私にとっての読売新聞とは①

加藤 隆則

汕頭大学の春季学期が終わり、上海、北京を経由し、夏休みの一時帰国をした。この間、各地で、前川喜平・前文部科学事務次官に関する読売新聞の「出会い系バー」報道と、その批判に答えた社会部長名の釈明について意見を求められた。どこへ行っても、読売が袋叩きに遭っている。不買運動を口にする人もいる。擁護論はまったくと言ってよいほど聞かない。古巣の現状に対する私の感想について、周囲が関心を持つのは理解できるが、簡単にコメントできないのがもどかしい。

「早く読売を辞めておいて正解でしたね」と水を向けられる。そして、私に“反読売”のレッテルを貼り、読売バッシングに加わるよう求められる。だが私にはピンとこない。私は世論の大勢に乗じ、功利的に迎合する言論を好まない。誹謗中傷の中から社会が発展することはないからだ。

日本で語られる中国問題について言えば、その大半が時流に媚び、偏見を助長するものでしかないことを、たびたび指摘してきた。「独立記者」を自任するものとして、たとえ少数派であっても、社会と歴史に対する責任感を持ち、自由な言論を守る覚悟を抱き、正しいと信ずることを誠意をもって語るよう努めてきた。たとえ成果は不十分であっても。

そもそも、私の辞職と今回の読売による失態とは、何の直接的な関係もない。問われるたびに、私は自分が辞職した理由をかみ砕いて説明しなければならない。辞職理由はすでに十分、明らかにしてきたつもりでいたが、みなが私の書いたものに目を通しているわけではないので、やむを得ない。寝た子を起こされたような気持ちがするが、私にとっての読売問題を改めて語る必要を感じた。

私は27年間、読売新聞に身を置き、上海と北京にトータルで10年駐在した。そして、私が苦難の末に得た特ダネ原稿がボツにされ、これを別の形で公表するため、2015年6月辞職した。ボツ扱いされた私の特ダネはその後、月刊『文藝春秋』2015年8月号に掲載された。

私はそれ以前にも、北京駐在中、「安全」を名目にした意味不明な特ダネ執筆禁止令や緊急の帰任命令を受けた。特ダネを書けと求められることはあっても、書くなと言われたことはない。あり得ないこと、あってはならないことに遭遇し、新聞社への信頼が大きく揺らいだ。新聞記者一筋に生きてきた私の足元をも揺るがした。ペンを奪われた記者に居場所はない。当然の帰結として、私は辞表を書いた。

辞表提出までの経緯は拙著『習近平暗殺計画 スクープはなぜ潰されたか』(文藝春秋)で言い尽くした。同書には「そうする以外に道がないという形での選択だった」と書いた。在籍中、私は一部の上司に対し、みずらが経験した社内の不透明、不公正なやり口に対し、「棺桶まで持っていくつもりはない」と話していた。それを実行したまでのことだ。

同著の「はじめに」には、この一文がある。

「誤解のないように念を押しておくが、本書はいわゆる私憤をぶちまけた暴露本ではない。特定の個人や組織を不当に誹謗中傷するものではない。書かれた内容は言論の自由を担う『社会の公器』として、真実を追求する新聞の使命にかかわることであり、執筆の動機は報道が強さを取り戻すよう切に願ったものであることを、冒頭に強調しておきたい」

私は過去にとらわれ、怨みつらみの中で生きる道を潔しとはしない。自分の経験を公の場で語り、真実を明らかにすることによって、読売新聞ばかりではなく、日本のメディア界、社会全体にわずかながらでも問題提起ができればよいと考えた。

読売側の公式反応はゼロだった。異議も抗議もなかった。無視し、沈黙を守ることがリスク管理上、得策だと判断したのだろう。社内では「計画的な退職」だと無意味なレッテルを貼る声もあったと聞くが、実に不可解だ。私は辞職の手続きも知らず、人事部に初めて早期退職制度の存在を知らされた。辞表を書いた時点で、まず考えたのはどうやって特ダネを公表するかであり、再就職先はまったく白紙だった。理解できないと言われても、事実がそうなのだから再釈明のしようがない。

一方、私のもとには読売を含め、多数のメディア関係者から共感や共通の悩みが寄せられた。特定の新聞社に限らず、日本のメディア自体が深刻な病みを抱えていることを知り、自分の行ったことは無意味でなかったと実感できた。私はそのうえで、メディアのあり方を外部から問い直すため、中国の地において新たな一歩を踏み出す道を選んだ。

長年にわたって私を記者として育て、活躍の場を与えてくれた新聞社には感謝こそすれ、反感はまったくない。むしろ自分でも不思議なほど、もはや個人的な感情や関心がない。私にとって、読売新聞はメディア研究の一対象でしかない。衰退する新聞業界のガリバーとして、環境への適応ができずにもだえ苦しむ巨竜である。

そのうえで、前川氏に関する読売報道問題について、若干の私見を述べてみる。

(続)


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年7月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。