現地を知らずに中国を語る日本人たちにひと言⑩(完)

2017年06月11日 22:00

ひと言のつもりが、書き始めたら止まらなくなった。最近、日本で語られる中国について、うんざりし、あきれかえることがあったからだが、以前から似たようなことはあった。ただ、中国の大学にいて、学生たちが日本のことを真剣に知ろうとし、学ぼうと努力する姿に日々接しているうち、黙っているわけにはいかないと心配になった。

このままだと、日中間で取り返しのつかないほど認識ギャップが拡大していくか、あるいは、日本が通り過ごされるか、のいずれである。日本には、故意に対立を煽ることを生業としているのではないかと思える人もいる。どちらにせよ、双方にとって好ましいことではない。

3月から開講した新科目「日中文化コミュニケーション」の授業で、自由研究の課題を出した。どんなテーマの発表があるか興味があったが、驚きの連続だった。俳句から始まって弁当文化、女子高生ファッション、忍者、日本刀、剣道、書道、敬語、落語、漫画、現代小説、ユーチューバー( Youtuber)、コンビニ・・・中国との比較を加えながら、ありとあらゆる話が飛び出してくる。ネットを通じて、たいていのことは調べることができる。もちろん、表面的になりがちだが、それでも関心の幅の広さと深さにはびっくりさせられる。

そして日本の書店に行き、国際関係の本が並んでいるコーナーを見て唖然とする。タイトルは言わなくてもわかるだろう。もし、中国はまだ反日教育を行っていて、あわよくば日本を攻めに来る、と思っている日本人がいたら、一度、こちらに来て生の若者たちと交流してみるとよい。いくらネットを探しても出てこない真実に触れられる。

だから、学生の日本学習熱に触れ、日本人としてうれしい気持ちと、逆に日本から伝えられるあまりにもひどい対中認識との落差に驚愕するのである。80年代、私は北京で留学生活を送ったが、あの当時の日本留学熱は、主として実利が目的で、現在のような文化を含めた幅広い関心にまでは至っていなかった。まだ発展の途上にあり、余裕もなかった。技術を学ぶことに精一杯だった。

むしろ自由に行き来のできた日本人がよく中国を理解し、メディアや教育、行動が制限されている中国人はまだ視野が狭く、世界認識は乏しかった。その時代と比べれば、雲泥の差だ。日中間をみれば、あきらかに相互認識の熱意と意欲、実践それぞれにおいて、逆転現象が起きている。

新聞社にいたころ、中国をわからないと世界がわからなくなる時代がくる、いや世界はもうそうなっている、という趣旨を原稿に書こうとしたことがある。観光だけでなく、留学やビジネスで中国を訪れる外国人の数は年々増加している。すると原案の段階で、上司が「中国をわかっていれば世界がわかるという考えはおかしい」とからんできた。直接ではなく、デスクを通じての間接会話である。必要条件と十分条件の違いを全く理解していない。これを論理のすり替えという。目が曇っているから、固定された世界観に閉じこもり、その結果、さらに見えなくなる悪循環に陥っている。

領土問題を含め、「現状維持」「現状変更は許さない」という主張がされる。その内容自体は今問わないが、「現状維持」は何もしないことと同義ではない。世界が大きく地殻変動している中、現状維持を求めるのならば相当の労力が必要となる。無関心では許されない。より深い研究をし、様々な事態に対応したシミュレーションが必要になる。現地もよくわからず、不必要に民族感情を刺激する無責任な言論をまき散らすのは、国の進むべき方向を誤らせる。民族の利益を語りながら、実際は浅薄な功利主義者に過ぎない。

気が付くと今回で10回目だった。区切りがいいので、ここでいったんは筆をおく。根の深い問題なので、今後もことあるごとに発言しなければならないだろう。

(完)


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年6月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。

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加藤 隆則
汕頭大学新聞学院教授、元読売新聞中国総局長

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