命がかけの仕事をしないですむ社会と会社にするために

常見 陽平

福岡で開かれた過労死対策のシンポジウムに登壇。私は例によって、多様なポジションに身を置いた経験から、働き方改革の矛盾や、ポエム的スローガンのもとに進められる人材の定額使い放題社会について警鐘を乱打したのだが。

なんせ、NHK記者で過労死した佐戸未和さんのお母様の話に胸を打たれ。

「未和は生きる気、満々でした」

この言葉が頭の中でぐるぐるまわっている。

2013年の夏の選挙を担当。5人のチームだったのだが、彼女は主な政党以外をひとりで担当。限りなく正確な当確を出すために、奔走したそうだ。

7月下旬に自宅で亡くなっていた。発見したのは婚約者だった。

8月には横浜支局にキャップとして異動すること、さらには9月には結婚が決まっていた。ご両親は10年以上にわたる海外赴任から帰国する前に、携帯電話でNHKの上司から娘の死を知らされたという。

正確な当確と、その報道への取り組みを評価され、報道特賞をもらった。しかし、命は戻ってこない。

一橋大学の後輩だった。おそらく、共通の友人・知人もいることだろう。

自分が労働問題に関心をもった原点は、NHKで80年代に流れていた過労死のドキュメンタリーだった。「自分がいなければ会社がまわらないと言っていた彼、倒れたあとも会社はいつも通り動いていた」というナレーションが忘れられない。

昨日も自分の講演の中で、この言葉を引用した。この言葉を発する瞬間、自然に言葉がつまり、涙が出た。目の前には、佐戸家も含め、家族を過労死で亡くした方がいたし、NHKも取材に来ていたが、勇気をもって、この言葉を紹介した。届いていたと思う。

その後の、過労死をテーマにした落語は、相変わらずお笑いではまったく笑わない私だったのだけど、なかなかナイスだった。

終了後は、10代の頃から好きだったジギーの博多公演を見る。開演前にラーメンを食べたいなと思ったら、ぜんぜんなくて。どしゃぶりの雨に濡れてしまった。まるで彼らの代表曲みたいだ。

この日の彼らは、また最高の演奏で。54才になっても金髪でタトゥーの森重さんは最高にかっこよく。ロックだった。前の方で盛り上がっていたら森重さんからペットボトルの水をもらい。思わず、お気に入りのジャケットを着ているのに、頭からかぶった。生きているという感じがした。

命がけという言葉がよくつかわれる今日この頃だけど、冷静に考えると、これは命のバーゲンセールだ。命はかけない。でも、人生をかけた仕事をしよう。人はなぜ働くのかという問いに立ち向かおう。


労働問題について語り合っている、この最新作をよろしく。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2017年12月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。