八方美人の外交はありえない --- 井本 省吾

アゴラ

中東の過激派集団「イスラム国」による日本人殺害事件はまことに陰惨な、辛い事件だった。犠牲者とその家族には心から哀悼の意を表したい。

ただ、この件に関し「中東で『イスラム国』を批判し、イスラム国を攻撃する国々に加担し、資金支援した安倍晋三首相も良くない」との批判が、主にリベラル・左派勢力のメディア、論者から出ていることについては首を傾げざるをえない。


安倍首相は「資金支援は難民などへの人道上の支援で軍事支援ではない」と繰り返し述べている。これに対して「非軍事的であっても、イスラム国への対抗勢力を支援すれば、そうした勢力への加担だとみなされる。イスラム国に誤解されるような、彼らを挑発するような行動をとるべきではなかった」という。

もちろん、政府の中枢にある人は徒にテロ集団を刺激して人質の人命が危うくなるような行動をとるべきではない。行動はつねに慎重にすべきだろう。だが、今回の中東での安倍外交はそうした軽はずみの行動だったのだろうか。

日本は中東へのエネルギー依存度が高く、つねに中東との外交関係を強固にしておく必要がある。中東地域を重視する欧米との協調も大切で、今回の中東への食料、医療支援はそうした中で進めた外交だ。 

イスラム国などの過激派を強大にしたのは、大量破壊兵器がなかったのにもかかわらず、米国が良く調べもせずイラクに攻め込んでフセイン政権を倒し、その後の平定をおろそかにした結果だという批判がある。その批判がかなりの程度、当たっている。

だが、日本が民主主義を軸に米英との協調を保つことも重要で、イスラム国へのテロ行為を認めるわけには行かない。中東への資金支援もそうした中から進める必要性があった。

政府は自由と民主主義を標榜しつつ多面的な外交を展開し、極力敵を作らないことに腐心すべきである。だが、すべての国や民族、集団を満足させることはできない。自由と民主主義そのものに敵対する集団もある。八方美人の外交は不可能であり、また、そうすべきでもない。

2人の人質は安倍首相の中東訪問直前に発生したわけでもなく、安倍首相が中東でああした演説をすれば、今回の事件が発生すると予見できたとは考えにくい。日本外交はイスラム国の行動を以前から批判しており、中東での演説はその範囲を出ていない。

そもそも、そうしたことをすべて考え、あらゆるリスクをゼロにした上で外交を進めることなどできるものではない。たとえ、イスラム国が2人の日本人を人質にしていなかったとしても、安倍首相の演説により、彼らはどこかで日本人に危害を加える行動に出たかも知れない。

実際、イスラム国は今回の人質事件の後、「日本人へのテロを継続する」と表明している。

それがどこでどんな形で起こるか、すべて予測するのは不可能に近い。すると、イスラム国を刺激するような言動は一切してはいけないことになる。だが、民主主義と対話を重視し、テロを批判するのは日本政府の基本方針である。その方針に則って、イスラム国による戦乱の結果、増大した難民の支援をするのも日本の外交であり、それをも批判するとすれば、どうかしている。

そうした安倍批判が日本国内に発生すること事態が、過激派テロ集団を勢いづかせることに気づかないのだろうか。人質殺害事件後、安倍首相はこう述べている。

<テロの恐怖におびえ、我が国の足並みが乱れれば卑劣なテロリストたちの思うつぼだ> 

誠にその通りである。

それとも「テロリスト集団を怒らせた安倍政権がいけない。静かにしていれば、彼らは危害を加えない」と言うのだろうか。テロリストは自分たちに利益があれば、冷徹に人質に危害を加える。今回の人質殺害がそれを示している。

2004年10月にも、イラクで日本人の人質事件があり、当時駐留していた自衛隊がイラクから48時間以内に撤退しなければ殺害するとの声明をネットで流した。日本政府がそれを拒否すると、人質は殺害された。

自衛隊を撤退させれば良かったのだろうか。そういう要求にいちいち答えていることがテロをなくすことになるのだろうか。一度、要求を呑めば、テロリスト集団は何度も人質をとらえ、自らの要求を突きつけるようになるだろう。それは多くの国民を危険にさらす。

だからこそ、政府はテロに屈しない姿勢を貫くべきなのである。むろん、人質解放に向けて政府は全力を尽くすべきである。それとテロに屈しない方針を両立させるのは困難だが、政府はその隘路を行くしかない。

もとより人質になった当事者やその親族は大変厳しい状況にさらされる。悲惨であり、真に気の毒と言うしかない。


編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年2月2日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。