国民を語る報道ステーションが造る非論理的な民意

2017年のテレビ報道において顕在化したのは、フェイクニュースを用いた不合理な政権攻撃であったと言えます。

「ひるおび」東京都議会議長の握手拒否報道[記事]
「バイキング」国会委員会における官僚の居眠り報道[映像]
「NEWS23」「サンデーモーニング」2万2千リツイート報道[記事]
「報道ステーション」安倍晋三記念小学院の黒塗り報道[記事]

そんな中で見過ごされがちなのが、過去から脈々と続く「国民」の「民意」を都合よく語る昔ながらの世論誘導です。私がウォッチしたところ、安倍首相が改憲の議論を始めた頃からテレビでは「国民」という言葉を使った極めて多く認められるようになりました。中でも「報道ステーション」は、スタジオトークで「国民」という言葉を頻出させ、「国民」の名の下に政権批判を繰り返しました。

メディアが客観的な根拠を基に政権批判を行うのは健全な姿であると考えますが、定義曖昧なままに「国民」という言葉を濫用して政権批判を行うのは健全な姿ではありません。この記事では「報道ステーション」の事例を中心に「国民」「民意」という言葉のテレビ報道での理不尽な用法について指摘してみたいと思います。

「国民」という言葉の特殊性

日本語において「国民」という言葉は、国籍を有する個々の構成員を表す【普通名詞 common noun】として用いられると同時に構成員の集合体を意味する【集合名詞 collective noun】としても用いられています。このため、「国民」というだけでは、それが「個々の国民」であるのか「一部の国民」であるのか「全ての国民」であるのかを区別することはできません。ここに論理の【曖昧性 ambiguity】が発生します。

論理における命題は次の4つの形式のうちいずれかの形をとります。

A<全称肯定判断> 全てのSはPである
E<全称否定判断> 全てのSはPでない
I<特称肯定判断> 一部のSはPである
O<特称否定判断> 一部のSはPでない

当然のことながら「国民は~である」「国民は~でない」という命題において、それが「全ての国民」を意味するか「一部の国民」を意味するかによって命題の真偽が変わることになります。マスメディア報道はこのトリックを利用して、実際には「一部の国民」を意味する「国民」という言葉を「全ての国民」を意味するかのように偽装し、狡猾に印象報道を行っていると言えます。

例えば、一部の国民のみが国政のある課題に疑問を持っている場合に「国民は疑問を持っている」と報道してもそれは虚報ではありません。しかしながら、文脈を読めない視聴者は、「全ての国民(自分以外の殆ど全ての国民の意味)が疑問を持っている」と誤解釈し、自論がその言説に反する場合にはそのことを公言することを控えるようになり、【沈黙の螺旋 spiral of silence】に陥ってしまう可能性があります。ちなみに【同調圧力 peer pressure】が欧米社会に比べて敏感に作用している日本[記事]においては、このような「自粛」は日常茶飯事であると言えます。

また、一般に全称判断の命題については、煩雑を避けるため「全ての」という形容詞を省略可能とする約束があります。例えば「人間は考える葦である」という命題は「全ての人間は考える葦である」ことを意味しますが、通常は「全ての」という形容詞を省略します。このような点でも「一部の国民」のことを「国民」と呼ぶ場合にそれが「全ての国民」であるとミスリードされやすいと言えます。

なおマスメディアがしばしば用いる「多くの国民」という言葉もプロブレマティックです。この言葉はほぼ全称表現であるかのように聞こえますが、明らかに「特称」表現です。場合によっては、全称に近い特称ではなく、0に近い特称のケースがあります。

例えば、マスメディアが「多くの国民」という枕詞で紹介する「国会前の抗議デモ」に参加する100人程度の国民は、2~3人の国民と比較すれば「多くの国民」ですが、日本人全体からすれば100万人に1人の存在に過ぎません。例え1万人集まったところで1万人に1人の存在です。この100人をもって「多くの国民」と言うのは、あまりにも実態とかけ離れたミスリードであると言えます。

報道ステーションが語る「国民」

2017年5月以降において、「報道ステーション」が使った「国民」という言葉の一部を紹介したものが次の映像です。

[参照映像1] [参照映像2] [参照映像3]

映像を見ればわかるように、「全ての」「一部の」という形容詞は報道では全く使われてなく、その判断は視聴者に委ねられています。ここでいくつかの言説を例として詳しく分析してみたいと思います。

まず、富川悠太アナの「国民の意見が反映されいるとは思えない」という言説は、明らかに「一部の国民の意見が反映されいるとは思えない」ことを意味しますが、日本語の慣用的な表現で言えば、「全ての国民の意見が反映されいるとは思えない」とミスリードされます。そもそも、一般的な政治のアジェンダにおいて、全ての国民の意見を反映することは不可能であると言えます。なぜなら個々の国民の意見は多様であり、互いに対立するからです。したがって、「国民の意見が反映されいるとは思えない」という言説は、当然のことを言明しているに過ぎず、報道でアナウンサーが皮肉たっぷりに言明するような類の内容ではありません。しかしながらこの言説に心理操作された一部大衆は疎外感を感じることになり、政府に対して不満を持つことになります。

