大阪の企業が大きくなるとすぐに東京に移るのに京都の企業は本社を移しません。また、任天堂や京セラをはじめとして京都からはベンチャー企業がどんどん生まれてますし、老舗も隆々と栄えているところが多いのです。
「誤解だらけの京都の真実」(イースト新書)では、井上章一さんの「京都嫌い」(朝日新書)で書かれたような文化的な側面だけでなく、ビジネスの知恵も扱っていますが、このテーマもその一つです。
京都では、客より店の人の方が威張っていることが多いといわれます。少なくとも、「買っていただいている」と一方的にへりくだるのとはまったく違う世界によく出会うのです。
一見さんお断りも多い。そうでなくとも、決して入りやすくない敷居が高そうな雰囲気の店に意を決して入っても、「どちらさんで」とか「何か御用でっしゃろうか」とかいわれ、商品の見本もなく、話のとっかかりもつかめないことがあります。
老舗の方からすれば、そういった態度は自分のところの商品やサービスに付加価値をつけることになるのです。だから、売る方にとっても買う方にとってもいいことなのです。売る方がへりくだってばかりいるとそうはいきません。
店の人がやたら客にへりくだるのは、日本特有の現象ではないかと思います。パリで買い物をするとして、それほど高級ブティックでも同じです。
日本はお客様は神様病だと思います。選挙の演説でも、自分に投票すればあなたにとって明るい未来が待っているとはいいますが、私を議員にさせてくださいというお願いなんぞしません。土下座をする候補者など想定の外です。
「一見さん、お断り」というのは、紹介者がいないお客さんは取らないということです。料理屋や老舗の商店でもあるが、より典型的にはお茶屋さんです。
自分の流儀や趣味を評価してくれる客だけを相手にしておれれば、細かいところでは相手の趣味に合わせるにしても、自分の守備範囲や人脈の中でのちょっとした工夫ですむということが大事なのです。
ところが、有象無象を相手にすると、思いもかけぬ無理な注文は来て対応に手間暇もかかるし、また、その苦労ほどに感謝してもらえるか分からないです。つまり、「一見さん、お断り」は交渉コストを下げる知恵なのです。
それに、飛び込みの客を相手にしていると、いっときのブームの間はいいが、すぐに潮が引くようにいなくなるということもあります。
こういう「一見さん、お断り」の論理は先端産業分野の京都企業にも生きています。ある機械メーカーの社長からこんな話を聞いたことがあります。
「うちが儲かっている秘訣は客を選んでいるからです。価格について無茶な要求をする、使う技術が低くて故障を起こす、うちの機械の悪口をいう、といった企業とはできるだけ取引をしない、また、これまでしていたとしても無理にお付き合いを続けようなどと思いません。だから高収益なのです。逆にいうとこちらが選べるような製品やサービスを提供できるようにするということですが。」
この国では同じようなタイプの企業が客を求めて争い自分の首を絞めることが多すぎはしまいかと思います。その地獄から抜け出すことこそが着実に儲け、息長く生き残るための極意なのです。