日本の論議:辺野古問題で表面化した、お粗末な統治機構

2015年04月04日 22:20

爆笑問題の太田光が、沖縄県知事の辺野古作業停止指示の効力を政府が停止した問題について「選挙の意味を全部無効にするのか!」と声を荒げて批判したと言う。

太田光と言えば、NHKの「爆笑問題のニッポンの教養」で見せた頭の切れとセンスの良さ、鋭い分析力や豊富な知識を駆使して繰り出す本質を突く質問で、専門家をたじろがせる能力の高さには強い印象を受けて来た人物だが、今回の批判は明らかに見当違いで、その論拠の薄弱さと思い込みの強さは、藤井聡京大教授や古賀茂明氏(元通産官僚)のレベルに落ちて仕舞った事には、落胆した。


昨年の衆院選は「基地」を巡っての国民投票ではなく、立法をはじめ法律の改正、政策や予算の審議など、数多の責務を持つ国会議員の選挙であり、沖縄では惨敗した自民党だが全国的には圧勝している。

政府が県知事の作業停止指示の効力を停止したから、「選挙の意味を全部無効にした」と言う太田光の主張が正しいとなると、仮に大阪の衆院選で「維新の党」が勝利した場合は、「都構想」を全国的に適用しなければ「選挙の意味を全部無効にした」事になってしまう。

確かに、沖縄に負担が集中する基地問題は、沖縄県民にとっては深刻な問題であり、地政学的問題があるとは言え、他の都道府県民に比べ、沖縄県民の負担が突出する公正(公平)を欠く事実も否定出来ない。

しかし「基地が沖縄経済の障害だ」「政府からの補助金が多いと言うが、沖縄県民の苦痛は金では解決出来ない」と言う沖縄の主張が、国民全体の支持に広がらない裏には、基地関連不動産収入や基地雇用(共に税金)、政府の手厚い補助金等を享受しながら「基地撤廃」を叫ぶ事にもある。

一度、これ等を全て辞退して闘って見たらどうだろう。

沖縄県と国家との対立ではっきりした最大の課題は、日本の統治機構が不全に陥っている事実である。

何処の国でも「外交」「防衛」「通貨発行権」は国家の専権事項の最たるもので、これらの機能を地方や民間に任せていては国の統治は機能しない。

沖縄の基地問題は、日本の外交や防衛と切っても切れない重要施策であり、本来なら国家の専権事項に属すべき性格の物である。

だからと言って、沖縄県民の意向は無視できない判断の難しい問題だが。最終決定権は政府が行なうべきで、辺野古移設問題の根拠法が「県漁業調整規則」で、その担当大臣が農水相だとは開いた口が塞がらない。

これは、日本の統治機構や法制度に「国家緊急権」に関する概念も規定もないと言う重大欠陥がある事にも関連している。

これを平たく言うと、終戦後の復興を急いだ日本は、手っ取り早く「旧憲法」と「新憲法」と言う木に竹を接ぐような不釣合いな材料を拾って来てバラックを建て「雨露」を忍んだが、その後も、本建築に必要な家のあり方とか耐震構造を考えた設計図(国に直せば「価値観」や「理念」)無しに、手っ取り早く家の不都合を直せる「官僚」と言う名の「大工さん」に、有り合わせの材料を集めて貰い補習を重ねてきた結果である。

要するに、日本の統治機構や法体系には「法の欠缺」(ほうのけんけつ:適用すべき法規がないとか、一定の事柄について適用出来る法が欠けていること)が多すぎる事は間違いない。

その為、日本の法律の数はやたらと多いが、どれも有機的なつながりがない上に法の及ぶ範囲も限定的で、新事態に直面する度に「想定外」となり、その是正には「数百本」に及ぶ法律を数年かけて改正する必要があり、結果として、火事が消えてから消防車が到着する事態が続いて来た。

更に、箸の上げ下げまで干渉する「官僚専制制度」を持ちながら、国と地方の棲み分けがはっきりしない日本では、知事が変るたびに地方の特殊事情が国政に影響する欠陥が頻発している。

