村上春樹がノーベル賞を取れない重大な理由

イスラエル批判が尾を引く?

今年も村上春樹がノーベル文学賞の受賞を逃しました。畑違いの歌手ボブ・ディランが受賞し、村上ファンは絶句し、ディランのファンは狂喜しました。私には「村上春樹の受賞をいつまでも期待していても無理だよ」というメッセージのように聞こえます。ノーベル財団、委員会にはその気がないのではないかと思います。

ディランについても、村上春樹についても、おびただしい数の論評が流され、それぞれに説得力はあるでしょう。私が気になるのは、村上春樹がいつまでたっても受賞できない大きなある理由があり、多くの評論家、専門家がそれにほとんど触れないことです。推測を含めてでも触れないのは、なぜなのだろうと、不思議に思います。

それは、村上春樹がエルサレム文学賞を受賞(2009年)し、招かれたエルサレムで語ったスピーチです。直接的な表現は避けながらも、主催者側のイスラエルを痛烈に批判し、ガザ地区(パレスチナ自治行政区画)で命を落とすパレスチナ人の側に立った内容になっています。ノーベル賞の有力候補の著名な作家ですから、当時、大きな波紋を呼びました。

押しつぶされる卵の側に立つ

「壁と卵」と題するスピーチで、村上春樹は「私は常に、卵の側に立つ」と、語ったのです。「高くて固い壁あり、それにぶつかっていく卵があると、すれば卵の側に立つ」。「爆弾、戦車、ロケット弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の人たちが卵です」。

ガザ地区に対するイスラエルの武力行使を批判する声は国際的に広がっていました。エルサレム文学賞は、個人の自由、人間の自由、社会、政治、政府といったテーマが対象といいます。パレスチナ側からすると、逆のことをイスラエルはしているということでしょう。

エルサレムに乗り込んでの「勇気あるスピーチ」という評価の一方で、「反イスラエルの立場をとったことで、ノーベル賞は取れなくなった」との懸念もささやかれました。エルサレム賞はノーベル賞への近道とされていましたから。イスラエルの人口の75%はユダヤ人です。また、ユダヤ人はユダヤ教を信仰しているか、母親がユダヤ人とされ、国籍はまちまちで世界各国に広がっています。

ノーベル賞を左右するユダヤ人の力

なぜ反イスラエルの姿勢(反ユダヤ)がノーベル賞を遠ざけるのか。そこからは推測です。ノーベル賞受賞者は米英独などの白人が圧倒的で、白人の中でもユダヤ人(ユダヤ系)の受賞者比率は20%とか。ノーベル賞授賞者の決定に大きな影響力を行使する目には見えない力学がどこかで働いている結果でしょう。

文学賞だけとっても、ユダヤ人(ユダヤ系)受賞者は15人にのぼり、今回のボブ・ディランもそうです。祖父はユダヤ人への迫害から逃れるために、ロシアから米国に移住してきました。父親もディランもユダヤ人として育てられたとの解説を読みました。

1970年、そのディランはキリスト教に改宗しています。ディランはノーベル賞受賞について、何もコメントをしていません。賞を受けるとも受けないとも、授賞式に出席するともしないとも。反戦歌風の曲も多いディランはひょっとして村上春樹のように、壁側(イスラエル側ないしユダヤ人側)でなく、卵側(パレスチナ人側)に立つ人物なのでしょうか。ユダヤ人であるがために、口には出さず、沈黙で何かを伝えようとしている。考えすぎでしょうかね。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2016年10月18日の記事を転載させていただきました(アイキャッチ画像はNNNニュースより)。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。