美濃加茂市長逆転有罪 〜 裁判官からの見え方を念頭に置く必要性

早川 忠孝
美濃加茂市長記者会見(産経)

逆転有罪の判決後、記者会見で厳しい表情を浮かべる藤井浩人美濃加茂市長(産経ニュースより引用:編集部)

無罪請負人なる言葉が一時持て囃されたことがあるが、私が知る限りではそういう弁護士はいない。

被告人が無罪になるかどうかは、あくまで法と証拠に照らして判断するしかないので、犯罪事実を示す証拠が法廷に顕出されていて、合理的な疑いを入れない程度に犯罪事実が証明されていれば、どんなに有能な弁護人であっても有罪の被告人を無罪にできる魔術師みたいな人はいない。

弁護活動の巧拙で判決が左右されたのではないかしら、と思うようなケースも確かにあるのだが、よほどの手抜きをしている弁護士か、未熟なために法律上の争点を誤って理解したり、証拠の検討が不十分で重要な事実を見落としたりしていなければ、大体はまずまずの弁護をしているということになる。

いくら名医と言われている人でもすべての患者の命を助けることが出来ないのと同様に、いくら優れた弁護人であってもすべての被告人を無罪に出来るわけではない。

したがって、普通の弁護人は特定の被告人やその関係者に無罪を請け負うようなことはしない。

日本は起訴便宜主義を取っているから、特定の刑事事件を起訴するかしないかは検察官の裁量で決まることになる。

いわゆる軽微な事件や、証拠関係が今一つ十分でないとか起訴しても裁判所が無罪判決を出す可能性が強い事件などはそれなりの捜査はしても結局は起訴しない、などということもある。

起訴されれば99パーセント有罪判決になるのには、そういう背景がある。

刑事弁護の実務で有能だと言われている弁護士は、まずはどうやって起訴を回避するか、ということに全知全能を傾ける。

検察官が起訴することにした事案は、少なくとも検察官の目で見れば犯罪事実の証明が十分であり、裁判所が無罪判決を出すはずがないという程度の普通の法律家としての確信を持った事案だと考えるべきで、起訴されてしまえば、弁護人がどんなに立派でも無罪判決を獲得することは針の穴を通すくらいに難しい。

美濃加茂市長の受託収賄被告事件で無罪判決を獲得した、というのは、無罪判決を獲得するための弁護活動が見事に奏功した稀有の事例、画期的事例として評価していいのだと思う。

この無罪判決が確定すれば、美濃加茂市長の弁護人はよくやった、大したもんだということになったのだが、控訴審裁判所は、昨日、原審の無罪判決を破棄して被告の美濃加茂市長に執行猶予付きの有罪判決を言い渡した。

事実関係や証拠関係を知らない私たちが特定刑事事件の判決や弁護活動について軽々にコメントしない方がいいと思うが、一つだけ言えることがある。

刑事裁判の判決を予想するのは難しい、ということだ。
事実関係の評価、証拠関係評価は人それぞれで、裁判官は必ずしも弁護人の主張するようには判断しない、ということである。

この裁判官だったらどう判断するか。
この裁判官の目には、どう見えるだろうか。

弁護側としては、そういうことを念には念を入れて検討しておく必要があった、ということである。

裁判所は、法廷に顕出された証拠に基づいてしか事実の認定が出来ない。
犯罪事実を証明する証拠が法廷に出ていれば、裁判所は有罪判決を出すだろうし、事実はともかく犯罪事実を証明する証拠が法廷に出されなければ、裁判所は有罪判決を書かないということだ。

著名な政治家が関わる政治資金規正法違反事件で一審有罪、二審無罪となった事件がある。
この事件の場合は弁護側の証拠排除作戦が見事に成功したが、今回の美濃加茂市長の受託収賄被告事件では結局証拠排除までは行かなかったということだろうと思っている。

私としては、美濃加茂市長をこんな程度の事件で身柄拘束したり起訴すべきではないとかねてから思っていたので、甚だお気の毒だと思うが、しかしだからと言って、裁判所が判断を間違えた、とは言えない。

結局、有能な刑事弁護人は犯罪事実を証明する証拠の法廷への顕出を防ぐために様々な法廷技術を駆使し、これに成功すれば裁判所は無罪判決を出すが、証拠排除に至らなければ、有罪判決が出されるのはほぼ自然の成り行きだった、ということだろう。

まあ、何の足しにもならないだろうが、かつて法友全期会で刑事弁護マニュアルという本を出した時の発行責任者の一人(法友全期会代表幹事)として若干の感想を書いておく。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2016年11月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。