6年近く平穏だった小2生の生活環境を判決で無理やり変えるのは?

子ども 泣く (写真AC)

※写真はイメージです(写真ACより:編集部)

昨年の3月29日、千葉家庭裁判所松戸市で下された判決は法曹関係者はもとより、多方面に大きな波紋を呼び起こしました。
判決の最大のポイントは、離婚に際して8歳の長女の親権者を、約5年10ヶ月同居していた母親ではなく、別居していた父親とした点です。

事案の概要は以下の記事を御覧ください。

母子面会に寛大な父に親権 異例の判決、母優先覆す 家裁松戸支部判決「長女の健全育成目的」(産経ニュース)

父母のいずれを親権者とするかに関しては、以下のような原則が従来からありました。

1 乳幼児については、母親の監護養育に委ねるのが相当であるとする母親優先の原則。
2 子供の健全な成長のためには親と子の不断の心理的結びつきが重要であって、養育監護権者の変更は子の心理的不安定をもたらすことを理由に現実に子を養育監護する者を優先させるべきであるという継続性の原則。
3 子の意思尊重の原則。
4 多面的な人間関係を構築する可能性を保障すべく兄弟姉妹不分離の原則。

上記記事によると、父親側代理人の弁護士は「相手に面会などをより多く認める方が有利になる『寛容性の原則』が重視される欧米とは異なり、『継続性の原則』が重視されてきた日本では画期的な判決だ。親権に関する今後の新たな基準になることを期待したい」とのことでした。

本判決の判決文では、

「原告(母親)は被告の了解を得ることなく、長女を連れ出し、以来、今日までの約5年10ヶ月間、長女を監護し、その間、長女と被告(父親)との面会交流には合計で6回程度しか応じておらず、今後も一定の条件のもとでの面会交流を月一回程度の頻度とすることを希望していること」

と指摘し、

「(父親は)今日まで長女との生活を切望しながら果たせずに来ており、それが実現した場合には、整った環境で、周到に看護する計画と意欲を持っており、長女と原告(母親)との交流については、緊密な親子関係の継続を重視して、年間100日に及ぶ面会交流の計画を提示している」

と指摘しています。

早い話、「月一回程度の面会交流」しか認めたくない母親より、「年間100日の面会交流」を計画している父親の方が親権者にふさわしいと判断したのです。

本判決が、長女の生活環境について「長女は、住居近くの……小学校の二年生で、学校生活に適応し、元気に通っており、年齢相応の心身の発達を遂げている。母子関係も特段の問題はみられない」と指摘し、父母双方の社会的経済的環境に優劣がないことも認めています。

当事者の様子を見たわけでもないので一概に批判はできませんが、この判決を読む限り「当方は相手よりもはるかにたくさんの面会交流を認めます」と将来のことを約束した方が「親権争い」の勝者になってしまいかねません。

おそらくこの判決は上訴審で覆ると思いますが、万一この論法が支持されてしまえば、「親権争い」は「私の方が多くの面会交流を認める寛大な親です」「いえいえ、私の方がもっとたくさん認める寛大な親です」という空手形が法廷で飛び交うことになるでしょう。(もちろん、約束を実行する親もたくさんいるでしょうが…)

長期間養育看護してきたことを尊重する「継続性の原則」に対しては、昨今「親子断絶防止法」の支持者たちから、以下のような手厳しい非難がなされています。

この”継続性の原則”は法的な根拠はありません。むしろ日本が加盟しているハーグ条約の考え方と比較すると、裁判所の運用はその対局にあります。

確かに「継続性の原則」を金科玉条にして「連れ去り得」を正面から認めてしまうと、父親と母親が子供を奪おうとして実力行使に出る危険性があります。

しかし、2歳くらいの時から小学校2年生になるまで馴染み、現在も問題なく元気で暮らしている子供の生活環境を変えてしまうのは、いくら何でも横暴だと感じます。親権者の指定や面会交流の実施は、あくまで「子の福祉」を目的としたものなのです。肝心要の子供の環境に関してあまりにも配慮が足りない判決ではないでしょうか?

親子断絶防止法については賛否両論がありますが、親子の面会交流のようなデリケートで臨機応変に対応する必要がある事柄を、法律で杓子定規に決めることが妥当だとは私は思えません。

現在の運用でも、専門職である家庭裁判所調査官が双方の事情を調査して具体的事情に応じた詳細な調査報告書を作成しています。親子関係はそれぞれの親子によって千差万別なので、一律に法律で規定するより現在の運用の方が妥当な解決が図れると考えます。

親によっては、面会交流は自分の権利だと誤解して「何が何でもともかく面会交流をさせろ」というとんでもない人物がいます。

拙著「本当にあったトンデモ法律トラブル」でもご紹介しましたが、私はかつて(いわゆる)モラハラ夫からの面会交流請求に対して「新たな審判、調停、合意がなされるまでは、面会交流を求めてはならない」という審判を勝ち取ってギャフンと言わせた経験があります。

親子断絶防止法が、このような「「何が何でもともかく面会交流をさせろ」という人たちを勢いづかせることになるのではないかと、ひそかに危惧しています。

本当にあったトンデモ法律トラブル 突然の理不尽から身を守るケース・スタディ36 (幻冬舎新書)
荘司 雅彦
幻冬舎
2016-05-28

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年1月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。