も、一度も北方領土の無血軍事占領を決断しなかった。

私は、1963~7年の東京大学在学時代、旧軍出身の自衛隊OB数名に「自衛隊は、戦闘にならず、無血占領できるのに、なぜ択捉島への部隊出動をしないのか」と尋ねた。が、だれ1人として要領を得た回答をしなかった。モゴモゴと意味不明な言い訳しか返ってこなかった

ともあれ、18年間はあっという間にすぎ、ロシアは“アジア重視”へと舵を転換した。1978年5月、ロシアは、択捉・国後島に対する軍事再占領を、上陸演習を兼ねた形でついに決行したからである。なおロシア軍は、昔より、島嶼への侵略は、仮に港があっても、また戦闘の可能性がゼロでも、港湾からの荷降ろしでの上陸を決してしない。先の場合も、択捉島の単冠湾を使わなかった。ロシア軍の伝統兵法である。

朝日新聞は、日本の読者を騙すに、ロシア軍のこの特性を悪用した。上陸演習の形をとるので、さも軍事再占領でないかにすり替えた誤報・虚報を打っても、ばれる心配がない。朝日新聞の国民騙しの見出しは、こうなっていた。

「ソ連、択捉で演習  上陸作戦、二千人を動員」(『朝日新聞』1978年6月8日付け、1面)。

「ソ連軍、18年ぶりに択捉島に再上陸」と正しく見出しを作るべきなのに、なぜ朝日新聞は、こんな見え透いた誤報をしたのか。それは、この1978年5月までの18年間、国後・択捉にはロシア軍は一兵もいなかった事実を日本国民に知られないようにするためである。ロシアの偽情報工作の片棒を担ぐ朝日新聞らしく、国民の知る権利を剥奪する悪意からである。

上記の見出しも、記事内容も、さも「ロシア軍は従来から駐兵しており、この駐兵部隊が演習をした」という真赤な嘘の虚偽事実で日本人を騙している。

ソビエト・ロシアが、アフガニスタンへ侵攻したのが1979年12月。このことから、ロシアの対外膨張のパターンが見えてくる。ロシアは、1960年1月に北方領土の非武装化を米国に誓約して撤退した。国後・択捉島の北方領土が自衛隊に進入されて、日本に領土主権が返還されてもよいと考えたからであるのはいうまでもない。

理由は簡単で、ロシアは価値の高い侵略目標が決まると、価値の低い方をポイ捨てする。これはロシア固有の民族的な対外行動パターンである。

すなわち、1960年に国後・択捉の日本への返還を良しとしたのは、1962年のキューバへの核兵器の搬入によるカリブ海からの対米核攻撃態勢づくりと、西ベルリン占領(1961年8月の「ベルリン危機」)の2つに集中するため。この2目標に比べれば、国後・択捉島などどうでもよいと考えたからだ。“欧州重視”や“対アメリカ恫喝態勢づくり重視”が、“ロシアのアジア軽視”へと反転したのである。“ロシアのアジア軽視”情況の到来こそ、北方領土奪還への好機情況が到来したことになる。

ところが朝日新聞は、日本の国益を逆さに報道する。ロシアのアジア重視は、日本への侵略や対日属国化の意図が強硬になることを指し、ロシアのアジア軽視は北方領土を日本に返還してもよいと考える情況の到来なのに、これを逆さにすり替える。「強盗に重視されたら危険」だが、「強盗に軽視されたら安全」なのは、常識ではないか。

朝日新聞は生来の厚顔無恥を武器に、「対日侵略国ロシアが“アジア重視”になったから北方領土は還ってくる」と、平然と180度逆を報道する。朝日新聞は日本人に嘘を刷り込み、北方領土奪還の好機を逸しさせるのを報道の使命と考える、“ロシアの新聞社”。日本の新聞社ではない。

ゆえに、朝日新聞を逆さにしないで読む日本人とは、馬鹿さも度がすぎた“日本人の恥じ晒し”の極み。北朝鮮にでも移住していただきたい。

なお私は、朝日新聞の熱心な「愛」読者。小学校5年生(10歳)のとき以来だからすでに60年間、毎朝、朝日新聞を読んだ後、必ず逆さにしてゴミ箱に棄てるのを日課にしている。そうすると、1日が清清しく過ごせるような爽快な気分に包まれる。朝日新聞が消えた日本、それこそが真正日本を復権させる第一歩である。

ソ連の植民地として収奪に呻吟していた東欧6ヶ国が、1989年11月7日、ソ連邦の支配から突然解放され、自由社会の西欧諸国に戻り合体した。これを日本人はみな、「東欧諸国の民衆が立ちあがって、民主化の反・共産革命をした」と信じているのだから、この国にいるのは幼児化した大人だけとしか言いようがない。

1989年は、フランス革命200周年にあたり、11月7日はレーニンのロシア革命記念日に当たる。これだけでも偶然でないことは一目瞭然。歴史の真実は、アンドロポフ・ソ連共産党書記長が、1983年に創り上げた東欧返還アジェンダに従って、それを忠実に実行したのである。

