「菊(きく)」を訓読みだと思っていた大きな錯覚

加藤 隆則

昨年の11月、広東省・潮汕地区の古い村落に行った時のこと。タイを中心に拠点を置く華僑のふるさとで、各氏族ごとの祖先を祭る祠堂(ツータン)には、親族がタイ国王と一緒に写った写真も飾られていた。毎年、旧暦9月9日の重陽節には、世界各地から親族が帰省し、にぎやかなお祭りとなる。祠堂には、年ごとの重陽節に寄せられた個人からの寄付金リストが張り出されている。

「春節には戻ってこなくても、重陽節は必ずみんなが集まる」

村民はみなそう口をそろえた。かつて新天地を求めて飛び出した華僑の中には、南方で農作業に従事する者もいた。早めの収穫を終え、たくわえを持ってふるさとに集まるという伝統なのかもしれない。最も大きな数字の9は好まれたし、重陽節に不可欠な菊花や菊酒は、魔除けや長寿につながる。一族団らんの機会としては申し分のないお祭りだった。都市部ではすっかりすたれてしまった習慣だ。

菊は潮汕語で【geg】、広東語で【guk】。この二つの方言は中国古語の発音をとどめていると言われるが、日本の菊(kiku)に近いと感じた。調べてみると、日本でも古代は「kuku」と発音していた。恥ずかしながらこれまで知らなかったが、「菊(キク)」は音読みで、訓読みがない。つまり日本にはなく、中国から伝わって初めて名前を得た花だ。だから『万葉集』(8世紀後半)に萩や梅、松、桜は詠まれているが、菊は一首も登場しない。

菊は皇室や宮家の紋章とされ、ベネディクトの『菊と刀』を持ち出すまでもなく、日本文化の象徴のように思われているが、物も名前も中国伝来である。唐の時代に伝わったとされ、平安朝には宮中で、9月9日の重陽節に菊の花を観賞し、菊酒を飲む公事が営まれている。『古今和歌集』(10世紀初め)には人口に膾炙した、

<心あてに折らばや折らむ 初霜のおきまどわせる白菊の花> 凡河内躬恒(みつね)

の一首がある。日本人はこうした渡来文化を吸収したのち、陶淵明(365-427)が残した「菊を采る東籬のもと 悠然として南山を見る」(『飲酒』)を味わう境地を得た。

鎌倉時代に入り、後鳥羽上皇(1180-1239)がことのほか菊を好み、その紋様を衣服や輿、刀剣などに用いたことがきっかけとなって皇室の紋章が生まれた、と諸書が伝える。大和言葉として残る「さくら」が、神事と結びついた古い伝統を担っているのとは好対照をなす。

中国人学生の多くも、天皇家の紋章が菊で、日本の文化を象徴する花であることを知っている。それが中国伝来だと教えたら、さぞ驚くに違いない。蘭(ラン)も音読みで、訓読みがない中国産だ。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年2月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。