読売新聞が知らないテレビのビジネスモデル

山田 肇

TV統制というなら、地方局の独立性も問題だ」という記事をアップしたところ、読売新聞の社説のどこが間違いかもう少し詳しく解説してほしい、という意見をいただいた。復習すると、僕が記事で取り上げたのは社説の次の記述である。

規制が外れれば、放送とは無縁な、金儲(もう)けだけが目的の業者が参入し、暴力や性表現に訴える番組を粗製乱造しかねない。家庭のテレビで、子どもを含めた幅広い人々が目にする恐れがある。

この社説の問題は国民が暴力や性表現を訴える番組を好むとしている点。読売新聞は「国民は愚劣」と軽蔑するが、本当に国民は愚劣なのだろうか。テレビ局のビジネスモデルを基に考えよう。

暴力や性表現に訴えるチャンネルは既に存在しているが、多くの視聴者を集めるには至っていない。10万人の登録視聴者から月1000円ずつ徴収し、年商12億円で暴力や性表現に訴える番組を送信する、これらのチャンネルはテレビ業界ではニッチビジネスである。

他方、民間テレビ局はスポンサーからの広告費で成立しているが、広告主としてはできる限り多くの人に広告が届くのが好ましい。広告費3000万円を支払っても視聴率10%で全国600万世帯に届けば、一世帯当たりの広告費は5円で済む。こんな計算をしているスポンサーが暴力や性表現に訴える番組に広告費を支払うだろうか? スポンサーの評価を得ようと視聴率競争を展開しているテレビ局が、暴力や性表現に訴える番組をつくるだろうか? この二つの問いが肯定されるのは、読売新聞が言う通り国民が愚劣な場合に限られる。

上の仮説が成立しないことはNHKを考えればすぐにわかる。NHKは受信料を集めることで成立し、受信料はすなわち月会費に相当するので、ニッチビジネスと同じビジネスモデルである。しかし、NHKの番組は民放以上に暴力や性表現について抑制的である。少なく見積もっても7割以上の世帯が受信契約を結び受信料を支払っているということは、多数派の国民は愚劣ではなく、NHKの放送姿勢も一定程度評価されているからに他ならない。

少数の視聴者を相手に月会費を徴収し暴力や性表現にも躊躇しないニッチビジネスと、スポンサーから広告費収入を元に出来る限り多くの世帯に届く番組を放送しようとするキー局ビジネスを混同している。しかも、その根拠として「国民は愚劣」いう読売新聞は間違っている。