セクハラ被害の女性たちによる“Me too”を一考

長谷川 良

こんなことを書けば女性たちから強い反発を受けるかもしれないが、書き出してしまった。

最近、女性たちが著名人から性的ハラスメントを受けたというニュースが頻繁に報じられてきた。先月初め、ハリウッドの大物プロデュ―サー、ハーヴェイ・ワインスタイン氏が過去20年間、多くの女性たちに性的虐待を繰り返していたということが発覚した。被害となった女性の中には有名な女優もいる。彼女たちは今、口を開き(Me too)、同氏の蛮行を暴露したことから明らかになった。

そのニュースが報じられた数日後、今度は米中央情報局(CIA)長官も務めたことがある元米大統領ジョージ・H・W・ブッシュ氏(93)が4年前、女優のお尻を触ったというセラハク疑惑が明らかになった。ハリウッドの女優たちを相手としていたワインスタイン氏は多分、その分野のプロかもしれないが、大統領1期、副大統領2期、CIA長官を歴任したブッシュ氏も同じようなことをしていたとは想定外だった。「オー、ブッシュ、お前もか」といったところだ。セラハク疑惑が報じられると、ブッシュ氏は謝罪を表明している。

話は続く。今度は米俳優でオスカー受賞者のケヴィン・スペイシー氏から性的虐待を受けたとして、被害者(男性)がスペイシー氏を告訴するというニュースが入ってきた。

当方はこのコラム欄で米国のサスペンス映画「ユージュアル・サスぺクツ」(1995年作)の最後の場面でスペイシーが演じたヴァーバル・キントが語る有名な台詞を紹介したばかりだ(「無神論者の生年月日はいつ?」2017年10月28日参考)。その矢先に、スペイシーの名前がセクハラ疑惑でメディアに登場したので驚いた。

新党「リスト・ピルツ」議員たち、 前列の中央が4日、セラハク疑惑で議員を辞任したペーター・ピルツ氏(「リスト・ピルツ」の公式サイトから)

また、オーストリア国民議会選で新党「リスト・ピルツ」が躍進したが、その主役ペーター・ピルツ氏が「緑の党」時代に党の女性職員に性的ハラスメントを行っていたというニュースが3日、オーストリア通信(APA)から流れてきた。当方は同氏の政治信条は同意できないが、その政治活動には一定の評価をしてきた。大企業の腐敗を暴露し、賄賂などを受ける政治家たちを追及する姿はオーストリアでは珍しいほど首尾一貫とした政治家だ。そのピルツ氏が……。参考までに、オーストリア代表紙プレッセは4日付け1面トップでピルツ氏のセクハラ疑惑を報じると、ピルツ氏は同日の記者会見で 国会議員の辞任を表明している。

残念ながら、性的ハラスメント、性的虐待は昔も今も頻繁に起きている。上記の実例は氷山の一角に過ぎない。ところで、なぜ女性に性的ハラスメントが多発するのだろうか。両性は相互に引き合うようになっているからだ、といえばそれまでだ。また、女性の社会的地位が弱いこともあって、男性がその位置を利用して女性に強要するケースも少なくない。

一方、加害者は男性が多いことから、性的ハラスメントでは男性が加害者、女性が犠牲者といった面は否定できないが、それだけではないだろう。性的ハラスメントでは程度の差こそあれ双方に責任があると思えるのだ。このようにいうと、女性たちから激しい反発を受けるかもしれないが、やはり書いておかなければならない。

話は旧約聖書の創世記に描かれたアダムとエバの時代に遡る。アダムとエバは神の「取って食べてはならない」という戒めを破った。そして「エデンの園」から追放された話は当方のコラムの読者ならば既に何度も聞いて知っているだろう。ここではもう少し、突っ込んで説明する。天使長ルーシェルに誘惑されたエバはその直後、神の戒めを破ったという心の痛みを感じ、その痛みから逃れるためにアダムに声をかけ、最終的には共に堕落してしまった(「ルーシェルとエバの話」とスペイシー氏の同性愛問題は次回に譲る)。

アダムとエバの話を少し考えてみる。エバはアダムを誘惑し、共に堕落したのだ。この場合、エバが誘惑者であり、アダムが犠牲者だ。21世紀の性的ハラスメントの状況とは逆のパターンだ。

「当方氏は聖書の話を持ち出し性的犯罪を繰り返す男性の堕落を隠蔽しようと考えている。当方氏はなんと浅はかな男性だろうか」といった軽蔑の声が聞こえそうだが、聖書の話はやはり無視できないのだ。

もちろん、その後日談も付け加えなければならない。神は堕落したアダムに「なぜ戒めを破ったのか」と詰問する。すると、アダムは「あなたが私に与えて下さったエバが私を誘惑したのです」と弁明している。アダムは「申し訳ありません。責任は私にあります」とは言わなかった。彼は責任逃れをしたのだ。その後の「男女間の歴史」では、そのようなアダムとエバの葛藤の物語が繰り返されてきたというわけだ。

現代社会で性的ハラスメントが多発している。地位や権力を武器に女性たちにセクハラをする男性は その地位と評価を失うことを自覚すべきだ。しかし、男性だけでなく、女性たちにも一定の責任(衣服や言動)があることをやはり忘れてはならないだろう。フェミニズムやジェンダーフリーが叫ばれながら、世俗社会の中で、女性は女性の武器を利用する場合も少なくないからだ。またコマーシャリズムやジャーナリズムの影響も大きい。

責任を相手になすりつける男と女の歴史を閉じ、男女が共に尊重しあい、責任を持つ時代が来てほしいものだ。セクハラを受けた女性たちが告白する“Me too”現象は男女間の過去を清算するためにひょっとしたら不可欠なプロセスかもしれないが、“Me too”だけでは問題の本当の解決にはならないだろう。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年11月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。