「アガーフィアの森」を読む --- 昆 正和

アガーフィアの森
ワシーリー ペスコフ
新潮社
1995-02

 

本を読む楽しみは、新刊書で新しい情報、新しいストーリーに接することだけではない。過去にさかのぼれば、時には宝石のようにすばらしい本と出会うこともある。1995年発行のノンフィクション、『アガーフィアの森』(新潮社刊。すでに絶版)もそんな珠玉の1冊だ。

1978年の夏。人跡未踏のシベリア タイガの森で、資源探査エンジニアの一行が30年以上も自給自足の生活を続けていた家族(ルイコフ一家)を発見する。彼らは信仰を守るために約300年前にこの地へ逃れてきた一族の末裔だった。中でも末娘のアガーフィアは、家族以外の人間とは一度も接触したことがない自然児だ。家族はやがて、文明との接触をきっかけにさまざまな出来事に巻き込まれていく…。

この本ほど、読んだ後に走馬灯のようにいろいろな思いを掻き立ててくれた本は珍しい。僕は次のような取りとめのないことをあれこれ考えてしまった。

例えば、ロシアの人々の暖かなまなざし。一家が発見されて文明と交流を持つようになった1970年代から1980年代、ソ連は暗い時代だった。椎名誠が『シベリア追跡』という本で描写しているように、当時はKGBが暗躍し、モノが不足し、不自由な生活を強いられていた。通りを行き交う人々は皆、無表情で寒そうだった。この頃はチェルノブイリの原発事故があり、ペレストロイカがあり、経済が低迷して政情不安が続いていた時代でもあった。

ところが、この家族(生き残った父親とアガーフィアの二人)を支えたジャーナリストのワシーリー・ペスコフをはじめ、家族の守り神でもあり、家族の一員のように献身的だったエロフィという青年、資源探査基地のスタッフたち、そしてこの家族と信仰を一にする親戚たち。とても親身になってアガーフィアたちの面倒を見てくれたのである。冷戦時代のあのソ連に、これほどまでに人々の暖かく寛容な精神が息づいていたとは…。今日の私たちに、この家族を見守るようなやさしい心はあるだろうか。

こんなことも考えた。もしルイコフ一家が発見されたのが1970年代ではなく、「今日」だったら、私たちはどのような目で彼らを見ただろう。マスメディアが「家族発見」のニュースを報じる。それは一瞬にしてネットに拡散する。ネットはよくも悪くも私たちの感情を容赦なくさらけ出す道具だ。

当時と同じように、アガーフィアを暖かな目で見守り、応援する人々がいる一方で、SNSには彼らを貶める心無いメッセージも多数拡散したことだろう。Google Earthでズームインすれば、たちどころにタイガの森の中にルイコフ一家が暮らした小屋や畑が俯瞰できるに違いない。

しかしそれを閲覧しているあなたには、ヒグマや狼が闊歩するシベリア原生林の奥深さや、目の覚めるような秋の紅葉や、死ぬほどつらい冬の寒さといったものをまるで感じ取ることはできない。「あった、あった! こんな場所に住んでいたの? 物好きな家族もいるものだねえ」。これで終わってしまう。

あるいは、ネットを見た野次馬ども(たとえば富士山麓の樹海で躊躇なく自殺者の遺体を撮影したローガン・ポールのような)が世界各地から押しかけ、一家の静かな生活を台無しにしたかもしれない。今日ならネット社会の犠牲になっただろう。今日でなくてよかった。そう思わずにはいられない。

ところで、時代の変化を知らずに山中で何十年も生き延びていた人と言えば、日本にもグアム島で発見された横井正一軍曹やフィリピンのルバング島から帰還した小野田少尉がいる。どちらも戦後を知らずに30年近くもジャングルに潜んで生きてきたことは脅威に値する。そしてアウトドア好きから見れば尊敬すべき究極のサバイバル実践者だ。

しかし、アガーフィアとは大きく異なる点がある。横井さんや小野田さんは若くして従軍したとは言え、それまで社会生活を体験し、社会の中に自分のアイデンティティを持っていた。ジャングルでの生活は、敵につかまらないための戦略的な逃亡かつ潜伏手段であったから、日本に帰国してからも、大幅に変化を遂げた社会への順応はそれほど大きな障害ではなかっただろう。

ところがアガーフィアは、シベリアの大自然と家族という極小共同体以外はまったく社会を知らずに育った自然児だ。しかも父から徹底的に教え込まれた信仰という名のガラス・ケースに守られ、純粋培養されて育った人だ。ここが、少なくとも成長するまで(当時の)現代文明の中で過ごして、ある程度社会に対する免疫を持っていた横井さんや小野田さんとは大きく異なる点である。

おそらく彼女の場合、身体にしっかり根付いた宗教的価値観が、堅固なバリアのように彼女を守ってくれていたのだろう。本書からは、彼女がどんなに目の覚めるような文明の利器(飛行機や鉄道やビルディング)と接しても、驚いて取り乱したりおびえて引きこもったりといった様子はなく、いつも控えめな表情で穏やかに現状を受け入れていたことが読み取れる。透徹した信仰心はどんなに変化にも動じないのである。ただしその裏返しとして、最後の最後まで彼女は山を離れることを拒み、一人孤独に小屋に住み続けることになってしまったのだが…。

昆 正和(こんまさかず)  BCP/BCM策定支援アドバイザー
東京都立大学(現首都大学東京)経済学部卒。9.11テロでBCPという危機管理手法が機能した事例に興味を持ち、以来BCPや事業継続マネジメントに関する調査・研究、策定指導・講演を行っている。