後藤謙次氏の「国民はそこを求めているのではなくて」という言説は、明らかに「一部の国民」の意見をもって、それがあたかも「全ての国民」の総意であるかのように主張しています。これは勝手に「国民」を語る印象操作であると言えます。

テロ等準備罪に対して「国民の皆がもっと審議をすべきだと言っている(全称判断)」「国民の殆どが無茶苦茶だと思っている(全称判断を示唆させる特称判断)」という田原総一郎氏の言説のうち、一つ目の全称判断は明らかな誤報(少なくとも国民の一人である私はそうは言っていません)であり、二つ目の判断を示すような世論調査結果(無茶苦茶だと思う)も見たことがありません。このような悟性を欠いた無茶苦茶な言説がテレビ報道されているのは非常に危険であると言えます。

富川悠太アナがあたかも国民の一人の立場として発言している「国民は納得できるとは思えない」という言説も勝手な推測に過ぎません。事実をアナウンスすると情報弱者から認識されている【漠然的権威 vague authority】であるアナウンサーの見解はコメンテイターの感想よりも影響があることに注意する必要があります。なお、番組中の富川アナの発言は、たとえ個人的発言のように感じられても、実際には富川アナ個人の発言ではなく、番組スタッフから指示された台詞であると考えるのが合理的です。厳しく時間管理されているニュース番組で個人的見解を述べているような時間はないからです。組織人である富川悠太アナと小川彩佳アナは、番組で富川悠太アナと小川彩佳アナというキャラを演じているに過ぎないものと推察されます。これは過去に高額ギャラを支給されていた古館伊知郎アナにも共通することです。優秀なアナウンサーであればあるほど番組の論調を自然に表現することになり、番組の論調に不満を持つ視聴者からめちゃくちゃ嫌われることになります(笑)

報道ステーションが主張する「民意」

「報道ステーション」がなぜ「国民」を語るのかと言えば、自論が「国民」の「民意」に合致していることを根拠に「リアルな国民」を心理操作することで一定の方向性を持つ社会の形成を目指しているためと考えられます。そして、その社会の方向性とは「反自民」の社会です。

過去から現在に至るまで、「報道ステーション」は極めてあからさまに一貫して自民勝利の選挙結果を否定し、自民敗北の選挙結果を肯定してきました。自民党が選挙で大勝利しても「それは民意ではない」と主張して公約の履行にストップをかける一方で、翁長氏や小池氏といった反自民党勢力が勝利すると「それはハッキリとした本物の民意である」として公約の履行を促進する報道を行ってきました。

[報道ステーションの民意の法則 検証映像 1]
[報道ステーションの民意の法則 検証映像 2]

「報道ステーション」の報道の内容を簡潔に示すと次のようになります。

2014 東京都知事選/舛添氏(自民推薦)勝利
「舛添氏の勝利によって自民政権が原発回帰にお墨付きを得たとは言えない。」

2014 山口・石川・福島県知事選(原発関連県)/自民勝利
選挙前に「民意が問われる」としていたにも拘わらず結果が出ると無視

2014 衆院補選&沖縄市長選/自民勝利
「自民が信任を得たとは言えない選挙だ」

2014 沖縄県知事選/翁長氏(反自民)勝利
「沖縄県民の強い意志がハッキリした。移設中止を進めていくことが必要。」

2014 衆院選/自民大勝利(沖縄のみ自民敗北)
「本土のオボロゲな民意が沖縄のハッキリとした民意を包み込んでいいのか。」
「史上最低の投票率だった」
「民主党に大敗した時よりも自民の得票が少なかった」
「自民党の得票率は48%に過ぎない。」
「投票率が52%なので有権者全体の得票率で見ると25%だ」
「原発・集団的自衛権をめぐっては世論調査で反対の民意が示された」
「沖縄で辺野古移設反対の民意がはっきり示された」

2015 参院選/自民大勝利
「12の激戦区で自民党は1勝11負であり、政権に非常に厳しい審判を下した。」

2016 東京都知事選/小池氏(反自民)勝利
「小池氏は民意を追い風に次々と政策を進めていくべきだ。」

2017 東京都議選/自民大惨敗
「今回の大敗は自民が負けた選挙だ。」

2017 衆院選/自民大勝利
「野党の混乱で自民に勝利が転げ込んだだけで本物の勝利ではない。」
「比例代表の得票率で33%しかなかった自民党が60%強の議席を得た」
「世論調査で内閣支持率は高くないのに選挙では自民党が勝った。」
「一体民意が反映されているのか。」

これらのコメントは、まるで負けず嫌いの子供が、勝負に勝った場合には自慢し、負けた場合には負け惜しみを言うような低次元な内容で構成されていることがわかります。ここで主要な国政選挙に対する論調についてもう少し詳しく見ていきたいと思います。

