「安全安心」と政治家の責任

「安全安心」という四字熟語が大嫌いだ。

「安全」は「危険」の対義語で客観的な指標であり、「安心」は「不安」の対義語で主観的・心理的な表現である。世の中には「安全安心」なものも確かにあるが、「安全」なのに「不安」を感じたり、「危険」なのに「安心」と思い込んだり、「危険」で「不安」なものもある。「安全安心」だけが世の中のすべてではない。

「安全安心」はいつ頃から使われ出したのだろうか。朝日新聞のデータベースで、「安心安全」といった類似語も含め記事件数を調べてみた。その結果、1995年以前には32件、96年から2000年では211件の記事が抽出された。95年には阪神大震災が発生したが「安全安心」は頻繁には使われなかった。それが、01年から05年の記事数は2280、06年から10年は5139、11年から15年は5477と増えた。04年には記事数635件となり、07年以降は毎年1000件前後を続けている。この推移から、01年の米国同時多発テロ事件や11年の東日本大震災が「安全安心」が流行ったきっかけではなかったと読み取れる。

記事中に「政府」が同時に書かれていたのは06年から15年で789件、「国会」は540件だった。この間の記事総数は10616件だから行政や立法に関連する記事の割合は少なく、テロへの恐怖や不況といった世相不安を伝える中で「安全安心」が使われていたことがわかる。

この世相不安について国会で多く言及していたのはどの政党だろうか。国会議事録検索システムで調べてみた。06年から15年までの10年間に、自由民主党とその院内会派(以下同様)が言及した回数は、「安全安心」「安心安全」合わせて1415回であった。これに対して、野党の共産党は218回で社民党は127回と、議員数に応じて与えられる発言回数のわりに言及が多かった。これらの政党は「盗聴法」や「戦争法」といった表現で国民の心理に働きかけようとするので、それを反映して発言も多くなったと推察できる。

民主党による言及は同期間に1004回を数え、うち与党だった期間には526件、内閣総理大臣としての言及が45回あった。菅直人氏は総理大臣として16回発言している。同党も国民心理を重視する傾向があるようだ。

「安全安心」に政治家はどう責任をとるべきか。

この記事では最初に四つにカテゴリー分けしたが、科学的には「安全」だが国民が「不安」を感じるのであれば、いかに「安全」か政治家はしっかり説明する必要がある。「危険」なのに「安全」と思い込んでいるものについては、リスクを早期に発見して「危険」を減じる施策を実施しなければならない。「危険」で「不安」なもの、たとえば化学工業で使われる多くの触媒には、強い管理義務を課すのがよい。

国民心理が大切なのはわかるが、それだけでは増税のような不人気政策には手を付けられなくなる。いかに不人気であっても国家に必要なら決断する勇気が政治家に求められる。「安全安心」も同じで、国民心理におもねる四字熟語だけに頼らない政治を求めたい。