人質事件をめぐる建前と本音 --- 井本 省吾

アゴラ

2人の日本人が「イスラム国」の人質となり、2億ドルの身代金2億ドルを要求されている問題で、多くの議論が交わされている。この中で、在英保育士でライターのブレイディみかこさんのブログ「英国が身代金を払わない理由」が興味深かった。

<わたしが住んでいる英国は、人権を重んずる欧州国にしては珍しく身代金を払わない国として有名である。それどころか、キャメロン首相は2014年1月に「テロ組織の身代金要求を断固と拒否する」決議案を国連の安全保障理事会に提出して採択を要求した>


多額の身代金支払いはテロ組織を拡大させ、さらなる誘拐、拉致を生み出し、より多くの人命を奪うことになるとからだ。身代金を支払わないことにより人質が殺害されたとしても、未来の多数の犠牲と恐怖を断ち切るには、当面の少数の犠牲者はやむを得ないと考えているのだ。

ブレイディさんは、キャメロン首相の姿勢を多くの英国人は支持しているという。

<職場や往来で人と話していてこの話題になると「身代金を払って人命を守るべき」と断言する英国人は非常に少数派だということに気づく。
みんな判で押したように「とても難しい問題だ」と言ってから喋り始めるのだが、「身代金はテロ組織を拡大させ、もっと多くの人命を奪うことになる」「本気でテロと戦う気なら、各国が一致団結して身代金を払わないようにしなければ、テロ組織に資金援助しているのと同じ」と言う>

ただ、事はそれほど簡単ではない。キャメロン首相の決議案提出に対して国連の加盟国は全会一致で採択したものの、厳密にこの決議を守っているのは英国と米国だけだという。

<フランス、イタリア、スペイン、ドイツはこっそりテロ組織に金を流す経路を見つけて身代金を払っている>

それに、英国でも家族や雇用主が身代金を払って生還した拉致被害者がいるそうだ。

<英国政府も今のところ個人や企業が身代金を払うことは目を瞑っている。……(それに、たとえ身代金支払いを犯罪にして罰したとしても)支払い能力のある家族は払うだろう>

ここに、国家(共同体)と個人の分裂がある。建前と本音の分裂、矛盾と言ってもいい。

起こりうる将来の多数の国民の犠牲を抑止し、国益を守るには身代金要求には断固として応じないという姿勢は堅持さなければならない。それが国家、共同体が生き延びるための掟である。

しかし、タテマエではテロ組織の身代金要求には応ずるべきではないと主張しても、いざ自分の家族が誘拐されたら、全財産をかき集め、あらゆるルートを頼って身代金の支払いに応ずるだろう。

タテマエの陰でこっそり個人がテロ組織と人質返還交渉をするというホンネの動きがあるのはやむをえない、と思う。それが人情の自然だと思うだからだ。

とはいえ、タテマエとホンネの使い分けはきわめて難しい。ホンネの交渉が頻繁になり、身代金額がつり上がり、公然の秘密となってはテロ組織への抑止力はなくなるからだ。タテマエはザルとなって、国家の根幹が揺らいでしまう。

それに、身代金交渉ができるのは富裕層や大企業の社員だけという不満が国民の間に広がる恐れもある。それは法の前には平等、政府は等しく国民を守らねばならないとする国家の枠組みを崩す危険につながる。

だから、富裕層でない場合も、政府は秘密裏に身代金交渉をするかも知れない。「そういう交渉はしないし、していない」と言いながら。今回も水面下でそういう交渉が行われているのかも知れない。あるいはそれが失敗して悲惨な結果になる?(とは想像したくないが)。

国家の建前を堅持しつつ、水面下の秘密裏の身代金交渉。虚実皮膜の間を探る中に外交の技、知恵がある。


編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年1月22日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。