王安石の評価で分かれる“作家”毛沢東と“編集者”習近平

1月26日、北京の人民大会堂で、中国共産党と国務院の共催する恒例の春節団拝会が開かれ、約2000人の各界代表が参加した。日本でいえば賀詞交換会のようなものだ。習近平総書記のスピーチで目を引く言葉があった。古典や詩、故事からの引用を好む習近平だが、今回もまた、宋代の政治家にして名文家として知られる王安石(1021-86)の詩で締めくくった。

<飛来山上 千尋の塔、聞くならく 鶏鳴 日の升るを見ると。畏(おそ)れず 浮雲の望眼を遮るを、自(おのず)から縁(よ)る身は最高層にあり>

--浙江省ある飛来峰には高い塔がある。聞くところによると、ニワトリが鳴くころ、日の出が見えるそうだ。浮雲に隠れて見えなくなることなど気にかけない。わが身は最高峰にあるのだから--

浮雲は、君主に取り入って悪政を招く君側の奸をいう。高い理想を抱けば、そうした障壁にとらわれることなく、世界を見渡すことができる。そんな大志を感じさせる。国政の混乱にあって宰相に取り立てられた王安石は、庶民の税負担を軽減し、同時に財政も再建する各種の改革を断行した。だが、計画通りには政策が徹底されず、最後は失敗する。皮肉にも、王安石は対立派による政治闘争に敗北し、不遇の晩年を過ごす。

習近平は、この詩が抱く高い境地に、全国民が党の指導によって中華民族の偉大な復興を成し遂げる志を託した。ただ、「最高層」を自らの政治的地位になぞらえれば、政敵である抵抗勢力をものともせず、党指導部の「核心」ポジションを勝ち得た自信を読み取ることもできる。浙江省は彼がトップの党委書記を務めた古巣であり、そのころから最高指導者としての地歩固めが始まった。権力を握らなければ、高みから一望することはできないのだ。

習近平はどういうわけか王安石が好きだ。「その心を修め、その身を治めて初めて天下の政治ができる」(『洪范伝』)、「天下に法を立てれば天下は治まる、国に法を立てれば国が治まる」(『周公』)など。理想主義的な性格を物語る。

だが彼が尊敬してやまない毛沢東の王安石評は厳しい。毛沢東が22歳の時、地元湖南省の学友に送った手紙の中にこう書かれている(『毛沢東成功之道』人民出版社)

「王安石の変法が失敗したのは、古典に頼りきりの専門家に過ぎず、社会の常識や事情に疎いため、実際に行う政策としては適さなかったからだ」

世間知らずのインテリを嫌った毛沢東ならではの評価である。習近平も毛沢東の王安石評は知っているはずだ。理論より実際を重んじる政治哲学も、毛沢東から学んでいる。だが、断定的な評価を下さず、「中華民族の伝統文化」という大風呂敷を広げ、融通無碍にあらゆる思想を取り込んでいくのが習近平スタイルである。包容力はあるが、独自の思想は封じ込められる。実際、習近平はまだ自らの言葉で自らの思想を語ることはしていない。

過去の思想を乗り越え、文武の権力を手中に収め、自らの思想を打ち立てようとしたのが毛沢東だ。これに対し、「剣」を掌握しながらも、「ペン」において先人のコピーとどまる習近平は、中国の政治格言集を編む編集者のように見える。実際、習近平が引用した用語解説集が相次ぎ出版されてもいる。思想大全のように系統的な分類がされるわけでもない。寄せ集めのパッチワークと言った方がふさわしい。思想的には包容力があるようにみえるが、権威の強化ばかりが先行し、具体的な編集方針が示されていないため、実際の作業は金縛りにあったように融通が利かない。このアンバランスに多くの人々が戸惑っている。

毛沢東の王安石批判は、理論ではなく実際を欠いていることにあった。だとすれば王安石から学ぶべきは、いかにして実行させるか、つまり人をいかに動かすか、という点にある。どうすれば高い見地に立てるのか。どうすれば人は心を修め、身を治め、天下に法が立つのか。編集者の位置にとどまっている限り、肝心の答えを示すことはできない。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年1月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。