婚活も女子プロレスも、いつからこんなに痛くなったのか

2017年01月31日 11:30

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どこでもドアを開けるという稀有な体験をしてしまった。もちろん、本物ではなく、テレビのセットなのだが。よく考えるとこれは革命的な商品・サービスである。「移動」という提供価値が否定されていく。自動車業界にも、航空業界にもインパクトを与えるし、様々なことが宿泊を伴わずに行うことができる。スカイプ会議なんて言わないで、どうせなら会いましょうという話にもなる。テロの対策も急務だ。もっとも、こんな時に私が旅行関連の仕事をしていたとするならば、「どこでもドアと違って、移動の楽しみをゆっくり味わいます」と営業するのだが。

要するに、破壊的イノベーションとか、そもそもの商品・サービスの価値とは何かという話なのだが、本題。ネットでこんな記事が拡散していた。

ゼクシィを凶器に使う婚勝軍が新婚の人妻軍と対決!(バトル・ニュース) – Yahoo!ニュース

プロレスファンというよりも、むしろそれ以外の人に拡散していた印象だ。熱烈なプロレスファンであり、本日締め切りのガンバレ☆プロレスのオーディションにも最後まで応募しようか悩んでいたくらいなのだが。何かこう、この記事を読んで物悲しさを感じてしまった。いや、いまさら悲しむなという話なのだが、いつから婚活も女子プロレスも消費され、痛いものになってしまったのだろうかという。

もともと婚活は、今までのように(語弊があるが)誰でも結婚できる世界ではなくなっている、だからちゃんと考えて行動しましょうという警鐘のようなものだった、当初は。それがいつの間にか、痛い行為のようになってしまった。

女子プロレスも数々のヒロインを生み出してきたものだったのだが、よくもわるくも誰でも女子レスラーになることができる時代になり。

いや、もちろん婚活は言葉が出始めの段階から誤解され、揶揄の対象となり、消費されてきたし、女子プロレスというかプロレスの多様化というかなんでもありの世界はもうこの25年くらいの傾向ではあるのだけれども。ネットではウケていたのだが、この記事というか、もともとの試合に「なんだかな」と思った次第である。婚活もプロレスも夢に満ちたものではなかったか。いや、一部、夢を描いたとも言えるのだけれども。結婚するためには、闘わなくてはいけないということか。

しかし、結婚は別に本人の美醜や価値観とは関係なく、誰でもできるわけではないという問題を孕んでいるわけで。プロレスも誰でも勝てるわけではなく、才能と鍛え抜かれた体、技、精神力、さらには政治力と運がなければ勝てないわけで。何かこう、無理ゲーの社会システムの中で踊らされているような、努力しても報われないような、そんな縮図を見たような気がした。

一方、あっぱれなのは、ゼクシィだ。「結婚情報誌」ではなくゼクシィで通じてしまうのがスゴイ。結婚する人が減っている上、結婚式を上げない人も一定数いる中、よくそれだけのシェアをとったな、と。一方、あの分厚い本誌と、キラキラ感はあたかも富の象徴として君臨している、と。

そんなことをふくめ、格差社会だな、ディストピア感あるなと思った1月の最終日。やれやれだぜ。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2017年1月31日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた常見氏に心より感謝申し上げます。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。

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常見 陽平
千葉商科大学国際教養学部専任講師

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