何年も前のことだが、ある北京のレストランで、私が中国人と韓国人との3人で食事をした。丸テーブルではなく、四人掛けの四角いテーブル。高級の部類に属する店だったので、きれいに磨かれた食器が整然と並べられていた。各人とも、箸は自分用の「私筷」と取り箸の「公筷」の二組が縦向き、つまり対面の相手に箸先を向けて置かれていた。そこで韓国人が言った。
「韓国では相手に向けて箸を置くのは無礼になるので、いつも横向きに置き換えることにしている」
そして私は、
「日本も韓国と同じだけれど、中国には中国の習慣があるのだから、いつもそれに従っている。きっと縦向きの理由があるに違いない」
と、間をとりなすような言い方をした。ナイフとフォークを使う西洋の影響を受けたのか。長い宴席文化の歴史を持つ国なのだから、もっと深い意味があるのかもしれない。いつも疑問に思っていたが、深く考えたことはなかった。同席した中国人もマナーの由来については知らないと言った。
ところが先日、知人から携帯のウィー・チャットで、箸の置き方に関する日中比較を論じた文章が送られてきて、思いもよらない箸の置き方の変遷を知ることとなった。私が日中文化に関する新講座を受け持つことになり、その知人に、何かいい知恵があったら貸してほしいとお願いをしておいた。
さすがに食を重んじた国だけあって、食事の風景を描いた絵が多数残されている。これが箸の置き方を時代考証をする助けになる。
上の2枚は唐代の壁画に描かれていた食事の風景である。箸が横向きに置かれており、日本人は遣唐使によってこの習慣を受け入れたことがうかがえる。漢字の音読みと同様、本家には途絶えてしまった文化を継承している一例である。では、いつ、どうして中国は箸を縦向きに変えたのか。
上の3枚は文人の宴席を描いた宋代の『文会図』。いずれも箸は縦向きに変わっている。唐から宋にかけて、箸の置き方について一大変化が起きたわけだ。以下は私の推測である。
中国の王朝は唐(618-907)と宋(北宋960-1127、南宋1127-1279)の間に、五代十国と呼ばれる時期を迎える。五代の王朝が相次ぎ交代し、地方では十国が鼎立した戦乱の時代だ。北方騎馬民族のの侵攻もあった。肉食を主とする民族の習慣が入り込み、箸とナイフが一緒に並べられたかもしれない。礼はすたれ、実用の便が優先されて置き方は縦になる。こんな変化があったのではないか。
そうしてみると、箸の置き方に中国の歴史が刻まれていることになる。とかく漢族中心の文化史が語られるが、中国、特に中原、北方では少数民族の影響が随所に残されていることを思い起こさせてくれる。礼の衰退とみるか、文化の多層性とみるか。箸をつつき、盃を交わしながら考えればよい。
編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年2月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。