心優しい人達が見たくない「不都合な真実」

2016年07月05日 06:00

バングラデシュで7人の邦人がイスラム過激派に惨殺された。場所は私自身にも馴染みの深いところで、場合によれば、その時にその場所に自分自身がいた可能性も大いにあるので、他人事には思えない。

犠牲者はみんなバングラデシュの近代化の為に地道な努力をしていた人達だ。この人達を「イスラム教徒でない」というだけの理由で斬り殺す犯人達を、私はどんな事があっても許す事はできない。犠牲になられた方々の為に復讐を誓いたいぐらいだ。

こういう事件が起こると、「しかし、この問題の根は欧米社会のイスラム社会の長年にわたる確執にあるのだから、日本人は局外中立であるべき」とか、「問題の根は貧困と格差の拡大にあるのだから、この問題が解決されない限り、事の善悪は論じられない」とか言う人が必ず出てくる。中には「諸悪の根源は経済のグローバリズムにあるから、それを変えない限り何も変わらない」と言う人達もいるだろう。

この人達の言われる事は一々ご尤もなのだが、この人達の言う事を聞いていても、問題は何ら解決しないし。こういう人達が色々と「評論」して、「自分達の心優しさ」に対する自己満足に浸っている間に、テロリスト達は、対抗措置がないのをよい事に、ますます野放図にその活動を拡大していくだろう。そして、ますます多くの人達が、理不尽に殺されていくだろう。

私はビジネスの世界に長くいたので、どうしてもそう考えてしまうのかもしれないが、ビジネスの世界では「あいつは評論家だからなあ」というのは「あいつはクソの役にも立たない穀潰しだからなあ」というのとほぼ同義語だ。こういう人達には、しばらく黙っていてもらった方が良い。

テロの動機は様々だが、共通項がある

今回のダッカの事件の犯人は、いずれも裕福な家庭の息子達で高学歴だという。だから、彼等が格差の拡大に怒って事を起こしたのでない事だけは確かだ。彼等はイスラムの教義に深く帰依し、「酒を飲み、豚を食い、アラーの偉大さに全く思いを馳せた事もない外国人達」をただひたすら許せなかったのだろう。

わずか170年程前の日本で、「尊王攘夷」を唱えて悲憤慷慨していた若者達も、ほぼ同じ精神状態だったのだと思う。「自らの死を賭して穢れた外国人を斬り殺す」事を多くの若者達が願い、周りの多くの人達も、その意気を壮として賛美した。斬り殺すことによってどの様な未来が開けるかについては、彼等は殆ど何も考えていなかった。

ずっと時代が下って昭和初期に至っても、日蓮宗に深く帰依した井上日召などは「一人一殺」をモットーに若者達をテロリストに育て、多くの要人達を暗殺し、または暗殺を恐れさせて、時代の流れにある意味で大きな影響を与えた。

「世の中は悪に染まっている。これを変えるには普通の方法では何も達成できないが、その悪の中心にいる人間を一人でも殺せば、少なくともその分だけ世の中は良くなる」という考えは、どんな国でも、いつの時代にも生まれ得るが、集団が小さい方が先鋭化しやすい様に思える。

テロリストに左派(マルクス主義者)が意外に少ないのもそれ故だろう。(左派はどんな場合でもそんなに少数ではないので。)民族主義者や国粋主義者が多い。

日本が支配していた頃の韓国では、日本の支配を憎んだ安重根が、ロシア人の支援を受けて(或いはロシア人に利用されて)ハルピン駅で伊藤博文を暗殺したが、伊藤博文は日本の政治家の中では最も親韓的な人物だったので、彼がいなくなった事で、明らかにその後の韓国人の生活がより悪くなったのはほぼ間違いない。しかし、韓国人は今でも彼を「民族の英雄」と考えている。

現時点ではイスラム過激派が一つの流れを作ってしまったので、多くの国で、彼らの思想に共鳴したと称する人達がテロを起こす確率が高くなった。イスラム国は弱体化しつつあるので、世界中に自らの組織を拡散していく力はなくなりつつあると思うが、メールなどで交流して、各国の不満分子に思想的なお墨付きを与えるような事は続けられるだろう。しかし、これは一つの流れではあっても、全体の流れの中の一つに過ぎないと私は考えている。

残念ながら、これからテロは更に増大しそうだが、その「共通項」は、「異質のものに対する嫌悪感」と「その勢力が大きくなっていく事に対する恐怖」に突き動かされた「暴発」ではないだろうかと、私は思っている。 移民問題の深刻化がこれに輪をかけるだろう。