2014年の衆院選では、自民党が大勝利したにも拘わらず、低投票率で自民党の有権者得票率が25%であったことを根拠に自民党の大勝利を「オボロゲな民意」と否定し、一方で沖縄選挙区での反自民候補の勝利を「ハッキリとした民意」と大絶賛しました。ただし、実際に沖縄選挙区で勝利した候補者の有権者得票率を調べてみると平均27%に過ぎず[記事]、一方を「オボロゲ」とし、他方を「ハッキリ」とするのは極めて不公正であると言えます。しかも有権者のわずか0.001%(1000人程度)に実施したアンケート調査に過ぎない世論調査の結果をもって有権者得票率25%(すなわち2500万人)の「リアルな国民」が自民党に投票した民意を否定しているのですからあまりにもおバカすぎると言えます(笑)

2015年の参院選においては、自民党が大勝利したにも拘わらず、「12の激戦区」という野党有利の選挙区だけを番組が勝手にピックアップして、挙句の果てに、それらの選挙区において自民党は1勝11負であったことから「国民は政権に厳しい審判を下した」と結論付けました。これも普通の感覚では考えられないおバカすぎるコメントです。

2017年の衆院選でも、自民党の大勝利は「本物の勝利ではない」と断じました。後藤謙次氏は「比例区の得票率が33%しかなかった自民党が60%強の議席を得た」とコメントしましたが、これも不合理な印象操作です。自民党の比例区の得票率は、公明党との選挙協力のために33%という低い値をとり、比例区の議席占有率は37.5%の結果に終わりました。一方、選挙区の得票率は48%であり、議席占有率は75%でした。これらの結果は選挙制度の狙いに整合する至極まともな結果であると言えます。このような状況の中で、「報道ステーション」は、比例代表得票率の低い数字だけを視聴者に示して、自民党の全体の議席占有率が大きすぎるような印象報道を行ったと言えます。さらに、2014年の衆院選と同じように、1000人程度に実施した世論調査における内閣支持率が低いことを理由に、5000万人のリアルな国民が投票した選挙の民意を否定しました。これこそが2017年最大の印象報道と言えるかもしれません。

世論調査の危うさ

世論調査は、公正な質問に対して【被験者 participants】から真摯な回答が得られた場合に有効であると考えられますが、数回にわたる私の被験体験から考察する限りでは、大きな問題を内在した調査方法であると考える次第です。

世論調査では、突然かかってきた予定外の電話に対して十分に考える暇もなく即座に回答することが求められます。時間に追われている被験者が反射的に回答する場合、基本的に【ヒューリスティック heuristic】という脳の近似アルゴリズムを使って回答が行われることになります。代表的な【ヒューリスティック】には次のようなものがあります[記事]

【係留と調整のヒューリスティック anchoring and adjustment heuristic】
人間は、意思決定にあたって、先験情報による基礎認識を事後情報で修正することによって得られた認識を重視する傾向がある。

【利用可能性ヒューリスティック availability heuristic】
人間は、意思決定にあたって、想起しやすい記憶を重視する傾向がある。

【感情ヒューリスティック affect heuristic】
人間は、意思決定にあたって、その時点の感情を重視する傾向がある。

このうち世論調査に影響を与えやすいアルゴリズムが【利用可能性ヒューリスティック】と【感情ヒューリスティック】です。世論調査の被験者が咄嗟に時事問題に回答しようとするとき、まずは情報の記憶をたどることになります。一般に人間には【画像優位性効果 picture superiority effect】という認知バイアスがあり、文字による学習よりも画像による学習の方が内容を想起しやすい傾向があるため、新聞報道を介して記銘した情報よりは、テレビ報道を介して記銘した情報に大きな影響を受けることになります。特にセンセーショナルなプレゼンテーションで印象操作を行う「報道ステーション」やワイドショーの論調の影響は少なくないものと考えられます。

いずれにしても各報道機関は調査の具体的な方法について詳細を公表していないため、その調査結果には大きな疑問が残ります。あえて言わせていただければ、世論調査で国政選挙結果を否定するなど言語道断であり、特定勢力による国民主権の否定であると考えます。

エピローグ

2017年は、ワイドショーを中心とするマスメディアが、森友・加計を中心とするネガティヴなトピックを使って、印象報道とフェイクニュースで政権を総攻撃した年であったと総括できますが、メディアの目論見は必ずしも成功せずに、衆院選で大衆が平静を取り戻し、最大に高まっていた政局のエントロピーが低下したと言えます。マスメディアと協働して政府の人格攻撃に終始していた[蓮舫民進党]は崩壊し、ポピュリズムを展開して満員御礼を続けていた[小池劇場]は幕を閉じました。現在、ワイドショーは芸能人やスポーツ選手のスキャンダルを報じる通常営業に戻っています。

2018年がどのような年になるかは予測できませんが、毎晩22時OAの報道番組「報道ステーション」がマスメディアのサガを発揮して大衆に対する心理操作をリードして行くのは想像に難くないと言えます。「国民」が自ら考える健全な民主主義社会を構築するためには、「全ての国民」がマスメディア報道のメソドロジーを十分に認識し、悪意の心理操作に対して耐力を持つことが重要であると考えます。


編集部より:この記事は「マスメディア報道のメソドロジー」2017年12月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はマスメディア報道のメソドロジーをご覧ください。