安倍首相による「河野談話」見直しは国益を毀損する --- 長岡 享

アゴラ

今回、朝日新聞社が「吉田証言」に依拠する記事を取り消した背景には、「従軍慰安婦問題」は「人権問題」であるという世論形成が不可逆の段階に至り、日本包囲網が形成されたとの現状認識があることはいうまでもない。

だがもう一つ、安倍晋三氏(以下、人物への敬称略)が首相であることが重要な契機になっていると筆者はみている。理由は以下の通りである。


1. はなから河野談話を見直すつもりがない
負の遺産を残した民主党政権から政権を取り戻した自民党に対して、大きな期待を抱いた人は多いにちがいない。また、首相になった安倍晋三が「河野談話」見直しをしてくれるに違いないと、特に「保守派」と呼ばれる人が大きな期待を寄せているであろうことは想像にかたくない。しかし、その期待は裏切られることになる。なぜならば、安倍首相は河野談話を見直すつもりがないからだ。

就任前の談話見直し発言は、政治パフォーマンスである。その証拠に、首相に就任(2006年9月26日)するや、就任前の立場とは打って変わり、河野談話見直しせず踏襲すると早々と言明した(10月5日)。河野談話が”談合”と”打算”によって発出されたことを、就任以前に知っていたにもかかわらず、である。

安倍首相には河野談話を見直すつもりがいっさいないなく、当初から政治的な取引の材料でしかなかったことで一貫している。

2. ”狭義の強制性”というトラップ・ワードにひっかかった安倍晋三
周知のように、朝鮮人婦女子を強制連行したという吉田清治の懺悔・告発話は“詐話”であり、デッチ上げである。しかも、官憲が強制連行を実施していたという事実もなかった。ようするに国家による強制連行(強制性を問題とすべき事案)がフィクションである以上、「従軍慰安婦問題」なる問題は消滅している。

「従軍慰安婦問題」においては、国家による「強制性」なるもの自体が存在しない。にもかかわらず、第一次内閣発足翌年の国会答弁(3月5日)では、あろうことか「強制連行」を否定するのに「狭義の強制性」という”トラップ・ワード”を使った。これでは”広義の強制性”については肯定したということになってしまう。

そもそも、慰安婦となった婦女子は、報酬を目的とする「金銭目的(商行為)としての売春」(当時合法)を、戦時に/戦地等の置屋でおこなっていたにすぎない。家が建つほどの超高額の報酬を得る奴隷(slave)が世界史上ありえないように、慰安婦は”confort women”である。

また、慰安婦の中には個々の事情からやむなく従事せざるをえなかった人や、身内や業者に”騙されて”いた女性がいた事実はあっても、国家がそれを強制したわけではない。彼女らが慰安婦にならないという選択の自由を、国家が奪った事実もない。

ようするに、強制連行を「強制性」といいかえ、狭義/広義とわけることの意図とは、植民地や帝国主義、公娼制度や家族制度などを「広義」の概念に詰め込み、人権の名のもとに際限なき個人賠償、国家賠償を求めるための”カタにはめる”ことにほかならない(注1)。むろん、「強制連行」が虚偽であることが判明していたために、強制連行の事実が否定されたあとでも主張を維持できるようにするためでもある(注2)。

これに対抗するには、狭義/広義の強制性といった戦術用語自体を拒絶し、「国家による強制連行」を否定する一点突破をもって、河野談話見直しの鉄則にすえるべきであるのにそうしなかった。

朝日新聞(吉見義明・中央大学教授<当時>らを含む)が用意し、河野談話が採用したロジックを用いることで、敵のトラップにまんまとはまってしまった安倍首相。朝日新聞が「与しやすし」と考えるのは当然だろう。

3. 安倍晋三の「二枚舌」が、米国を失望させている
第二次安倍晋三内閣に至ってなお、河野談話を「見直さない」との立場を維持せざるをえない理由もまたあきらかである。第一次安倍晋三政権において訪米した安倍首相本人が、河野談話の継承を公言したからだ。

2007年(平成15)4月27日に訪米した安倍晋三首相は、ブッシュ大統領(当時)との共同記者会見において、「従軍慰安婦問題について、ブッシュ大統領に説明したのか。またこの問題について改めて調査を行ったり、謝罪をするつもりはあるのか」との質問に対して、

「自分は、辛酸をなめられた元慰安婦の方々に、人間として、また総理として心から同情する(I, as Prime Minister of Japan, expressed my apologizes)とともに、そうした極めて苦しい状況におかれたことについて申し訳ないという気持ちでいっぱいである(and also expressed my apologizes)」

と返答している。”apology”に日本側が意図していたような「同情」「申し訳ないという気持ち」の意味合いはない。これを受けてブッシュ大統領は

「従軍慰安婦の問題は、歴史における、残念な一章である。私は安倍総理の謝罪を受け入れる(I accept the Prime Minister’s apology.)」

河野談話と安倍総理の数々の演説は非常に率直で、誠意があった(Kono’s statement, as well as statements here in the United States were very straightforward and from his heart.)