これはかつての日本の尊王攘夷家や現在のイスラム過激派とも一脈通じるものだが、その思想的背景は今後は際限もなく多岐にわたっていくだろう。同性愛者を憎んだフロリダの乱射事件の犯人や、与党が主催した子供達のイベント会場を襲ったノルウェーの国粋主義者も、この典型と見るべきだ。

我々がやるべき事

如何なる場合でも、私は現実にやるべき事に言及しない評論を書くつもりはないから、今回も、多少乱暴ではあるが、我々は今何をするべきかを述べたい。このテーマについては、「頻発するテロとどう向き合うか?」と題した昨年12月7日付の私のアゴラの記事でも少し考察したが、今回はもう少し乱暴な議論をしたい。

テロを少しでも減少させ、自分自身の身を守る為には、世界中の「一般市民」も一つの「共通項」を持たねばならない。それは、「あくまでも暴力と破壊を憎む事」だと私は思う。言い換えれば「暴力を絶対的な悪」だと規定する事だ。従って、自らも、如何なる場合も暴力に訴える事を自制すべきは当然だ。ジハード(聖戦)も否定されなければならないし、暴力革命は断固として否定され、議論による合意形成をベースとした「改革」が常に推奨されねばならない。

こんな事を言うと、いかにも優等生の作文の様で馬鹿にされそうだが、そこまで言わなければ、一般市民の強い意志は生まれず、問題は解決できない。

次に、我々「世界の一般市民」は、自らの「守るべき価値」を明確にしなければならない。先回りしてそこまでやらないと、いつも肝心な時に議論が空転して、結論が出ず、テロリストに常に先を越されてしまうからだ。

ここで欧米人達はよく「文化」という言葉を使うが、私はもっと具体的に規定したい。我々が守るべきものは、先ずは「民主主義体制で支えられた法治国家」であり、次に「公正な国際市場をベースとした自由主義経済」であると私は思っている。後者は当然「グローバル経済体制」を意味する。

こんな事を言うと、左派の人達は反発し、「お前は所詮は資本主義の走狗だ」と言いそうだが、自由主義経済やグローバル経済の体制無くしては、先進国たると発展途上国たるとを問わず、一般市民の今の生活水準はとても守れないのだから仕方がない。

米国を中心に、現在の極端な経済格差を生んだ「歪んだ税制」や「国際金融資本主義の行過ぎ」は、必ず正されなければならないが、グローバル経済体制を否定する事はもはや100%不可能だ。かつての攘夷論者が忽ち開国論者に鞍替えしたように、現在の攘夷論者もグローバル経済体制を受け入れざるを得なくなるのは必定だ。

グローバル経済体制の根幹は、先進国が蓄積してきた資本や技術、更には政治経済の運営ノウハウを、発展途上国に注入し、最終的には(気の遠くなる様な先の事になろうが)世界規模で「同一労働・同一賃金」を実現する事だ。この大目的を実現する為にも、我々はテロに竦む事なく、海外での活動を拡大するしかない。バングラデシュで殺害された方々の努力を無にしてはならない。

これによって世界中の市民は「食料や燃料などの生活必需品」を安価に安定的に入手できるようになり、その上に、それぞれの価値観に基づいた「多様なサービス産業」を作っていく事が可能になると私は思っている。これはかつて共産主義者達が夢見た事であるが、今となっては「資本主義(自由主義経済)の方がこれを実現するのに向いている」と、世界中の殆どの人が理解するに至っている。

さて、話を焦眉の問題に戻したい。

現在、世界中の多くの国では、銃器や爆発物を入手するのが比較的容易になった。一方、インターネットの普及により、仲間を集めたり経験者の助言を得たりするのも容易になった。しかも、多くのテロリストが「厳重な警戒をかいくぐって要人を殺す」よりも「警戒が軽微な場所で多数の人達を殺す」方が、容易に歴史に名を刻めると思っている。

もはや、彼等は明確に我々一般市民の敵だ。彼等がテロリストになるに至った背景等については、後世の研究者に任せよう。我々には、もはやそんな事を研究している余裕はない。

公然とテロリストである事を謳っている組織は壊滅させるしかない。暴力によって多くの人達の人権を踏みにじり、自らの政治的な野心の為に一般市民の経済基盤を破壊しようとする人達には、死んで貰うしかない。地下に潜んで機会を狙っている過激組織や、精神を病んで破壊願望の突破口を求めている潜在的テロリストは、早期に摘発して拘留するしかない。

しかし、今や世界は一つにつながっている。何時どの国で問題が起きてもおかしくないし、どこの国の人間であっても、たまたまその国に滞在していれば、災難を避ける事はできない。従って、世界中の至る所に隙間のない監視体制が敷かれていなければならない。国際的に連携する組織を作って、効率の良い摘発体制を全世界の国に洩れなく確立するのが急務だ。

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