天安門事件、1968年「5月革命」、日本の団塊世代

篠田 英朗

天安門事件を象徴するジェフ・ワイドナー氏撮影の「無名の反逆者」(Wikipediaより:編集部)

6月4日は天安門事件の29年目の記念日だ。1989年当時、私は大学3年生だった。偏屈者が集まることで評判だった政治思想のゼミに通いながら、天安門事件や、同じ年の秋に発生する東欧革命のニュースを見た。その年の暮れに、私は、学者になろうと思った。天安門事件のことは、当時の様子とともに、鮮明に思い出される。未完の革命だった。もちろん今も当時も、中国で革命が起こる可能性は低い。しかし天安門事件を過小評価して、現代の中国人と付き合うのは違う、と私は思っている。

5月革命、騒乱のパリ(Wikipedia:編集部)

そういえば今年の5月は、1968年フランス「5月革命」50周年であった。日本ではあまり話題にならなかったようだが、研究者層では、1968年は世界史の転換点だった、という評価が固まっている。その1968年の象徴が、フランス未完の革命である「5月革命」だ。

高校時代に私は、よく学校をさぼって東京のはずれで映画を観たりしていた。安い料金で何本も観られる映画館に行ったりしていたため、寺山修司『書を捨てよ、町へ出よう』や『ウッドストック』の映画は、何度も観た。「1968年」の雰囲気は、私にとって、一つの不思議だった。大学に入って、フーコーやドゥルーズなどの「68年思想」とも言われる現代思想にふれて、1968年は、いっそう関心をかきたてるものになった。

当時は村上春樹が一世を風靡した時代だ。1968年当時を舞台にした『ノルウェーの森』がベストセラーになったのが、私が大学一年のときだった。その中に、主人公の「僕」(ワタナベトオル)が、亡くなった友人「キズキ」に次のようにつぶやく場面がある。学生運動で大学封鎖をした連中が、運動熱が冷めると、きちんと授業に出たりしているのを見た後の言葉だ。

「キズキ、ここはひどい世界だよ」「こういう奴らがきちんと大学の単位をとって社会に出て、せっせと下劣な社会を作るんだ」

アメリカでは、1990年代に、ベトナム反戦運動に熱心に参加していたビル・クリントンが、大統領になった。イギリスでは、オックスフォードで熱心に学生運動をやっていたトニー・ブレアが、首相になった。パリ5月革命時に、パリ大学医学部で運動指導者だったベルナール・クシュネルは、早くも1971年に「国境なき医師団(MSF)」を設立して世界的に有名なNGOに育てあげた後、90年代前半には保健・人道活動大臣を務めた(後に外務大臣)。

1990年代に、人道援助、人道介入、平和活動、人権問題の話は、大きく広がった。世界の構造的矛盾に異議を唱えた世界各国の1968年世代の人々が、そこにいた。第一線で、活躍し始めていた。ロンドンでPh.D.を取得した私は、平和構築を専門にして学者としてやっていくことを決めた。

それにしても、日本の団塊の世代は、何をやっているのか。

まさか「立憲主義は政府を制限すること」と主張し、「モリカケのアベに憲法を語る資格はない!」などと叫び、テレビを見ながら「もう詰んだ」など言って、革命ごっこの気分に浸ることが、日本では1968年世代の習慣になっていないか。

「キズキ」に話しかける、「ワタナベトオル」のような気持ちになる。


編集部より:このブログは篠田英朗・東京外国語大学教授の公式ブログ『「平和構築」を専門にする国際政治学者』2018年6月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。