【映画評】シン・ゴジラ

渡 まち子
シン・ゴジラ音楽集
現代日本に初めてゴジラが現れた時、日本人はどう立ち向かうのか?
(配給会社の意向により、詳細なストーリーは記載していません。ご了承ください)

日本発のゴジラとして初めてフルCGで作られたゴジラ映画の最新作「シン・ゴジラ」。脚本・総監督を務める「エヴァンゲリオン」の庵野秀明監督は、音楽で過去のゴジラにリスペクトを配しながら、完全オリジナルで描かれる物語でゴジラという存在の意義を再定義している。最初に登場するゴジラのビジュアルの意外性(?)に椅子から転げ落ちそうになったが、そこをグッとこらえて見続けていると、ゴジラは瞬く間に変化し、黒い皮脂の内側に赤くただれたような光を内包する恐ろしい姿に変貌。都市を破壊し、人々のかけがえのない生活をなぎ倒して、非情に進むゴジラに、誰もがあの東日本大震災を思い起こすはずだ。

本作のゴジラとは、人間に対し何のシンパシーも持たない、未曽有の災害や恐怖の象徴に他ならない。だからこそ「シン・ゴジラ」は怪獣映画である前に、危機管理と有事のシミュレーション劇にしてポリティカル・ムービーなのである。圧倒的な量の専門用語がすさまじいスピードで繰り出される会話劇は、防衛のための武力行使か、国民の人命尊重かの決断を迫り、日米の、あるいは官僚同士のかけひきを高速のカット割りで描いていく。それでいて、日本の未来を信じて突き進むヒロイズムも忘れていないところが泣かせるのだ。

300人を超える豪華キャストが次々に現れてはあっさりと消えていく。あまりにもエヴァ的な演出に既視感を感じる。感傷的なドラマや恋愛劇はいっさいないので、一瞬も気を抜けない。エヴァに通じる作家性に貫かれた終末映画となったこの「シン・ゴジラ」には、賛否があるだろう。だが私はこの力作映画に“賛”だ。長谷川博己演じる矢口の「この国はまだ大丈夫だ」の希望の言葉に、不覚にも涙ぐんでしまった。現代日本に現れたゴジラは、真か、新か、あるいは神か。私は日本への「信」だと思いたい。

【85点】
(原題「シン・ゴジラ」)
(日本/脚本・総監督:庵野秀明、監督・特技監督:樋口真嗣/長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ、他)
(大人向け怪獣映画度:★★★★★)


この記事は、映画ライター渡まち子氏のブログ「映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評」2016年8月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。