井上教授「憲法9条削除論」のチグハグさ

池田信夫氏のブログ「憲法9条を削除せよ」に誘われて、井上達夫・東京大学教授(法哲学)のやたらと長い題名の著書「リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください」(毎日新聞出版)を読んだ。

井上教授が「憲法9条を削除せよ」と主張する理由は「何が正しい政策か、というのは、民主的な討議の場で争われるべき問題で、自分の考える政策を、憲法にまぎれこませて、民主的討議で容易に変更できないようにするのはアンフェアだ。安全保障の問題も、通常の民主的討議の場で争われるべきだ」という点にある。

池田氏と同様、全面的に賛成である。井上氏は自衛隊は憲法9条違反という考えで、これも賛成。

この立場から「専守防衛の範囲なら自衛隊と安保は9条に違反しない」という長谷部恭男・早稲田大学教授の立場も「修正主義的護憲派」と呼んで、批判している。

長谷部教授の立ち位置は安倍政権誕生前までの内閣法制局と同じで、護憲派は「法制局は安倍政権による解釈改憲を守った」と言っているが、井上教授は「これはウソで、新しい解釈改憲から古い解釈改憲を守ったにすぎない」と分析する。正鵠を射た、胸のすくような駁論である。

解釈改憲の欺瞞を払拭するために、憲法9条を削除し、民主的討議で安全保障政策がとられるべきだというわけだ。

ここまでは結構だが、ここから先の考えに疑問がある。井上氏は「個別的自衛権+国連の集団的安全保障体制」によって日本の安全保障を守る政策を主張している。集団的自衛権の行使については基本的に反対という立場だ。

アメリカを中心とする集団的自衛権というのは、これは明らかに、アメリカの世界戦略のコマの1つとして、日本が巻き込まれてしまうということです。

ここで、護憲派の「戦争巻き込まれ」論に握手してしまうのだ。

国連の集団安全保障なら、アメリカの戦略にからめとられることなく、安全を確保できると考えているようだ。だが、集団安全保障は常任理事国の拒否権でうまくいかない。だから、次善の策として集団的自衛権による同盟国グループが生まれた。

この歴史経過を見れば、集団的安全保障に依存するというのは絵に描いた餅ではないか。普通はそう思うはずだが、井上教授は違う。

私は「たかが国連、されど国連」で、国連改革を地道にやっていくほうがいい、と思っています。

やれやれ、「核兵器廃絶を叫び続けた方がいい」というのと同じである。「理想論ではそうだ」としか言いようがない。

だが、現実は遅々として進まない。だから次善、三善の策をひねり出すのが、国家と国民の安全を担っている政治家の務めである。学者の理想論にのんびりと付き合って「今、そこにある危機」に対処しないわけには行かないのだ。

井上教授は集団的自衛権でワルシャワ条約機構対NATOのような対立ができるのは「非常に危ない」という見解だが、過去の経過を見れば、東西両陣営の衝突はなかった(小競り合いはあったとしても)。それこそ集団的自衛権の「抑止力」が働いたということではないか。

井上教授は「日本は米国に多大の軍事基地を提供しているのだから、今以上の利益供与やリスク負担をする必要などない。なのに安倍政権は集団的自衛権行使容認を閣議決定してしまった。アメリカへの交渉カードを自ら捨ててしまった」と嘆いている。「安倍政権は日本の国益と政治的主体性を本当に守ろうとしているのですか」と。

安倍政権も相当に見くびられたものだ。別に、集団的自衛権の行使を容認したからと言って、米国の行く戦場には地球の裏側までついていかなければならないという義務が生ずるわけではない。どの紛争、戦闘に付き合うかは、それこそ安倍政権、日本政府の主体的判断であり、その実現は外交交渉にかかっている。

米国は少しでも自衛隊を活用したいと考えるし、日本はその負担を少しでも軽くしたいと考える。そこが駆け引き、外交交渉である。集団的自衛権を行使容認したら、交渉力が弱まるという考え方こそ主体性のない意見ではないか。米国にしてみれば、「日本の学界やマスコミもそう言っているのだから、オレたちの戦争に付き合え」と言いやすくなるので、井上教授のような意見が日本で増えるのは大歓迎だろう。つまり井上氏らは日本の主体性を弱める方向に加担しているとも言えるのだ。

日本は米軍に多大の基地を提供している。それだけで十分に集団的自衛権の義務を果たしている。これは井上教授に言うとおりで、日本の外交交渉もそこから始まる。

だが、米国の外交・軍事政策は近年、大きく変わった。とりわけオバマ政権になってから、「世界の警察官」の立場を降りる空気が強まり、軍事予算も大幅に削っている。

日本が一緒に戦う姿勢をとらないのなら、東アジアから徐々に撤退して行くという構えも見せている。中長期的に沖縄をはじめ日本の基地を減らし、グアムやハワイ、オーストラリアに前線基地を後退させる気配も見せている。

別にそうしたからと言って、アメリカ国にとっての安全保障が危なくなるわけではない。「世界の警察官」としての役割が減少するだけの話である。

中国は「太平洋を米国と二分して仲良く共存しましょうよ」と、しきりに米国に働きかけている。現在の米国がその話に乗ることはないが、「世界の警察官」の役割に疲れた米政府が「日本が協力しないのなら、中国に東アジアの支配権を与えても仕方がない」と態度を変える可能性はそれほど小さくはない。

井上教授のように、「日本は米国にとって代替不能な戦略拠点だから集団的自衛権を認めないと守ってやらないぞ、などと言えるわけがない」などと安心し切っていられる状況ではないのだ。

安倍政権はそうした状勢をにらみ、米国との同盟を維持するねらいで、集団的自衛権の行使容認にカジを切り替えた。そうした見方が正しいのではないか。

井上教授はこう書いている。

(日本は)今の置かれている国際環境をしっかりと見て、自分たちの安全保障戦略を主体的に構築していけるようにしなければ(ならない)。

その通りだが、米国の軍事外交戦略の変化や中国の軍事攻勢など国際環境の変化を「しっかりと見て」いないのは、井上先生、あなたではありませんか。そう言いたくなるチグハグさが、井上教授の9条削除論にはある(重ねて言えば、9条削除論には賛成である)。