沖縄はその典型で、最近三代の知事の方針を見ても、稲嶺恵一知事(非自民)は「外交と防衛は国の専管事項だ。(県が)容認するしないの問題ではない」と明言し、次の 仲井眞知事は国と徹底した条件闘争を行ない、現在の 翁長知事は「如何なる理由があっても基地は国外に移せ」と主張するなど、くるくる方針を変える事が大局的立場に立った国政の遂行を困難にしている。

「法の欠缺」が起こした典型例としては、長崎県(農民)と佐賀県(漁民)で争った水門開閉問題が挙げられる。

この問題に対して最高裁判所は「当事者の主張により判断が分かれることが制度上あり得る」として、開門しても、閉門しても、国が訴訟当事者に罰金を払い続ける珍事態が発生している。

この裁決は、中世以来の日本の法原則の一つである「喧嘩両成敗の原則」に代り「喧嘩両成勝の原則」を打ち立てた恥ずべき”歴史的判決”で、その結果、何らかの是正措置が講ぜられない限り、今後も多額の国民負担が継続すると言う世にも稀な「合法的な理不尽」を起こす事となった。

地方の統治責任者である沖縄県知事が、政府に抗議すべきは基地問題ではなく「竹富町」の教科書採択権に対する文科省の不当介入への抗議が本来的責務である。

先進国で検定教科書を持っている国はカナダとドイツでだけで、そのドイツ・カナダ両国でも教科書の採択権は学校又は教師に任せている。
教科書採択権を国が握っている主要国は「国定教科書」を持つ全体主義国家の中国と準全体主義国家の韓国に加え、官僚統制国家の日本の三国だが、常にいがみ合うこの3カ国が、この問題では共同歩調をとっているのか不思議である。

不思議と言えば、地方分権を主張する維新の党が「竹富町」を応援しない事も不可解である。

「竹富町」の教科書採択の違法性を主張する文科省だが「教科書無償措置法」は近隣市区町村でつくる採択地区内では同じ教科書を使うと定め、「地方教育行政法」は各市町村に採択権限を与えると言う法の矛盾があり、竹富町の教育委員会の決定は地方教育行政法を準拠法として決定したもので、この決定に法的に反論できない文科省は「八重山地区は文化圏が一体である」として、沖縄県教委に竹富町の「採択地区離脱」を認めないよう働きかけたと言う。

事が「歴史教科書」問題だけに、文科省は石器時代にしか通じない「集落文化論」を考えたのであろうが、この文科省の役人の馬鹿さ加減に絶望したのか、下村文科相は「2冊使ってはどうか」と言う政治解決を提案したと言う。

理念や法制度の論争では無力な文科省の役人も、2冊の教科書を使うことを予測していない「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」は下村提案が実現すると、お得意の「法改正」が必要になるため、水を得た魚の如く無益な労役に従事する喜びに浸るに違いない。

事ほど左様に、日本には機能する「統治機構」は不在で、「大阪都構想」以上に「日本国構想」が必要なことに気がついた「辺野古」論争であった。

注1:本稿は、辺野古移設の是非とか「育鵬社」教科書の採用の賛否ではなく、日本の政策決定とその実施プロセスの不全を指摘した心算である。
然し、政治的対立の激しい問題について意見を述べるとき、リトマス試験紙の色をはっきりしておかないとあらぬ腹を探られる傾向が強い現実を考え、日本の対立軸についての私の政治的色彩を申し述べると、憲法改正賛成、集団的自衛権容認、米軍普天間飛行場の辺野古移設賛成、地方分権推進、TPP参加賛成、規制緩和推進、武器三原則見直し賛成である。
但し、武器は使い手を誤ると凶器に変質する事は歴史が教える通りで、保守派による改正は容認するが、排他的国粋主義右翼による改正は、全て反対である。
注2:参照、拙稿「『検定教科書』ではグローバル人材は育たない

2015年4月3日
北村 隆司

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