創業者がどこまで責任を持つか、いや責任を持つべきか、ということは、新党を立ち上げる時の最大の課題である。
かつて石原新党の設立を促す声が保守層、特に真正保守を志向する人たちのの間に湧き起こったことがあったが、いつまで経っても石原氏は起ち上らなかった。
多分私財を新党に投じることを躊躇しているのだろうな、と村上正邦氏の周辺にいて遠くから石原氏の動きを眺めていた私などは、当時そう思ったものだった。
石原氏は平沼さんがいたのでどうにか新党の結成に漕ぎ着けたが、結局石原新党と呼ばれるほどには新党にのめり込まなかったようだ。
当時の党名は、確か「立ち上がれ!日本」だったと思う。
立ち上がれ日本の事務所も、事務局も、党の運営資金もすべて平沼さんが引き受けていたと思う。
立ち上がれは、後に維新に合流し、維新は橋下徹氏と石原氏の共同代表制になったが、党の運営そのものは大阪の橋下氏と松井氏の二人が担っており、石原氏は事実上看板だけだったんだろうと私は見ている。
多分、石原氏には新党を切り回していくほどの覚悟も力も当時なかったのだと思う。
どこまで新党に私財を投じていく覚悟があるのか、というのは、創業者に常に問われている大事な問題である。
みんなの党の渡辺喜美氏は、私財を投入してみんなの党を立ち上げた紛れもない創業者である。
もっとも、渡辺氏が投入した私財なるものは、すべて特定の一企業からの借入金だったことが後に判明したが、とにかく渡辺氏にはそれだけの情熱と覚悟と実行力があったことは間違いない。
さて、希望の党の創業者である小池さんには、どこまでの覚悟があったのだろうか、というのが私の問題提起である。
多分、すべてのことが自分の思惑通りに行くはずだと思って、実際には何の覚悟も、何の備えもなかったんじゃないかな、というのが現時点での私の推測である。
まあ、鳩山財閥でもバックに付いていれば別だろうが、小池さんにそこまで求めるのはそもそも無理だった、ということだろう。
希望の党の代表に就任した玉木氏は、どうやらあえて火中の栗を拾ったようである。
小池さんが自分ではとても始末出来そうもないことを、玉木氏はすべて引き受けたようである。玉木氏が直接私財を投入するわけではないが、希望の党が金融機関から融資を受けるにあたって、玉木氏は連帯保証人を引き受けることにしたそうだ。
よくそこまで腹を括ったものだ、と、ここは玉木氏の勇断に敬意を表しておいた方がいいだろう。
潤沢な資金を保有している民進党や落選者が僅かで供託金が全部戻ってくる立憲民主党と違って、希望の党は多額の供託金返還債務を負っている貧乏政党である。
同じ政党の代表でも、希望の党の代表は普通の人なら辞退してもおかしくないような債務超過政党である。
石原さんでも小池さんでも出来なかったことを玉木氏はやろうとしているのだから、玉木氏の漢気はもっと評価されていい。
編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2017年12月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。