成人式化するハロウィン 若者叩き、リア充批判の絶好の機会に

2016年11月01日 12:30

常見@1101

私は「成人式荒れる若者」的な報道が嫌いだ。わざわざ荒れる若者がいそうな地域の成人式に張り込んで、その様子をとる。それはごく一部の若者であり、一般的なものではない。仮にその場で荒れたところで、実は年貢の納め時的に、もうやんちゃもできないからという理由からだったりする。要するに狙い撃ちした報道である。もちろん、それをメディアに出るチャンスと捉える者もいるわけだが。

ハロウィンだった。思えば、今年は日本におけるハロウィン20周年とも言える時期である。1996年から日本最大のハロウィンイベント「KAWASAKI Halloween」が始まった。ディズニーランドが「Happy Halloween Twilight Parade」を行ったのは1997年だ。もっとも、博報堂生活総合研究所の定点観測データによると、当時のハロウィンイベント参加率は1~2%程度。「1年以内にした年中行事は何ですか?」という質問に「ハロウィンの祝いごと」と答えた人の割合は2016年時点で12.7%だった。

恋人ではなく、家族や仲間との体験の共有、非日常感、ライブ感、イベント感、夏とクリスマスの間に盛り上がれる機会、リアルとソーシャルの融合などハロウィンの盛り上がりは様々な文脈で論じることができるのだが、若者叩き、リア充批判の機会となっていると感じる瞬間がある。メディアにしろ、個人にしろ、若者の馬鹿騒ぎ、リア充すぎる光景をおさえ、面白がる場になっていないか。

ハロウィン市場がバレンタインを超えた、クリスマスを超えるかも的な報道も盛り上がりを見せているが、これが単なる若者叩き、リア充批判の場になってはよくない。社会の断絶、分断を可視化する場となっていないか。ある層がある層を面白がる場となっていないか。高齢化社会である。多様な個人が存在する社会である。参加した老人がそのままお化けになるようなことがあってはならないが。恋愛をしていなくても、誰もが楽しめるという理由で盛り上がったハロウィンは、いつの間にか一部の人のものとなっていないか。より間口を広げること、参加しない者の権利を守ること。これが今後、必要な配慮である。優しい社会をつくろうではないか。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2016年11月1日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた常見氏に心より感謝申し上げます。オリジナル原稿を読みたい方は、こちらをご覧ください。

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常見 陽平
千葉商科大学国際教養学部専任講師

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