中国のネットでとんでもなく流行っている「吐糟(突っ込み)」

「昨日、あまりにもひどい内容の映画だったから、ネットで吐糟しておいた」

こんなことを中国の大学教授たちが話している。「吐糟」とはここ数年、にわかに広まったネット用語だ。辞書には載っていない。「吐」は文字通り吐くことで、「糟」は日本と同じ酒かすの意味のほか、よくない物事に対して用いる。直訳すれば、「腹にたまったものを吐き出す」ということで、ネットである事件、事柄、人物の言動などあらゆる社会現象に対し、不満や中傷、批判、揶揄、風刺などを書き込むことを言う。子どもから大人、労働者からインテリまでがこぞって使う流行語になっている。


語源は何かと思って調べたら、なんと日本の漫才から始まりバラエティ番組や日常会話にまで使われている「突っ込み」だと知って驚いた。「突っ込み」と「吐糟(tu-zao)」では、文字面も発音もまったくつながらない。だが、台湾の方言で、「突っ込み」の意味に近く、「吐糟」に似た発音の言葉があることを、教え子から教えてもらった。「黜臭」という。標準語の発音は「chu-chou」だが、台湾方言では「thuh-thsau」となる。

ネットの辞書では「人の弱点をあげつらう」とあり、意味の上ではほぼ「突っ込み」とつながる。「thuh-thsau」の発音を聞いてみると、確かに「tu-zao(吐糟)」と言っているように聞こえる。台湾経由で大陸に伝わったのだ。日本の漢語がそのまま台湾に入り、少し遅れて大陸に伝わる事例は少なくない。だが、「吐糟」は、台湾の方言にしかない言葉を用いて和製漢語を意訳したのち、方言と標準語の間で音訳された点でユニークなケースだ。

しかも、ネットで誹謗中傷をし合うことは今までも盛んに行われてきたが、その行為が「吐糟」という言葉を得て、大衆化、流行化し、ネット空間における社会現象にまで発展した背景は分析に値する。なぜ「吐糟」と言葉を必要としたのか。どうしてここまで急速に広まったのか。どちらにしても、市場があったことになる。この点は深く考えてみる価値がある。

今までネットでの応酬は、著名人が先頭に立ち、「罵り合い」や「舌戦」と呼ばれてきた。それを傍観者が論評する形だ。演技者と観客の役割区分ができ、劇場型の空間だった。だがネットユーザーが拡大し、使い方やルールを学び、ネットの言論空間が成熟するにつれ、みなが参加資格を得るようになった。もちろん、個々の事象について、理論整然とした、専門的な知見に基づく意見表明ができるわけではない。ちょっとひとこと言っておきたい、という人も少なくない。我慢のならない、言いたいことは山ほどあるのだ。

権力がメディアを牛耳り、言論を独占していた時代は去り、真実と正義があれば、微小な個人が大きな権力に立ち向かうチャンスも生まれている。弾圧の覚悟をしなければならないが、完全に抹殺することは困難だ。参画は、反射的にその反応を求める心理を生み、双方向のやり取りに発展していく。単なる罵り合いに終始することや、不快感を吐き捨てるだけの場合も少なくないが、議論が深まるケースもある。双方向の言論への参画によって、発言の自由や発言を尊重されることの満足感を得ると同時に、他人の意見に耳を傾けることの大切さを学ぶ。既成の共同体が崩壊し、個人がばらばらになった社会の中で、人々は自分の居場所を探し、存在感を得たいともがいている。

こうした混沌の中から、一筋の光を手繰り寄せるように生まれたのが「吐糟」ではないのか。私的で、偏狭で、感情的で、刹那的で、非生産的な言論の掃き溜めの中から、普遍的で堅固な輝きを放つ宝石のかけらを探し出そうとする。そんな潜在的な願望があるのではないか。急に誕生した現代用語のベストセラーだけに、言葉の意味も不安定で、まだ行き場が定まっていない。ごみの山を残し、泡と消えるかも知れない。だが実に興味深い。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年3月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。