変質する「従軍慰安婦」議論の危険性 --- 長岡 享

アゴラ

1、パク・ユハ(朴裕河)は「親日」韓国人か?

韓国・世宗大学教授のパク・ユハ氏(朴裕河、以下、パク)が書いた『帝国の慰安婦』なる本に”慰安婦は売春婦だった”とあることで、同書の出版差し止めを求める仮処分申請が韓国内で出された。この事実をもって、パクがあたかも「親日」韓国人であるかのごとき評価をしている者がいる。

パクの主張は、一見すると韓国政府に反するものだ。「慰安婦は売春婦だった」という認識は、あたかもパクが韓国の意に反して従軍慰安婦問題で日本寄りになったかのように誤読できてしまう。「従軍慰安婦は売春婦だったと韓国の学者も述べている。売春婦を強制的に連行した事実は確認できないし、しかも日韓基本条約で賠償済みだ。日本政府による賠償は良心的だった」と。


だが、パクは親日でも日本政府寄りでもない。現にパクは、ソウル大学の李榮薫教授(「強制的に引っ張られていった」、「慰安婦」はいなかった、慰安婦20万人説は誇張)ばかりか、吉見義明(「官憲のような奴隷狩りのような連行」が朝鮮・台湾であったことは確認されていない)、吉田清治(氏の回想は「証言として使えないと確認」)、さらには上坂冬子・櫻井よしこ・曽野綾子らの主張を紹介しつつ、

「日本の右派はそのような主張を根拠に、「慰安婦はなかった」と強弁している〔が誤りだ〕」(注1、カッコ内引用者)

としているからだ。

あらかじめ述べておく。パクは「親日」などではない。彼女のスタンスは、そのような単純なものではなく、もっと根の深い“理論武装”をしている危険思想の持ち主である。

2、「新しい」慰安婦問題論とは

パクの主張は、「日韓基本条約締結にともなう賠償は、日本が「帝国」として起こした「植民地支配」の枠組みに基づく賠償ではなかった。「女性のためのアジア平和国民基金」による賠償には植民地支配に対する意味が少し含まれてはいたが不十分なままとなっている。いまこそ日本政府は、「植民地支配」という新たな枠組みに基づく国家賠償を、慰安婦に対してなせ」というものである。(注2)

朝鮮人女性が「慰安婦として」募集されたのは、朝鮮が日本の植民地だったからからであり、慰安婦への賠償は「植民地支配」という枠組みの中で行われるべきであったのにそうではなかった、したがって、「戦後」処理であって「植民地支配」処理でなかった日韓基本条約をもって、慰安婦問題に対する賠償が終わったとすることはできない、と主張している。(注3)

つまり、日本が「帝国」として犯した罪=「植民地支配」を公式謝罪させ・補償させる、と言っているのである。『帝国の慰安婦』の「帝国」とは、以上のような過激な意味なのである。

日本人の感覚からいえば、日本軍によって、女性が強制連行され・売春婦にさせられたか否かという「歴史事実」の有無こそが重要なのであるが、パクが言う「強制性」とは、「日本(軍部)による強制連行、人身売買」といったような、通常の争点と同義ではないことが、これで了解できるであろう。

3、「河野談話」当時の「従軍慰安婦」問題は、もはや日韓に存在しない
さらにこうも述べている。

「娘を売り渡す父親というものは、もとより家父長制のもたらした存在である。さらに「朝鮮人労務者」と「朝鮮人兵士」が日本という国家と日本企業による被害者であることも事実だ。しかしそうだとしても、慰安所を利用した日本人兵士が加害者であるなら、彼らに「慰安婦」に対する「加害」の部分がなかろうはずはないのである。」(注4)

これはもはや、「河野談話」が発せられた当時の「従軍慰安婦」問題ではない。日本が韓国に納得させようとしている論点とは全くことなっており、非対称である。「強制性はなかった」という真実を提示することによって修復し、歩み寄れる論点は存在しない。「従軍慰安婦」への「強制」があったかどうかという歴史的事実の検証を問題にしているのではなく、日本軍による強制があろうがなかろうが、国家・戦争・男・兵士・家父長制・(現在から遡及した)負の歴史があれば「賠償」しなければならない、というイデオロギーだからだ。

たしかに、韓国政府が公式にパクの見解を採用したとは思われない。しかし、海外で韓国がおこなっている日本バッシングは、歴史事実や国際慣例を度外視し、思想的な要求を満足させようとするものだ。在米韓国人その他の在外韓国人による常軌を逸した対日プロパガンダは、おおむねパクの論点そのものか、国家を呪詛し、際限なく歴史を遡及・拡大していく性質を含んでいるのである。

4、対日「思想」戦の宣戦布告をなした韓国との間に「和解」はありえない

韓国政府は、「国家を守る」という美名で惑わし(注5)て兵士を動員し、「彼らの身体と生命を搾取して・・・・・・つらい境遇を生きるようにさせ」(注5)る可能性をゼロにできない朝鮮半島有事対応を、自縄自縛することになる。さらに、「帝国」であった西洋諸国をも「謝罪」と「賠償」の対象としているように、パクの思想は結局、半島有事に対する友邦の援助や支援をためらわせ、”遅れてきた「帝国」”中国/「軍国主義」国家・北朝鮮に奉仕するものとなる。こともあろうに米国や西洋諸国において、事実に基づかない虚偽事実によって日本を攻撃している。自国を守ることにもなる日米同盟を揺るがせ、韓国自身の存立をも危うくしている。「国家」に寄生しながら国家を破壊に導く「市民」や「住民」「個人」など“非国民”の主張する権利や賠償、補償など一顧だにしてはならない。

韓国の姿勢は、自国の脅威への対応を他国任せにし、その過程で発生した負の部分をすべて他国になすりつけるという、自立心のかけらもない姿そのものである。そしてこの光景は、明治時代の人が、さんざん苦慮し、苦汁を舐めさせられた隣国の実態そのままではないのか。歴史に学び、歴史を教訓とすれば、このような国家と友好を深めることなど考えられない。

韓国との間に「和解」などありえない。韓国は、歴史検証問題をすでに通り越して「対日思想戦の宣戦布告」を日本に対してなしているからだ。もはや悠長に「河野談合」(注6)を検証している段階ではない。検証を速やかにかつ確実に終結させ、対日偽報への対応にシフトしなければならない。「談合」発表を契機に「断交」を射程に入れる時がきていることを、特に日本の政治家は自覚すべきだ。(了)


1.朴裕河著、佐藤久訳『和解のために──教科書・慰安婦・靖国・独島』平凡社ライブラリー、2011年、p.89.
2.「転換期の日本から──今ふたたび「慰安婦問題」を考える」(全11回)、「WEBRONZA」(朝日新聞社のウェブマガジン)。
3.朴裕河「問題はどこにあったのか──日本の支援運動をめぐって」、志水紀代子、山下英愛編『シンポジウム記録 「慰安婦」問題の解決に向けて──開かれた議論のために』白澤社、2012年、pp.97-120.
4.前掲『和解のために』、p.120.
5.前掲『和解のために』、p.92. 
6.「河野談合」とは、「河野談話」を揶揄する言葉。「河野談話」が韓国との刷り合わせにより発表された事実が報告書「慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯─河野談話作成からアジア女性基金まで─」(2014年6月20日)で公表されたことを契機に生まれた。

長岡 享