「おんな城主 直虎」の史実との違いを解説

2017年01月08日 21:00

おんな城主 直虎

「おんな城主 直虎」が始まり、第一回を見た。NHKから発表されていたあらすじに少し手を加えるとこんな風だった。

天文13年(1544)遠江の国・井伊谷。のちに井伊直虎(柴咲コウ)という勇ましい男名で戦国の世を生き抜くことになる少女・おとわ(新井美羽)は、井伊家当主の父・直盛(杉本哲太)と母・千賀(財前直見)のもと幸せな日々を過ごしていた。

おてんばなおとわの遊び相手は幼なじみの亀之丞(のちの井伊直親・徳川四天王の一人直政の父・藤本哉汰)と鶴丸(のちの小野但馬守・家康に殺される・小林颯)。

ある日、おとわに亀之丞との縁談話が舞い込む。当主の座を継ぐつもりだったおとわは最初戸惑うが、やがて亀之丞の妻として井伊家を支えていこうと心に決める。

そんな折、亀之丞の父である井伊直満(宇梶剛士)が、主家である今川義元(春風亭昇太)に謀反の疑いをかけられ、駿府に呼び出されることになる。そして、直満が北条に出していた書状を裏切りの証拠として示され誅される。今川義元は亀之丞を殺すことを命じるが、亀之丞は家来に袋に入れられて逃げる。

さて、どこが史実と違うかというと、舞台となった1544年の段階で、直虎は2歳くらいの幼児である可能性が高く、亀之丞は10歳くらいなのだが、ドラマでは亀之丞が12歳、直虎が10歳くらいのイメージで描かれている。これは、基本的に歴史家の小和田哲男氏の説だ。

実際には、この二人が婚約していたとしても、直虎が養女では感情もなにもないのだが、いちおう、許嫁として自覚していることになる。

また、史書に拠れば、直満が誅されたのは、「武田と戦ったから」とされているが、ドラマでは「北条と通じたから」としている。

このあたりはややこしいのだが、もともと、北条早雲は今川義元の祖母の兄弟だ。祖父の義忠が死んだときに父の氏親が幼かったので叔父にあたる早雲が助けに来て、紆余曲折はあるが無事に跡を継がせた。

そして、沼津市にあった興国寺城を領地として与えられ、そこから、伊豆を攻略したのを手始めに関東へ進出した。

当然に同盟関係にあったのだが、義元が父の跡を継いだあと、武田信玄の姉妹と結婚したために、今川と北条の関係が悪化した(1537年)。

1544年のころは、今川は武田と同盟し、北条は駿河の富士川以東(河東)に進出するなどしていた。

そうしたときに、直満は武田ともめ事を起こしたので、義元に処罰されたというのが、公式の歴史にいうところである。

しかし、小和田哲男氏は、この構図があまり説得的でないとして、直満は実は北条と通じ、それが露見して誅されたという説を唱えており、それがドラマでは採用されている。

これを密告したのは、井伊家家老の小野和泉守だといわれているが、しばしば、直満は無実の罪で誣告されたとされることがあるのだが、ここでは、裏切りは本当だったということにしたようだ。

第二回の予告編では、直虎が出家することを子役で描き、また、11年後の直親の帰還(1555年)や、さらに、1560年の桶狭間の戦いで直虎の父である直盛が討ち死にするまで描きそうな勢いだったが、そんなことしたら、はたして、1575年の井伊直政の徳川家康への仕官、そして、1582年の本能寺の変の年に直虎が死ぬまで、あまりにも、時間がないがどうするのか。

第四回まで子役が演じるという噂があったが、時代をダブらせて、回想シーンのようにして処理するのだろうか。今朝、アゴラの新田哲史編集長がアップした『「直虎」成功のカギは“黒昇太”義元が握ってる』でも書いているように、面白そうなキャラである落語家の春風亭昇太師匠が演じる今川義元に数週間は頑張って欲しいところだが、どうなることやら。

すでに、「井伊直虎は男だったという新説を検証する」でも書いたように、直虎がいたかどうか怪しくなってきたという話題で盛り上がることになった大河ドラマがどう展開するか、あまり無理がないことだといいのだが。

ちなみに、私は「井伊直虎と謎の超名門『井伊家』」でも書いたように、江戸時代に書かれた歴史は、直満の孫であり亀之丞の子である井伊直政の子孫である彦根藩が関与しているので少し歪んでいて、直虎の父である直盛や曾祖父である直平は、井伊家内における親今川派、直通らは反今川派と見た方が分かりやすいと思う。

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学大学院教授

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