書評「医者の稼ぎ方」

城 繁幸

タイトルに“稼ぎ方”とあるものの、医療現場の直面する課題から収入、開業医から勤務医までのキャリアパス、医大、そして増加を続ける医療費問題まで幅広くまとめられており、非常に中身の濃い一冊に仕上がっている。将来医者になりたいと考えている学生はもちろんのこと、子供を医者にしたい親御さん、週二日以上徹夜続きで過労死しそうな勤務医、そして公的医療の行方に関心のある庶民の皆さんにもおススメの一冊だ。

著者いわく、(研修医が研修先を自由に選べるようになった)新研修医制度や、ネットを通じた医師転職制度の浸透により、従来の大学病院を中心とした医師の終身雇用・年功序列制度は崩壊にひんしているという。

たとえば90年代なら、慣習的に母校の大学病院で研修させ、月給数万円で“研修”の名のもとに月200時間超のサービス残業を命じることができ、研修後には配属先を僻地含む全国各地の系列病院に指定でき、逆らったら「一切就職の世話をしない」(他のマトモな病院もそういう“奉公かまい”の医者は採らない)と言えば社会的に抹殺できた時代、大学病院の終身雇用・年功序列は黄金時代だった。「白い巨塔」はその当時の価値観に基づいた作品だ。

でも現在の新人はきつい研修先は選ばず、残業もせず、辞めたその日からスマホでバイトや再就職先が紹介してもらえる時代だ。きつい科は避け、保守的な病院には集まらず、当直が続くと辞めてしまう。結果、古いカルチャーの残滓の中で育った中堅オジサンドクターが「臨床教授」のような乱発ポストで士気を高められたうえで最前線に投入されているという。

でもやっぱりそこは終身雇用、年功序列だから、仕事できないセンセイは定時で帰って仕事できる先生に手術などが集中、基本給はあんまり変わらないために「ヤブほど時給が高い」という日本型組織の十八番状態が出現し、それに嫌気の差したオジサン先生も医師転職紹介サイトに登録して流動化という末期的状態が出現している。

病院を退職まではしなくても「在籍したまま空いた時間にバイト」というのはどこの病院でも珍しくはないらしい。病院側としても、もはや医師をつなぎとめるだけの処遇は用意できないから、バイトを黙認せざるを得ないわけだ。ローンや養育費を抱えた勤務医の中には「僻地の診療所、年末年始5日間の当直で100万円」といったバイトに通う先生もいるらしい。

読者の中には「タイヘンだぁ!私たちの大事な医療制度が破たんしかけている!やっぱり長時間残業OK、転職×の古き良き日本型雇用に戻してあげないと!」と思う人もいるやもしれないが、心配ご無用。何かが崩壊すれば、その後には必ず別の何かが再生するものだから。一足先に崩壊の進んだ産科が好例だろう。

06年、福島県立病院での死亡事故で産科医が逮捕(後に無罪確定)されたことをきっかけに、産科志望者は激減し、一部の有能な医師に業務が集中することとなった。そう、「業務量と給料のアンバランス」の拡大である。

「このまま在籍すれば過労死してしまう」と有能医師たちは続々と流動化し、フリーランスで「一回〇万円」という明朗会計で業務を請け負うようになった。

こうなると病院に残された選択肢は2つ。産科から撤退するか、人件費分配を抜本的に見直し、本気で産科医療に取り組むか。全国的に分娩施設は効率的に集約され、産科勤務医には相応の報酬が支払われるようになり、それを見た若手研修医の中で産科志望者が回復、結果的に産科はきわめて筋肉質な組織に再生したのだ。

ちょっと前に三重の公立病院で「年俸5520万円の産科医の求人」がニュースになったが、それほど驚くべき数字ではないらしい。腕の良い産科医がフリーになればそれくらいは普通に稼げるので、囲い込むなら同じだけの処遇を用意するのは当然のことだから。

もともと医者の業務そのものがある程度ポータブルな点も大きいだろうが、日本の労働市場全体も、緩やかに同じ道をたどりつつあるように見える。ビジネスパーソン的にも、社内キャリアに固執せず労働市場全体を見据えたキャリアデザインをしておけば、いち早く流動化のメリットが享受できるに違いない。

以下、興味深かった論点。

・紹介状はとても有効である

こてこての年功序列組織なので、医大教授と言ってもピンキリ。ネズミの実験しまくって教授になった人もいる。そういうハズレを回避する上でも“紹介状”はとても有効だ。

・慶應大学病院がぱっとしないワケ

研修医が研修先に選ぶ大学病院はロケーションとブランドでほぼ決まるが、慶応病院は17年度研修医数ランキング14位とさえない(一位東大、二位医科歯科大、三位京大)。そのワケは著者によるとこうだ。

「世界に冠たる慶應義塾大学病院」と、2013年度前後のインタビューで当時の慶應義塾長や病院長が何度か公言している。
(中略)
「日本で14位、世界ランキングベスト100には入ったことが無く、ノーベル賞ゼロ」の大学病院トップの発言としては……正直イタいと思う。ノーベル賞などで結果を出している東大・京大関係者には、ここまでの上から目線な発言はないし、「トップがこういうカン違いなこと言うから、若い医者に逃げられるんだよ」と、私を含む多くの医師が思っている。また、慶應大病院で非慶應卒の医師が活躍したニュースは皆無であり、このことも「14位(79校中)」の一因なのだろう。