アンドロポフは、米国レーガン大統領の対ロ核戦力の増大強化に対して、ソヴィエト・ロシアは対抗の軍拡をする経済力はすでにないと判断した。米国と核戦争をしてロシアが敗北し廃墟となるよりは、東欧6ヶ国を米英に戻して、米国との核戦争を回避すべきだと判断し、その日程を六年後の1989年と定めたのである。

確かにレーガン大統領は、1983年、ソヴィエト・ロシアを“悪の帝国”と呼び、ラジオ演説で「核搭載B-52がモスクワに向かって飛行中です」などのジョークを飛ばしてソ連を嚇すことに手を抜くことはなかった。

そして、欧州に限定した核戦争をするためのパーシングⅡ弾道ミサイルを西ドイツに配備し、また陸上配備のトマホーク・巡航ミサイルを1983年からベルギー/オランダ/英国/イタリアなどヨーロッパ諸国に順次配備し、西欧諸国一丸となって対ロ核戦争を辞さない姿勢をロシアに見せつけた。1988年には米欧が対ロ核戦争の態勢を完備するのは確実だった。

ロシアはこれに肝を冷やし、「東欧諸国を返還するので、どうかこれで核戦争を勘弁して下さい」との大退却──600㎞にわたって軍隊を戦車数万輌ともに後退させること──を決定したのである。

ロシアは、敵対する国家の軍事力を過大に畏敬する性癖がある。天才外交民族ロシアと外交交渉しても敗北が100%、しかし対ロ軍事力強化の効果はテキメンで、ロシアの方から必ず妥協してくる。

日本が北方領土を奪還したいなら、ロシアに北方領土を「日本様、どうぞもらって下さい」と持ってこさせること。これ以外の方策などどこにもない。

朝日新聞の虚報は、戦前日本でもっとも激しく大東亜戦争を煽動した時の方法が踏襲されて、今も変わらず強度である。プーチンが北方領土での軍事演習を実施したのは、日本がウクライナ問題で対ロ制裁をしたからだといわんばかり。朝日新聞の日本国民騙しは、常軌を逸している。やはり税金を1円も払わない悪徳大企業の面目躍如である。こう書いている。

「(日本政府が7月にウクライナでのマレーシア航空機撃墜で対ロ制裁を追加したから)ロシア側にとってプーチン大統領の警告(=北方領土交渉を中断したくなかったら制裁などするな)が踏みにじられたことになる。(だから、)今回、ロシア国防省は北方領土を舞台にした軍事演習に踏み切った」(『朝日新聞』2014年8月14日付け、3面。丸カッコ内中川)。

朝日新聞の嘘は、まず第1に、今般の軍事演習とウクライナ侵略に関わる日本の対ロ制裁の因果関係などありもしないのに、「因果関係がある」と決め付けている。つまり、後者が報復の引き金となり前者となった、とばかり牽強付会をしている。第2に、北方領土を奪還するに“対ロ交渉”しかないとの超非現実を前提としている。ロシアは、奪った領土を外交交渉では断じて返還しない。突然、黙って返還する。

つまり、「プーチンの警告」とやらは、“北方領土も還さない/対ロ制裁もさせない”の対日属国化主義をプーチンがつぶやいたもの。なのに、朝日新聞の報道は、それを粉飾して歪曲する。プーチンが内心では北方領土を返還する腹積りかのようなデマを流している。

ロシア(ソ連)は、東欧6ヶ国を、1989年11~12月、突然、西側に返還した。1945年2月のヤルタ協定を、44年ぶりに突然、履行した。ヤルタ協定の締約国である米国と英国は、ロシア(ソ連)と東欧返還交渉を一度も一瞬たりともしていない。

このように、ロシアは、自国に迫る外国の軍事力の展開に対しては、大規模退却であろうと、大規模領土の返還であろうと、極めて柔軟に自ら行動する。つまり、日本が、国後・択捉島に隣接する北海道を精強な陸軍力でもって、一種の要塞というか、ハリネズミ化というか、そのようにすれば、ロシアは黙って北方領土から「逃亡する」のである。軍事的に言えば、退却である。吉田茂が発見した対露外交必勝の“無交渉の交渉”である。

具体的には、10式戦車を1000輌ほど増産し、250輌・実兵員1万1000名(戦時編成)を1ヶ師団とする4ヶ戦車師団を根室から知床岬にかけて展開する。なお、この4ヶ戦車師団・5万人(軍団司令部要員を含む)で1ヶ軍団を編成し、北部方面軍の麾下に置く。軍団司令部は、石狩岳の地下150メートルに設置しておけば、1メガトンの水爆を直下に投下されてもびくともしない。

また、日本版海兵隊2万人の部隊を早急に編成し、尖閣諸島防衛とともに、北方領土を軍事奪還できる軍事力を整備する。実際に戦争をするのではない。戦争してでも奪還するぞの毅然たる姿勢とガッツをロシア人に見せつけるだけで充分なのだ。

この海兵隊創設にも、フランス製ミストラル上陸強襲艦は役に立つ。安倍総理よ、直ちに、日本が購入するからロシアに売却するなとフランス政府に伝えよ。

中川 八洋
筑波大学名誉教授、国際政治学者。中川八洋ゼミ講義