西宮市長の今村岳司さんの一連の発言が物議を醸している。
先月市内で開催された「中高生30000人の夢project」、中高生ミーティングでの発言。どういったものだったかというと
中高生だったころの私に必要な「居場所」は、授業を抜け出してタバコが吸えて楽器が弾けるところ、でした。(中略) 私たちは鍵を盗みだし、合鍵を造りました。それで私たちは自由にタバコが吸えて楽器が弾けました。でも、この自由を継続させるためには、一線を越えないことが重要でした。先生に「注意しなくてはならない情況」にさせないこと。その範囲内で、私たちは「居場所」を手に入れました。「居場所がない」という人は、ほんとうにないのか、もういちど考えてください。自分でくふうして手に入れようとすることがだいじです。オトナが与えてくれるなんて大まちがい。一線を越えない範囲で、これまで「無理」と思っていた範囲を破らなきゃ。それが若いことの特権。
1.批判の論理と感情
「不適切だ」「市長らしくない」といった批判をする人々の感情はわかる。特に、真面目にルールを守ったきた人にとっては、居場所を確保する目的とは言えルールを守らないこと、その計算された戦略的な行動に違和感を感じただろう。
とはいえ、議会の議場での発言ではなく、市長での定例会見ではなく、中学生・高校生と話し合う場である。発言には文脈というものがあるわけで、それを踏まえないで批判しても意味がない。さらに、公的な立場には「適切な」発言をどこまで求められるのかとも思う。住民からの批判やその言動の責任を取るのは市長なのだから自由にすれば・・・と個人的には思う。
2.発言の意味
「居場所がない」という人は、ほんとうにないのか、もういちど考えてください。自分でくふうして手に入れようとすることがだいじです。オトナが与えてくれるなんて大まちがい。一線を越えない範囲で、これまで「無理」と思っていた範囲を破らなきゃ。それが若いことの特権。
実体験に基づく正直な発言であり、建前ではない大人としての発言ともいえる。エピソードトークであり、教育についての1つの考え方でもある。こんな話を「偉い人」から聞かされることはめったにないため、参加者の中高生の心には響いたかもしれない。1つの考え方として参考にはなるだろう。
ただ、法制定にかかわるトップとして「停学にはならなかったが許容しれくれた大人に感謝」「事例を鮮やかにするために真実を話した」などのフォロー発言があったらよかったのにと思った。
3.新たなポリコレ論争なのか?
メディアでも「過去の“不良”行為 市長が中高生に自慢 西宮」といった見出しとなっている(神戸新聞)。
ネットでは、「反論が」「無神経」「自分に酔っている」などの過激な反応が出ている。ちなみに、筆者も最初にこの記事をヤフーニュースで見たときの感想は、「またか。残念。非常に型破りの市長だったのに・・」といったものだった(【注】その後調べていくうちに意見は変容しました)。
「自慢」していたというのは記者の解釈であろう。「自慢」と受け取るのは自由だが、文脈から言って、どうかなと思う。メディアは、18名の参加者にどのように解釈したのか聞いたのだろうか。
そして驚いたことに、議員の発言は、従来イメージされた批判とはちょっと違う。
一色議員のブログによると
ということで、私の伝え方が悪かったんだとそればかり…人に何かを伝えることってやっぱり難しいし、もどかしいですね。(中略) 教育大綱との整合性がないんじゃないの?というところ一点です。
ということらしい。人のミスにつけこみ常識を振りかざしている感じではない。この議員の記載からは真摯な感じがでてきて、「自慢」発言についての批判をしたという様相ではないようだ。市長からの皮肉についても冷静である。
4.西宮市の大人たちへ~スマートな大人の背中を見せて
落ち着いたら今回の顛末をもとに、もう一度中高生向けセミナーを開催したらいいのにと思う(正直のところ提案したいくらいだ。不適切なら済みません)。
関係者一同(市長、議員、記者・デスク、市民、ネット民)でそれぞれの行動と以下の点について振り返ってもらい、中高生がそのことをもとに、さらに話し合い、皆で共有するという感じでどうだろう。
・発言の真の意味【+解説】
・世の中・大人の本音と建前とは何か
・発言はどのようにして無用な対立を生むか~理解が誤解を生む可能性
・メディアリテラシー(事実と解釈)
「教育」とは何かを本質的に考える機会になると思う。それぞれが冷静になることで、本質的な対話ができる場はないのだろうか。素直に反省し、歩みより、手打ちする。そんなカッコいい大人たちを見てみたい。
西宮の大人たちに愛と期待をこめて