民進党政権復帰の近道は安倍批判より自己批判だ

八幡 和郎

民進党公式YouTubeより:編集部

私が民進党など野党を批判すると、野党なんか期待しても仕方ないからそんなことするより、政権批判をしろという人がいる。そして、そういう人は、石破氏に代表される党内野党に期待して私にも応援しろという。

しかし、そんなものは、民主主義の基本に背く邪道だ。政権党に驕りがあるとすれば、その脅威となるのは健全で政権を担当させたくなるような野党の存在であることが、近代民主主義の基本だ。

党内野党に期待するなどと言うのは55年体制の馬鹿げた逆戻り指向であって、そういう政治のあり方は、権力欲に根ざす政権たらい回しで短期政権を増やして大きな改革やダイナミックな外交の妨げになり、醜い派閥政治が40日抗争などの弊害を生み、のたれ死にしたものだ。再びそのような方向に戻っては絶対にいけないのだ。

諸外国をみても、与党内での権力闘争でリーダーが交代する事はほとんどないのである。私はそういう意味で、野党の健全化が最重要課題だと思っている。

ところが、民進党は、政権時の失敗に懲りて、より現実路線に修正すべき所を、全く反対に、安保論争にう象徴されるように政権時より極左教条主義に堕してしまった。民進党は野党家マスコミとつるんで、森友事件とか加計学園の問題といった些事で政局を動かそうとした。

たびたび、アゴラでも書いているように、森友問題はプチスキャンダルだ。なにはともあれ、総理夫人がいささか問題の多い学校の宣伝塔になってしまったのだし、国有地払い下げについての財務局などの対応はいい加減すぎるし、稲田大臣の弁護士としての関与そのものが悪いわけでないが、国会答弁はいかにもお粗末だった。それを、プチスキャンダルに相応の謝罪をしておけばいいものを強行突破しようとしたのは、驕り以外の何でもない。

一方、加計学園問題は、戦略特区の制度にやや未熟なところがあって、政治判断の位置づけにどっちもつかずのところはあるが、安倍政権に対して前川喜平氏らがしているのは、岩盤規制と縦割り行政こそが正義であってそれを侵害したからけしからんといってるだけのことだ。

いずれにせよ、民進党が安倍内閣の驕りから来る強気一点張りの対応に乗じて、些細な不手際を上手に使って内閣支持率を何十パーセントも落としたのは見事と言えば見事だ。

しかし、そんなことをしても、民進党の支持率は上がらなかった。もちろん、そこには、蓮舫氏の二重国籍問題をきちんと処理しないことで「おまえがいうな」とうブーメラン効果が働いたのも大きかった。

さらに、モリカケ問題でもそうだが、民進党の政府批判は、同じような事が民進党自身にもあることが、容易に予想できるものが多かった。その極めつけが山尾不倫騒動である。すでに「山尾志桜里、宮崎謙介、今井絵理子の誰が悪質か」でも指摘した事だが、この三者のなかではもっとも悪質なのは山尾氏のケースなのだが、もっと問題なのは、山尾問題だって自民党の幹部がこれをたねに議員辞職しろとかいっていない。

ところが、山尾氏ら民進党幹部は、宮崎謙介や今井絵理子を先頭にたって国政上の大スキャンダルといわんばかりに叩いていたし、だからこそ、ワイドショーなどの餌食になってしまった。そして、何よりまずいのは、モリカケにしろ、不倫にせよ、豊田真由子にせよ、つまらんスキャンダルをいくら叩いて受けたところで、民進党に政権を戻そうということにつながらないことだ。

政権復帰は、民主党政権のときの不手際をいかに反省し、今度こそ同じ失敗を繰り返さないような党になったかを示せたときに実現するものだ。そして、そう国民が認めない限りは、安倍内閣の支持率が下がっても民進党の支持率が上がらないと言う事になるし、また、もともと、些事であるので、政府与党がちょっぴり反省し、内閣改造などして、特異の外交の舞台で少し得点を挙げたら元の木阿弥になってしまうのだ。

「民進党政権復帰の近道は安倍批判より自己批判だ」というのは、そういう意味だ。

もちろん、安倍政権にも与党にも問題がないはずはない。しかし、本当に問題だと思うようなことを野党も党内反主流派も厳しく問題提起や政策を提案しているわけでない。そこのところは次回にでも論じたい。