親の経済力で教育に格差があると悪いのか?

八幡 和郎

※写真はイメージです(写真ACより:編集部)

NHKで「子供の貧困」という番組を日曜日にやっていて、案の定、涙腺の弱い金持ち東京のインテリ金持ちの感動が竜巻のように巻き起こっている。大問題であることは間違いないのだが、ディズニーランドに連れていってもらったことのない日本人の子供は何割もいるし、御稽古事ができないことがそこまで深刻なのか?本当の問題とはずれがあるように思った。

それはともかくとして、私がいつも変に思うのは、親の貧富で子供の教育に格差があってはいけないとか、医療は平等であるべきだとかいう偽善っぽいスローガンだ。

それなら聞きたいが、経済的に余裕のあるインテリの親が子供に良い教育を施すべく、お金や知恵を使ってはいけないのか?金持ちが医療に自分の経済力を使って平均より良い医療を受けてはダメなのだろうか?

財力を子供の教育に使って世のため人のためになる才能を育てたり、医療機関に高い金を払って医学の進歩に資することは世のため人のためになるのが普通だ。

とすれば、上記のスローガンはまったくデタラメだということになる。

それでは、親の経済力の差がそのまま教育の差になったり、医療が経済力で競争入札的に限られた資源を使われていいのだろうかというとそんなはずはない。

要はバランスなのである。そして、どういう点については平等であるべきで、どういう点は市場に決めさせたらいいのか、それこそ、政府が制度設計をきちんとするべきなのだ。

しかし、現実にはそういう発想が文部科学省にも厚生労働省にもまるでないのだ。

たとえば、大学教育をすべて無料にするとか、アルバイトしなくてもよい返済不要の奨学金を広く用意するとすれば、自分の学業と生活を援助してもらえる十分な青年は得して、家族の面倒をみるために大学なんぞにいっておれない階層に損させるだけではないか。

少なくとも、どのレベルのどんな専門分野の大学でも安くでアルバイトせずに無料で学べるというのが良い制度だとは思わない。

一方、フランスで大学の授業料は無料だが、だいたいの学生はアルバイトしている。さらに教養課程を終えて専門になると、本格的に働いている学生が多い。大学に入っても半分くらいの学生は、卒業資格やそれに類した資格を取れるないまま学業を終える。

ただ、日本より公平なのは、お金がなくても、少し時間をかけて回り道をすれば、高い学歴を手にすることも出来るし、敗者復活戦も色々用意されていることだ。

日本の新卒採用主義は、経済的に豊かで寄り道せずに高学歴を手に入れた青年に有利過ぎると思う。

さらに、ひどいのが、医学部で、国立大学ですら、有力私立中・高一貫校で学び、専門的で授業料の高い塾でも並行して学ばないと入れず、しかも、その卒業生は圧倒的に経済的に有利な職を得たり、有利な結婚の条件を手にしたりする。これ以上に不公平な制度もあるまい。

医療についても、金持ちがより良い医療を受けるために金を使い、それで、医療機関の経営が楽になれば貧乏な人にもメリットがあるからどんどんそうしてよいこともある。しかし、限られた人的、設備的資源を豊かな人が独占するとまずい。

たとえば、臓器移植をオークションのような方法で順番を決めるとしたら、ほとんどの人は賛成するまい。そうした限られた資源は本当に必要とするかどうかで決めるべき要請が強いはずだ。