とはいえ、慶應医学部卒の8割超が母校の病院を回避して外に飛び出すほど進取の気性に富んでいるので、著者は慶應病院の未来には期待できるとのこと。

・地方の医師不足対策は公共サービスのダウンサイジングと規制緩和で

地方の医師不足といっても、人口比で相対的に考えれば決して地方は医師不足ではない。むしろ、人口や税収減少に従って医療含む公共サービスをダウンサイジングさせなければならないところを、バブル期の栄光を忘れられず現状維持に固執し、中には目先の補助金目当てに無茶なアップグレードを強行してしまう。
(中略)
中央行政の取るべき道は、研修医制度を強化して若手医師を僻地に強制派遣することではなく、縮小する地方経済に合致した身の丈にあった医療サービスをすすめるべきである。

そのためには、規制強化による医師派遣よりも、むしろ規制緩和で「インターネット遠隔診療」「薬の通信販売」「uberによる通院の補助」等を推進すべきである。

・市場原理導入と混合診療が必要な理由

少子高齢化や人口減少、そして将来的な税収減は明白であり、現在の水準での社会保障や公的医療サービスを将来ダウンサイジングすべきなことも明らかである。ゆえに「保険診療は基礎的医療に限定し、高度で贅沢な医療は自由診療にして混合診療を解禁すべき」という意見がある。「米、卵、牛乳は支給するが、ビフテキやウナギは自費で」のような意見であり、混合診療の解禁に賛成する若手・中堅医師は多い。

日本医師会の幹部は「米国のハゲタカが日本医療を襲う」「米国では盲腸手術が700万円」「株式会社は安全性よりコスト優先など、恐ろしげなフレーズを並べて混合診療に反対し「国民の命を守れ」と現状維持を主張する。だが「じゃあその財源はどうすればいいの?」という疑問には、まったく答えてくれない。

不妊治療とは日本で唯一、医療に市場原理が導入された分野であるが、国際的には比較的安価でありながら高い水準のサービスを提供している。弱肉強食が徹底した不妊専門病院は不必要な人材は排除されることもあり、重大な医療ミスや医師の過労死の報道もない。
(中略)
国鉄がJRに民営化されたからといって、大きく事故が増えていないのと同様である。年功序列で管理職になり、昼間から窓際で雑誌を読んでいるタイプの爺医はリストラされるだろうが、こういうタイプの医者が辞めても同僚も誰も困らない。

・女性の社会進出が進まないワケ

米国の大学病院では「基本給が年10万ドル+診療報酬の25%ボーナス」のような契約が一般的である。元同級生でも「皮膚科医、年20万ドル」「心臓外科医、年100万ドル」のような格差が発生しても当然とされ、「研修医が皮膚科に殺到して、心臓外科医が絶滅しそう」な自体は発生していない。

米国でも女医率は増加する一方であり、産育休の取得も珍しくない。しかし、出来高の報酬体系が主流なので、同僚が産休女医の仕事を肩代わりした際には金銭的に代償され、現場での大きな軋轢は起こらない。また数年単位の有期雇用が主流であり、病院がスキルを維持できないママ女医を解雇することも当然とされるので、就職にあたって女医であることは日本ほど問題にはならない。

「女子増加が医療崩壊を招いた」との意見を、私は訂正したい。女子増加にもかかわらず、「全科同一賃金」「年功序列待遇」「サービス残業」「バイト以下の当直料金」のような昭和時代からの雇用慣行を変えようとしなかったことが、産科医療の崩壊を招いたのである。

・解雇規制緩和の重要性

働き方改革でちんぷんかんぷんな精神論聞かされるくらいならこのパート読むだけで十分だろう。

P医大麻酔科のQ教授は、本当にダメな教授だった。徹底したゴマすりと年功序列で教授になったものの、麻酔はアバウトだし英文論文はゼロ。管理職としても人望がなく、言うことがしょっちゅう変わる……そして部下がどんどん辞めていった。

「このままだと、P医大病院では手術が出来なくなってしまう!」

事態を重く見た上層部はQ教授を新設の医療教育メディアセンター長のようなポストに異動させ、腕も人望もある新教授を迎えて麻酔科崩壊を防いだ。Q教授の机は“メディアセンター”と称する倉庫の一角に移され、Q教授は定年までの2年間をそこで過ごした。

数年後、私が関東のある病院に出張麻酔に出かけた際、総合診療科の案内パネルにQ先生の名前を見つけた。コッソリその外来をのぞき見すると、確かにQ先生だった。聴診器とベッドだけのシンプルな外来で、地元の老人たちを相手に、診察というか愚痴を聞きながら、湿布やトローチを処方していた。Q先生はここでは人気者らしく、待合室にはズラッと患者が並んでいた。

同僚の先生たちも「年寄りの長話の相手を引き受けてくれるので助かっているよ」と語っていた。なによりも、倉庫の片隅でゾンビのように座っていた頃とは雲泥の差でイキイキしており、「60代後半の人間がこんなにもポジティブに変われるのか!」
と、私も驚いた。

少し残念に思ったのは、それが2年遅かったことである。もしも2年前にP医大がQ先生をスパッと解雇出来たら、Q先生は不毛な月日を過ごすことなく、より早く医師としての新天地を見つけられたはずなのに。


編集部より:この記事は城繁幸氏のブログ「Joe’s Labo」2017年4月5日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はJoe’s Laboをご覧ください。