ザ・セカンド・マシン・エイジ

中村 伊知哉

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MITスローンのマカフィー+ブリニョルフソンによる「ザ・セカンド・マシン・エイジ」。
同コンビによる「機械との競争」の続編です。
人間は機械と共存できるのか、を楽観的に問います。

前作については2年半前にブログでメモしました。
http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2013/05/blog-post_6639.html

日本語版の序文が示唆に富みます。
“マルクスもケインズも技術革新が失業を招くと説いたが、近年の経済学者は、技術はコストを下げ需給を増強すると説く。”
“自動車で馬は消えたが、人間は馬と違って欲望があり、資本を持つことができ、投票権がある。”

8章「GDPの限界」が重要です。
コンピュータ、ネット、AIの進化を説く7章までと、9章以降の格差・スキルは読み飛ばしてよかった。ぼくは、ですが。GDPの限界、そのポイントを7点挙げます。

ポイント1
ネットで音楽は売上が4年で40%下落、経済統計からも消えたが、クオリティは上がり、人はよい音質の音楽を大量に聞くようになった。

ポイント2
モノ・サービスが生む消費者余剰をどう計測するか。$1で買っていいモノがタダで買えるならGDPが$1減って消費者余剰が増えるが、どちらが指標として重要か。

ポイント3
値段がゼロだと生産の数値はゼロだが、無価値ではない。ネットで検索や取引などがタダでできることの生活満足度、共有経済による便益もGDPに反映されない。「経済的満足がGDPに反映されるとは言いがたい。」

ポイント4
GDPに情報産業が占める割合は4%。これは80s後半から変わっていない。「ITが生む価値を反映していない。」

ポイント5
時間というリソースをどう計測するか。米国人がネットで使う時間は10年で2倍に。時間価値をネットに向けている。2012年、フェイスブックの利用時間はパナマ運河建設に要したマンアワーの10倍。これはGDP統計にカウントされない。

ポイント6
今後の生産は、知財、組織資本、UGC、人的資本の4つの無形資本財に依存する。しかしGDP統計では無視される。

ポイント7
そこで、国連開発計画の人間開発指数、OECDのプロジェクトなど新しい指標づくりが模索されている。

ITによる産業拡大と消費者余剰のどちらを重視するかは、ネットとコンテンツの間にも同様の議論があります。

「音楽業界がなくなっても、音楽が発達すればいい。」

むかし音楽業界のイベントでぼくはそう発言して、とんでもなく顰蹙を買いました。でも今もそう思います。音楽の産業よりも、音楽の生産や共有や利用が大事。産業は、その役に立つ限り大事。

音楽に限らず、コンテンツの「業界」や「産業」が必要なのは、クリエイターが食い続けられて、生産と流通を確保するため。コンテンツの発展にとって、産業に代わるシステムがあればそれでもいいわけで。

だからぼくは10年前、政府がコンテンツ政策の目標を「産業規模の拡大」に据えた時に異議を唱えました。コンテンツの生産量や消費量の拡大に置いたほうがいいと。

結局、日本のコンテンツ産業規模の規模は縮小していますが、でもコンテンツが廃れているとは思えない。みんなが発信する情報量は何十倍も増えてます。

コンテンツ量を測る指標として、総務省の情報流通センサスがありました。最近これは使われていないようですが、情報量を測る新しい指標があるといい。

これも10年前、ポップカルチャーのソフトパワーを研究する「ポップパワープロジェクト」をスタンフォード日本センターで立ち上げた際、スタンフォード側から指標化すべきとの指摘がありました。GNPならぬGNPPを作れと。

GNPP(Gross National Pop Power)というのは無論、クールジャパン論の元になったDマッグレイのGross National Japan Coolになぞらえたもの。ーーですが指標化はぼくの手に余り、うまく行きませんでした。

ザ・セカンド・マシン・エイジが示す国連やOECDの新指標づくりに期待します。が、それよりも、ネット時代の新指標を日本が作り出したい。どうです?

TPPの知財問題もしかり。コンテンツ「業界」の拡充を重視するのか、コンテンツの生産メカニズムや共有メカニズムや消費インセンティブを重視するのか。そのバランスを図ってきた国内制度がTPPで崩れることにどう対応するかの議論をしたい。

本書の著者は前作で、著作権保護期間を短くすべきと提言しました。MITの経済学者がそう発言することにぼくは注目しましたが、国際政治は逆の方向に進んでいます。

さてさて、問題は続きます。