と応じている(注3)。要するにこの「謝罪(apology, apologizes)」が、安倍首相が河野談話を継承し、見直さないという立場を受けてのものであることは明白である。

さらには、従軍慰安婦問題について語るのに「20世紀は人権侵害の多かった世紀であり」と述べている。これでは、安倍自身が従軍慰安婦問題について”広義の強制性”(=人権問題)を認めたととられてもいたしかたないではないか。実際、安倍晋三自身による訪米時の“失言”が、訪米の直前に出された「米国下院の対日非難決議」(2007年1月提出)の論旨をも黙認するというメッセージになってしまった(決議は訪米後の2007年6月)。

つまり、安倍首相には、米国において河野談話を見直さないとすることで、従軍慰安婦問題が人権問題であるという認識を黙認したことになることがわからないらしい。日本が汚名を着せられていることを一貫して主張し、国家の名において河野談話を見直すとの立場を鮮明にすべきだったのにそうしなかった。従軍慰安婦問題を「強制連行」の論点から逸脱させることを容認し、悪化させたことになるのだ。

これ以上、安倍首相が河野談話にコミットすれば、米国は慰安婦問題について、日本の発言を一切信用しなくなる。米国大統領に対して二枚舌を使われたことになるのだから当然だろう。安倍政権として見直さないとしながら、検証を命じているのも不信感を抱かせているだろう。米国とすれば、大統領に対するあの「謝罪(aplogize)」は何だったのか、ということになるからだ。結果として米国大統領をだましたことになる。

米国世論の正常化こそが、国際世論の対日包囲網を突破する唯一の窓口である以上、安倍首相ほど河野談話見直しから遠ざけねばならない人物はいないのだ。

むろん、日米分断を目的とする勢力にとっては、安倍首相が日米分断を推進する”戦友”であることはいうまでもない。

4. 安倍首相は、『朝日』虚報の検証を取引材料にしているのか
従軍慰安婦問題は『朝日新聞』(朝日新聞社)の虚報が”火種”である。従軍慰安婦問題が国際的な日本包囲網に拡散した”主犯”が朝日新聞であるにもかかわらず、朝日による訂正報道後の内閣改造(2014年9月3日)では、驚くべきことに「朝日新聞」元女性政治部記者を閣僚に迎え入れた。しかも、思想的に「保守」政党にいるべきではない「フェミニスト」氏を、国籍事項や民法/刑法といった重要な事項を扱う法務大臣にすえた。

従軍慰安婦問題を人権問題に仕立てあげ、国際世論にガソリンを巻いている「フェミニズム」の信者を閣内に招き入るというおそるべき不見識。しかも朝日新聞出身者に家族制度や国籍や移民といった事項を扱わせる。安倍首相は、朝日新聞の虚偽報道に対する国家的追及と政権の延命とをディールしているのだ(注4)。いわば安倍晋三の「延命措置」である以上、安倍首相が、朝日新聞社の国家反逆を本気で糾弾することはないだろう。

安倍晋三に首相を続けさせることは、朝日新聞の利益にかなう。安倍晋三の続投と朝日新聞の存続の利害関係は一致している。安倍首相に、従軍慰安婦をあつかえる当事者能力はない。

さいごに
明年2015(平成27)年の終戦70周年には、「河野談話」を明確に否定する新たな談話が出されなければならない。でなければ、日本国に着せられた汚名を雪ぐことができないからだ。従軍慰安婦問題は、朝日が火をつけ、反日日本人が世界に付け火してまわり、河野談話がお墨付きを与えた。ゆえに「河野談話」をまず取り消さなければ、日本が国際世論に対する有効な対抗策を打つことはできない。

河野談話を見直さなければ従軍慰安婦問題は解決しない。かといって河野談話を見直せば対米関係が決定的に悪化する。ようするに安倍晋三首相によって「河野談話」があつかわれることそれ自体が、見直しのいかんにかかわらず国益を毀損することになる。

国家の統一された意志として河野談話を否定する総理大臣として、安倍晋三首相はふさわしくない。

2014年09月11日
長岡 享

注1. 先考の「変質する「従軍慰安婦」議論の危険性」において、「親日」と誤解されている朴裕河(パク・ユハ)を批判して、”広義の強制性”につながりかねない論旨に警鐘を鳴らした。

注2. 1993年05月、吉田清治と面談した吉見義明は、証言に信ぴょう性がないことを確認している(河野談話発表は1993年08月04日)。なお、朝日新聞は検証記事において「朝日新聞は93年以降、両者〔女子挺身隊と慰安婦の募集〕を混同しないよう努めてきた」としている。

注3. 2007(平成15)年4月27日、訪米した安倍首相とブッシュ大統領(当時)の共同記者会見は、邦文については首相官邸の、英文についてはホワイトハウスのリリースによる。

注4. なお、第二次安倍改造内閣における松島みどりの法相起用が、朝日新聞社長が謝罪会見しないと10月の臨時国会で証人喚問するとの警告であるとする意見があるが(たとえば「池上彰氏に平伏した朝日新聞の醜態」)、これは正しくない。なぜならばシグナルとしての閣僚起用ならば法相という”ご褒美”を餌にする必要はないからだ。だが、もしシグナルとして法相起用したのならばなおのこと、安倍が「偽装保守」であることが確定するだろう。

長岡 享
研究者
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