昨今、「非婚化・晩婚化」が議論になっています。主に、非婚化や晩婚化が少子化の原因となり社会全体としてマイナスだいうニュアンスでしょう。
少子化云々というと、「子供を産む産まないは個人の自由だ」「子供は道具じゃない」と批判をする人たちがいます。
これは実にもっともな批判であり、わたしたち個々人には「子供を持つかどうかを決める」自己決定権があります。また、子供は親世代のための道具ではなく個々の人格をもった人権享有主体です。
ただ、「少子化云々」というのはマクロの問題であり、国や社会という単位での議論なのです。個々人の自己決定権はミクロの問題なので、マクロの視点からの意見に対してミクロの視点から批判をしても議論は絶対に噛み合いません。
マクロの視点から見れば、少子化という面から見た子供とは年齢以外には全く個性を持たない存在であって、人数だけを問題視するものですから。
今回取り上げる「非婚化・晩婚化」というも、あくまでマクロの視点からの問題です。
ミクロの視点からすれば、すべての人は「結婚する・しない」「いつ結婚する」という自己決定権を持っています。ですから、いつまでも結婚しない特定の人をつかまえて「お前のようなヤツが少子化という社会の不利益を招いているんだ」と批判するのは許されざる暴言でしょう。
個性を持ったミクロの個々人を、次元の異なったマクロの視点で批判しているからです。
そこで、マクロの視点から晩婚化の原因を考えることにしましょう。
男女ともに高学歴化がすすんで、大学卒業後一定期間社会経験を積むまでは結婚を控えた方が将来の所得増につながるという説は経済学的な定説になっています。特に、女性の社会進出が促されている昨今の日本では、夫の収入のみに依存するのは女性としてリスクが高すぎます。
また、健康状態がよくなって寿命が延びたことも晩婚化の原因と言われています。昔のように「健康で体力のあるうちに子供を産み育てなければ」というプレッシャーは極めて少なくなっています。
1950年の日本では全体の97%が自宅出産で、出産に伴う生命の危険も高かったという事実だけを見ても、「健康で体力のあるうちに」というプレッシャーが激減していることが理解できます。
社会全体の意識の変化も大きいでしょう。
30年くらい前は、就職する女性の多くは「結婚までの腰掛け」という社会的コンセンサスのようなものがありました。4年制大学に通っていた女性の中には「卒業したらすぐに結婚」と考えている人たちもたくさんいました。そのような、
ある意味一方的な価値観の押し付けがなくなったことも、晩婚化の原因のひとつの原因でしょう。
都会と地方を比較すると、一般に都会の方が晩婚化が進んでいると言われています。
地方、特に人口の少ない街だと、結婚相手の数が限られているので「早く相手をつかまえないと」という焦りが結婚を促すという理由がひとつ挙げられます。
もうひとつは、地方都市で親の稼業を継ぐ人たちの中には、高学歴のメリットよりも早く結婚してたくさんの子供を作るメリットの方が高いというケースが多いのかもしれません。
都会だと自分と同程度の学歴や収入のある同類の異性がいくらでもいるので、慌てて結婚する必要性が少ないとも言われています。
しかし、この「いくらでも相手がいる」という思い込みはいささか危険ではないかと私は考えています。
よく、地方から出てきた若者が「東京は美人が多い」と言いますが、それは至極当たり前のことなのです。
仮に一日中東京都内を歩き回っていれば、すれ違う人は大変な人数になります。一般に美人と言われる人の確率が10人に1人だとすれば、東京で1000人とすれ違えば100人の美人とすれ違います。
地方で一日中歩き回って50人の人とすれ違えば5人の美人としかすれ違いません。つまり、単純化すれば、都会と地方の人口の絶対数の違いだけなのです。
だとすれば「いくらでも相手がいる」というのも、絶対数が多いことによる誤解に基づいている可能性が高いのではないでしょうか?
男性視線で「これだけたくさんの美人がいればいつか出会える」と思っていても、同性ライバルもたくさんいるので競争率は地方と同じなのかもしれません。
「いつか出会える」という思い込みは、結婚相手の数が限られている人口の少ない地方で同性のライバルたちが相手を見つけてさっさと結婚していくのをノンビリ見守っているのと同じなのかもしれません。もっとも、都会のライバルたちが同じようにノンビリ構えていれば、競争が激化しない分可能性は高くなりますが…。
人口流入では、東京を始めとする首都圏の一人勝ち状態が続いています。若者が都会に流入すればするほど、「いつか出会える」と考える人が増えるので「非婚化・晩婚化」は将来的にもすすんでいくと想像しています。
個人的には、非婚も晩婚も同性婚もたくさんいる多様性のある社会が好きですがこれはあくまでミクロの話。マクロ的に政策を考えなければならない人たちにとっては頭の痛い問題なのかもしれませんね。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年5月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。