共産党は「大衆党」になってよみがえるか

日本共産党の研究(一) (講談社文庫)

近ごろ共産党が元気だ。野党統一戦線を組もうという話は、最初はギャグだと思っていたが、民主党の岡田代表が「真剣に検討する」といい始めた。最近では「大衆党」に党名変更するという噂まである。この背後には、小沢一郎氏がいるようだ。

2000年代に、共産党の議席は大きく増えた。総選挙の比例得票数でみても、2003年の総選挙では458万だったのが、昨年は604万と30%以上も増えた。この一つの原因は、社会主義の崩壊を知っている人が減ったことだろう。共産党の公約だけを見ているとぶれないので、いつ消えるかわからない他の野党より頼りになりそうだ。

しかし共産党の本質は変わらない。1961年の党綱領まで「プロレタリア独裁」があり、1973年に「プロレタリア執権」と言い換えられ、76年には綱領から消えた。そのころ今と同じような野党統一戦線で「民主連合政府」をつくるという構想があった。これは日本ではまずブルジョア革命が必要で、その上で共産主義革命を起こすという二段階革命論だった。

当時の共産党は38議席で、野党第2党だった。大都市で社共共闘による「革新自治体」が生まれたのも、このころだった。いま思えば、このころ共産党が「ユーロコミュニズム」のような構造改革に路線転換すれば、イタリアのように野党第1党になる可能性もあった。

上田耕一郎・不破哲三は構造改革派だったが、マルクス・レーニン主義に「擬装転向」した。その後の「柔軟路線」も上田兄弟が主導したもので、宮本はそれを党勢拡大のために容認したが、党執行部は宮本派で固めた。60年代以降の共産党は一貫して、宮本顕治党だったのだ。

1990年に、35歳で国会議員でもない志位和夫氏が書記局長に抜擢されたのも、彼だけが宮本に盲従する「忠犬」だったからだ。したがって今の「志位共産党」もレーニン以来の「民主集中制」であり、対外的には柔軟に見えるが、党内はきわめて保守的な志位氏の独裁である。

宮本の権力の源泉は「獄中12年」の伝説だが、立花隆氏が調査したように、彼が無期懲役になったのはリンチによる殺人罪で、非転向を貫いたからではない。彼は戦前から一貫してコミンテルンに盲従し、戦後もコミンフォルムの方針に従って火焔瓶闘争などを主張した。その権威主義のDNAだけは、志位共産党にも受け継がれている。

いずれにせよ共産党は30年ぐらい前に賞味期限の切れた毒饅頭みたいなもので、小沢氏が野党を破壊する「最終兵器」としては持って来いだろう。これで野党が壊滅したら、長い目で見ると日本の政治はよくなると思う。