バチカン法王庁のナンバー2、国務長官、ピエトロ・パロリン枢機卿は6日、「ローマ法王フランシスコは聖職者の独身制の改革を考えていない。独身制問題はローマ法王の緊急課題となっていない」と述べた。ローマ・カトリック教会系グレゴリアン大学での会議で語った。
欧州のメディアでは先月末、「フランシスコ法王は聖職者の独身制の見直しを考えている」「メキシコ訪問の際に独身制の緩和を発表するのではないか」といった憶測が流れていた。パロリン国務長官の発言は独身制に関する憶測を否定する狙いがあったものとみられる。
その上で、パロリン枢機卿は、「独身制をどのように改革するか自分には分からない。聖職不足は独身制とは直接関係はなく、人口減少、特に欧米社会の少子化に関連するものだ。例えば、婚姻が認められている聖公会も聖職者不足に直面している」と述べている。
南米教会出身のフランシスコ法王は前法王べネディクト16世と同様、「独身制は神の祝福だ」という立場だ。ただし、「聖職者の独身制は信仰(教義)問題ではない」と認めている。なお、フランシスコ法王は聖職者の2重生活については批判的だ。聖職者が一人の女性を愛するなら、聖職を断念し、愛する女性と家庭を持つべきだという立場だ。
パロリン国務長官自身、2013年、べネズエラ日刊紙の質問に答え、「カトリック教会聖職者の独身制は教義ではなく、教会の伝統に過ぎない。だから見直しは可能だ」と述べ、欧州メディアで大きく報道されたことがある。
カトリック教会では通常、聖職者は「イエスがそうであったように」という理由から、結婚を断念し、生涯、独身で神に仕えてきた。しかし、キリスト教史を振り返ると、1651年のオスナブリュクの公会議の報告の中で、当時の多くの聖職者たちは特定の女性と内縁関係を結んでいたことが明らかになっている。カトリック教会の現行の独身制は1139年の第2ラテラン公会議に遡る。聖職者に子供が生まれれば、遺産相続問題が生じる。それを回避し、教会の財産を保護する経済的理由が(聖職者の独身制の)背景にあったという。
ところで、バチカンは昨年10月4日から25日まで、世界代表司教会議(シノドス)を開催し、「福音宣教からみた家庭司牧の挑戦」について継続協議を行った。シノドスの主要議題の一つは離婚・再婚者への聖体拝領問題だった。
シノドスでは「個々のケースを検討して決める」という見解が多数を占めた。すなわち、神の名による婚姻は離婚が許されないが、何らかの事情から離婚した信者に対して聖体拝領の道を閉ざさず、現場の司教たちが判断を下すという見解だ。離婚を認めないカトリック教義を維持する一方、聖体拝領を離婚・再婚者にも与える道を開くという典型的な妥協案だ。
一方、先述したように、聖職者の独身制は教会の教義ではなく、伝統だ。普通に考えれば、教義の見直しは大変だが、伝統は必要に応じて改革、刷新できると考える。
しかし、カトリック教会では逆なのだ。聖職者の独身制の見直しは離婚・再婚者への聖体拝領問題よりもはるかに難しいのだ。当方の憶測だが、独身制の見直しは教会全体への影響が離婚・再婚者への聖体拝領の刷新よりはるかに大きいからではないか。
離婚が多い世俗社会で離婚、再婚者に聖体拝領を拒否すれば、教会を訪ねてくる信者は減少していく。だから、教会側としては教義と現実の妥協がどうしても不可欠となる。一方、聖職者の独身制を改革し、緩和すれば、家庭持ちの聖職者が増加し、子供たちも生まれるから、教会の経済的負担は当然増加する。
家庭持ちの聖職者の増加は家庭問題を抱える信者への牧会にプラスだが、聖職者の家庭が離婚問題に直面するかもしれない。イエスを新郎とし、イエスと結婚していると信じる多くの修道女に動揺が起きるかもしれない。家庭を持った故に、愛は聖書の中の問題ではなく、日常生活での課題となるからだ。
改革を実行するのは、その結果、以前よりいい影響が考えられる場合だ。改革実行後、組織や機構が混乱し、衰退するならば、改革の意味はない。フランシスコ法王が聖職者の独身制の見直しに消極的なのはある意味で当然かもしれない。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年2月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。